ご無沙汰しております꒰#'ω`#꒱੭

Blogも書き掛け記事は溜まって行くのですが、中々集中して書き上げられずにおります(TДT|||)


Bebeは、昨年後半は巫女舞奉納をさせていただいたり、母の闘病も転院があったりバタバタしておりましたが、
それでもホツマツタヱの暗唱はようやく現在15アヤ「ミケヨロヅナリソメノアヤ」
そして2月には広島の古民家ギャラリーうしたさんにて、ヲシテ講座を開かせていただいたりしておりました♪(*〇´∀`艸)*゚


さて、
広島の種も冬には地中に力を蓄え、
春の到来と芽吹いてくる感じです。

そんな中、ヲシテ研究の第一人者、池田満先生が先月目出度く御退職なさいまして、この3月九州旅行へ!
そしてその道中には広島に寄られるという。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。 ヤッターン♪


Bebeや、Bebeと共に広島で2年以上ホツマツタヱを学び続けてきた雅子さん!
そして古事記の素読の会を長年主催し、Bebeの広島ヲシテ講座を6回も主催して下さった藤原さん、
また三回のヲシテ講座をさせていただき、ヲシテ染織作品も作っていらっしゃる古民家ギャラリーうしたのオーナーで染織作家の鶴岡たかさんも、
池田先生ご夫妻が広島にいらっしゃるのを楽しみにしておりました(((o(*゚▽゚*)o)))




二年以上共に学んできた広島の雅子さんと…
神武天皇の寄られた宮に、池田先生とお会いできるなんて感激੭່ʓ (Ō̥̥̥̥̥̥̥ ԑ Ō̥̥̥̥̥̥̥ ૢ) ੭່ʓ

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2015年3月22日春分の土曜日、
その前日には北欧では金環月蝕、
そしてピカピカのお日様です+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚


池田先生と落ち合いましたのは、
かの神武天皇の東征の折、広島で寄られた「多家神社(たけじんじゃ)」です( ´ ▽ ` )ノ

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ホツマツタヱ29-16には
アキノクニ
チノミヤニコス


とあります。

古事記には、
多祁理宮(たけりのみや)」とあります…(´'c。'` )ほほー
2015-03-19-10-25-39

これは神武天皇のイミナ(本名)が「タケヒト」様だったことに依ると思いますo(^▽^)o

そして日本書紀には、
埃宮(えのみや)」と出てきます(●ꉺωꉺ●)
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これは私の推測では、
記紀が編纂されたのはAD712年〜。
ホツマツタヱの最終編纂はそれより約600年前です!
更に実際の神武天皇の時代というのはBC660年より前になるのですから、1300年以上前の出来事です。

漢字が渡来する遥か以前の出来事なのです。
ですから漢字渡来当時は万葉仮名の様に、元々あった日本語に音として漢字を用いていました。
例えば広島の古名「アキノクニ」でさえ、
古事記では「阿岐國(あぎのくに)」
日本書紀では「安藝國(あきのくに)」です。
ここは押さえておかねば!なポイントの一つです(○´3`)ノ

よくね、
ホツマツタヱの話をしてるのに、
「で、それはどういう漢字ですか?」とか訊かれることが多々あるのですよ(ノ∀≦。)ノ

だって漢字渡来より遥か1000年とか前の話をしていても!ですヾ(≧▽≦)ノあははは!

また例えば、
「え?安芸國は、安いに芸(藝)ですから漢字が違います」みたいな事も言われるのですが、
古事記、日本書紀でさえ表記の違いがある…
それは漢字以前にそういう名があったことを示しているのではないですか?(´✪‿✪`)

漢字自体が絶対ではなく
「当て字」だったということです(○´3`)ノ


それで一体全体、
チノミヤ」がどうして「えのみや」になってしまったのか??(TДT|||)


それは、
きっと漢字渡来当時、
チノミヤの「チ」の字に、
『埃(チリ)』の字を当て嵌めてみたのではないでしょうか…??
(あ、妄想べべ説ですょ)

それがどうして読み方が、
「えのみや」になってしまったのか?までは分かりません、ごめんなさい!

よくね、
「なんでこんな漢字に??」みたいな質問受けるのですが、
Bebeは教養が御座いませんから、
ホツマツタヱは勉強しておりますが
(しかもまだまだ紀元前1000年以前の部分)、
漢字渡来当時の5世紀〜8世紀の人々の事、発想とかよく分かりません(#^.^#)


また、
我が国初の天皇『神武天皇』(BC660年即位)という呼び名についても!!ですが、
その当時は勿論『神武天皇』なんて呼び名はありませんでした!
だって漢字渡来より遥か昔なんですよ!
「音読み」があるわけないじゃないですか(*≧ლ≦)

神武天皇は
ホツマツタヱでは
例えば29-66では
「カンヤマト・イわ(は)ワレヒコノ
アマキミ」

そして29アヤの結びには、
「ミヨカンタケノ
オオイナルカナ」
と拠出致します。

『【カン】ヤマト イワ(ハ)ワレヒコ』の『【タケ】ヒト』さんですから、
漢字が入ってきて、
カン→神
タケ→武


を充てたのでしょうね☆

これが、
タケを「竹」の字や「岳」の字を充てる可能性もあった!

