今日も読みにきていただきありがとうございます(♡´◡`♡)
前号で厳しいこと書いちゃったかな??
と気に病んでますが、
折角ヲシテの文化を広めようとして下さってる方々ですので、
正しく広めていただきたい!!
勿論ね、
沢山のご努力で貢献して下さっているとは思いますが、
基礎の部分、一番最初から間違っているのを広め続けるのは
ちょっと耐え難し。。。
喩えて言うなら
英語の文化広めてまーーす!みんなも英語使ってみよう!!英語の先生なんです!
なんて言う方が
We eat lice every day.
てなくらい、私には恥ずかしく見えちゃうからです。
さて、私の暗唱も40アヤの1/3くらいのところに来ましたが、
もう冒頭からヤマトタケ様のご逝去(⌇ຶö⌇ຶ)
ホツマツタヱではこれほど悲劇的にお亡くなりになった方は
あまりいないのではないかしら??
この駄ウタの解説をするほど野暮なこともないと思いますが、
恥を忍んで、
ヤマトタケ様がホツマウチからご帰還なさった時のルート、
木曽⇨美濃⇨尾張
と掛けてます(;≧ꌂ≦)
ヤマトタケ様のウタの巧さにはいつも唸らされてまして
それが日本書紀や古事記で改編されて抜け落ちてしまっていることの
悔しきことよ(⌇ຶö⌇ຶ)
それにしても基礎が大切っっ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)
古語ならイシスヱ(礎)とかモトヰ(基)でしょうかね?
モトヰって本当に大切で、
(ウタも「モトヰ」にしたかったけど、「クモヰ」に行かれたと何度も記されているので。。)
本当にホツマツタヱでしょっ中出てくる
「ノリおサダメテ」「アメのミチモテ」って事で
単に好き勝手ではダメと思うのです。。
それに大きいものを建てるなら
尚更基礎が大切なんですね(♡´◡`♡)
別に大きいものを建てる気がないとしても、
やはり基礎をきちんとしておけば
いつでも積み続きできるんです。
駄ウタなので、もうちょっと「積み重ね」ってことと「山場」や「山越え」のことを
掛けてみたっかったのですが。。。
才能無し💦 チーーーーーーーン(。-人-。)
カグ・モトヒコさんなんかがヤマツミ家の子孫、と掛けてなくもないのですが
場所ちょっと違う。。でも許してちょ(;≧ꌂ≦)
カグ・モトヒコさんのところが「コトハジメ」だったしさ、39アヤのそもそもなので😆
。.。:+♫+ ゜ ゜゜ *+:。.。:+♥+ ゜ ゜*+:。.。.。:+♫+ ゜ ゜゜*+:。.。:+♥+ ゜ ゜゜ *+:。.。.
さあ本題に入ります!!
まあ、本題も大したことないんですけど😆
また古い話出します。。。
2018年の8月に遡ります😺
この時、山中湖のキャンプに行って、
その時、北口本宮冨士浅間神社にもお詣りしたのですよ😺
ニニキネ様の「ハラミ・サカオリ」宮の候補地って沢山あって、
しかも「ミトコロ(三ヶ所)」と記されてますから。。。😨
「スワ・サカオリ」とも出てきます🙀
富士山東口本宮の冨士浅間神社は「スバシリ(須走)」かなぁ
と思ってます😺
その中でもハラミとしては
富士山本宮浅間大社(がハラ・アサマミヤかなぁ?)が有力だし、
北口本宮冨士浅間神社(がスワ・サカオリミヤかなぁ?)も
是非行きたい!と思って行きました😺
この地図は山梨県の観光協会様から拝借いたしましたが、ここに甲府の酒折宮も載ってたら良かったのに
甲府の酒折宮はもう少し北で遠いのですよね😹
(あぁ、一月前に友達にGoogleマップのルート作り教わったのに上手くいきませんでした😹)
ともかく『スワ・サカオリ』の謎の一つ😹
この地図の1時の方角にある赤い点が(大体💦)北口本宮冨士浅間神社な訳でして、
富士吉田にあります😺
(ほぼ3時近くにあるのが東口=須走。7時にあるのが富士山本宮浅間大社)
火祭りで有名な山梨は富士吉田の北口本宮冨士浅間神社!
丁度、巫女舞奉納御朱印帳が終わって(奉納の記録としていただいてました)
新しく御朱印帳を作ったばかりだったので御朱印をいただいたのです。
「二つともですか?」と訊かれお願いしたら
境内社の諏訪神社の御朱印もいただいちゃいました、8月4日のことです。。
さて、その後、甲府に行き、
是非是非行きたかった阿智村、昼神温泉、恵那山に行きまして(いつか書くかも??)
ここは「シナノイナホラ・アチノカミ」としてオモイカネ様がアマテルカミの胞衣(ヱナ)を収めたところ!!
一泊。
その後、初めて自分の運転で松本の母の実家に行きました。
叔母の家に泊めてもらい
現代のスヘラギからのヲシテってこういうのなんだなぁ。。と感動し、
東京に帰る『予定』でした。。でした。。。8月9日。。。
ところが例年は中央道、台風とか関係ないみたいなのですけど、
中央自動車道付近を直撃する大型台風が来ているから中央道通れない!!と。。ლ(;ʘДʘ)ლ
それで北回り(信越)で帰ることにしたのです。。。
ついでにアチヒコさんのところ行ったのだから
息子・戸隠も寄って帰ろう…と。。
戸隠にはイラストレーターでお友達のエヴァーソン朋子さん夫妻が
スキーや自然好きが高じて、東京から戸隠に移住したばかり!
とのことで一目お会いしたいと。。(♡´◡`♡)
それで高速道路に乗って
何故かインターチェンジでの乗り換えが上手くいかなくて
高速降ろされちゃう(⌇ຶö⌇ຶ)
再度高速に乗ろうと頑張るのですが、
何度も同じところぐるぐる。。ヽ(;▽;)ノ
その「同じところ」というのが『諏訪大社入口』って書いてあるんですよぉ(ノ∀≦。)ノ
えええええ、今回は台風来るし
早く戸隠に向かわなきゃ!!
その時カミはニコ笑みて
「素通りまからぬぞ」と曰(のたま)われた気がいたしました(◜(◜▿(◜▿(◜▿‾ (◜▿‾ ( ´▿` ) ‾▿◝) ‾▿◝)▿◝)▿◝)◝)
何しろ
チビキイワ(千人の人が引く位の大きな岩ですかねぇ??)提げられるような、
出雲オホナムチ様の最終兵士ですからねぇ。。(/●◔∀◐●)/
スミマセン((_ _(-д- 。)ペコリ
スミマセン((_ _(-д- 。)ペコリ
母も諏訪大社のお膝元!
従兄からも「御柱(おんばしら)」のエピソードとか沢山聞いてきた直後でしたのに((_ _(-д- 。)ペコリ
また父母の墓所のお寺の前も「諏訪神社」なのです((_ _(-д- 。)ペコリ
いつもお参りしてました((_ _(-д- 。)ペコリ
母が数え12歳で巫女舞舞わせていただいたのも諏訪神社様なのです((_ _(-д- 。)ペコリ
素通りしようとしてました⁽⁽◝(⊙ꎁ⊙ㆀ=͟͟͞͞⊙ꎁ⊙)◜⁾⁾
何しろ
山中湖キャンプの時に北口本宮浅間神社様で諏訪神社様の御朱印頂いておいてですよ??
何をここに来て
元つ宮に詣らぬのか!!?
ままや?否やや?