そしたらば、
「神竹(じんちく)天皇」や
「神岳(じんがく)天皇」となる可能性もあったということですよ(o_ _)ノ彡☆バンバン

Bebeも一昨年、一生懸命125代天皇の名前を暗記しました(あ、暗記しただけで歴代天皇については、なあんも存じ上げてないです、悪しからず…)
「じんむ、すいぜい、あんねい、いとく…」というリズムも、
「じんちく、すいぜい、あんねい、いとく…」だった可能性も!??ナンチテ…


因みに、神武天皇はタケヒト様だったから、このミヤの名もタケ(多家)神社なのでしょう(○´3`)ノ


そんな多家神社の近くには、
「たれその森」という森が残っているそうで、
神社天皇が、現地の方に
「たれ(誰)そ(ぞ)?」と問うたからだそうですよ♪

それから…

これは2012年の10月のことで、
まだBebeがホツマツタヱの勉強を始める前(でもその準備に毎日ヲシテ日記を書いていた頃)の事で、
うろ覚えでごめんなさい!なのですが、
神武天皇が東征してアキノクニ(安芸國)に到着した時に、
寄った竹林があるそうで…。
素読の会をなさっている松田先生に夜にお好み焼き&ドライブに連れて来ていただいた時に、
多家神社と竹林の前を通り、
その時のお話では、
「神武天皇のお印(今も皇族の方お一人お一人にあるようなものかしら?)が『竹』だと仰った、ーとかなんとかで、
それで大層この地を気に入り、ここに逗留なさった(それで「タケ(多家)神社に…?)

しかし、その話が現地に残っているいるって凄くないですか?キャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー

神武天皇のイミナ(本名)はとっくに判らなくなっているのに、
自らを『タケ』と(○´3`)ノ
だって『タケヒト』様なのですもの+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚


あ、ちょっと今調べてみますε=ε=ε=(●'▽')ノ





う〜〜〜ん、
やっぱりローカル過ぎて出てこないんですが(´◕ฺω◕ฺ`)ショボーン

しかし府中市の竹林の前を夜のドライブ(だと余計に周りが分かりませんっが…)
で通ったのですよ( ;´Д`)

そして
「ここから見下ろす広島市の中心地の街の灯りは、
昔は海だったのですよ」と松田先生に教えていただいたのです(♡´◡`♡)



そして…
神武天皇は船でやって来て上陸なさったのでしょうね♪
多家神社の手水舎は舟形ですꉂ ૮( ᵒ̌ૢꇴᵒ̌ૢ )ა。*゚✧

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ついでに…

古事記・日本書紀の時代は、
地形が変わってしまったのか?
「ヤシマ(大八洲の八島)」の数が分かってないようですけど、
先日雅子さんとの授業で、
白地図で数えてみますと、
どうしたって岡山の吉備の児島半島は当時は半島ではなくて島だったと思われます(○´3`)ノ
(その話は又いつかしますね!
今日の目標は「取り敢えず記事をUP!」
何しろこの記事も月曜日から書き始め、
既に水曜日も終わろうとしているヽ(;▽;)ノ
欲張らないことに努めますヽ(;▽;)ノ)

広島もね、
島だったのですよ!!
安芸の中の一番大きな島が「広島」で、
私の彼のいる地は広島市中区の「白島(はくしま)」!!
四角い島だったので「ハコ島(箱島)」が訛って「ハクシマ(白島)」と…。

まるで、
東北ヒタカミ地方が四角かった故に「ハコクニ」と呼ばれたようなものですヾ(●´∀`●)ノ


池田先生をお迎えして
楽しく幸せなひととき。。。
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神武天皇は身長3m超だったので、
腰掛石も脛の長さが伺えますლ(;ʘДʘ)ლ
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境内には桜も開き始め…

そして古民家ギャラリーうしたさんへ移動(○´3`)ノ
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池田先生の楽しいヲシテのお話や、
ギャラリーの鶴岡さんの染織作品、
ギャラリーの原爆被爆のお話など楽しいお話は尽きないのですが、

夕方、広島の牡蠣を食べに移動(○´3`)ノ

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あ、日付変わらない内にUP目標なので、
続きはどうぞ池田先生のBlogをお楽しみ下さいませ(。-人-。)


北九州の芦屋釜の里、広島の探訪旅行: 縄文文字 ヲシテ を 復活!
http://t.co/4LaOZS0vUU



始末もいい加減に逃げるように取り敢えずUPさせていただきま〜すヽ(;▽;)ノ
お読みいただきありがとうございます♪