と問われてしまいましたぁ(°▽°)
諏訪大社は四宮あるのです😺
まずは上社前宮。。
思えば、
諏訪大社は御柱祭(おんばしらまつり)で有名で、
凍った諏訪湖の上を御柱が走る、
死者も出たりするので、日本の数ある祭りの中でも
荒々しい祭り、勇ましい祭りとして有名ですが、
古代アマカミの『ミタケバシラ』みたいなものなのでしょうかね(♡´◡`♡)
祭・民俗学研究家ではないのでそのお祭りの成立ち・経緯に就いては省略いたしますが。。。
続きまして上社本宮
御神紋は「梶の葉」ですね♪
本宮はとても立派で見どころいっぱいでしたよヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙
諏訪大社(上社本宮)で御朱印(左)を頂いて初めて気づくのです、あ!!Σ('◉⌓◉’)
もう既に北口本宮冨士浅間神社からの諏訪の神のお導きがあったことに。。。
私、実は北口本宮冨士浅間神社で御朱印(右)をいただくときは
諏訪神社の御朱印もいただく気はなかったのです、
単に断れなくてハイ。。。と。。。
まして富士吉田では、諏訪に行く気はさらさらありませんでした😺
ここでね、その御祭神『タケミナカタ』様のお話をさせていただきますね(♡´◡`♡)
そもそも最初に登場するのはホツマツタヱ10アヤ『カシマタチ・ツリタイのアヤ』
です。
出雲のクニを豊かに豊かに導いたオホナムチ・クシギネ様ですが、
キツキヤシロ(杵築大社。出雲大社)があまりにも立派になり
皇居よりも立派にしてしまいます。
出雲一地方にとっては豊かになって良かったとは思いますが
古代からアマキミ(天皇陛下)という方はヨモヤモ(四方八方)を統べる方でいらっしゃいます。
そして元からそのタカマ(朝廷)とはタミの民意の象徴・代表なのです。
一地方だけが豊かになり贅沢をしても
日本の国々全て(シキシマ)が豊かにならねば不公平ですよね??
それで再三注意・警告をしに沢山の人を遣わしましたが
みんな出雲の都会さ、豊かさ、贅沢さに溺れて帰ってこなかったのです。
①ホヒノミコト(アマテルカミの最初の皇子)
②オオセイイ・ミクマノ(ホヒの息子)
③アメワカヒコ(アマクニタマの息子。カナヤマヒコの孫。シタテル・オクラ姫の兄)
それでも皆役目を果たせなかったので
右の臣(カ・シマ)の役職を断つ(タチ)『カシマタチ』の為に
タケミカツチ(カシマカミ/鹿島神宮)とフツヌシ(カトリカミ/香取神宮)が最終的に遣わされます。
タケミカツチ様に至っては、
普通の人の平均身長が8タ(ヤタ)(160㎝くらい?)だったのに
1タケ6タ、つまり倍(320㎝くらい?)あって、雷をも拉げる力でした。。。
それに恐れを為し、
迎え撃つ出雲は『タケミナカタ』です
◞≼◉ื≽◟゜;益;◞≼◉ื≽◟) タレカワガクニオ シノビシノビニオトサンヤ!!
しかしタケミカツチ・ヒサヒコ様はもっと強かったぁ+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚
タカミナカタ様はタケミカツチ様に
(あ、距離感の為だけに地図貼ろうと思ったらこんなのが(*≧ლ≦)。。)
出雲からシナノウミ(現・諏訪湖)まで追い詰められます((((;゚Д゚)))))))
諏訪湖の『スワ』とは『すわ!一大事!!』の『すわ』なのです(●ꉺωꉺ●)
こうして命乞いと引き換えにシナノ(信濃)を守る誓いをしたタケミナカタ様なのでしたヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙
次に下社の春宮に詣りました😺
下社は諏訪湖の畔にあります😺
タケミカツチ様に追い詰められて信濃のカミ(守)になったタケミナカタ様は
タミを我子の如く大切にし、
また寒い信濃(長野)は冬になると食糧が乏しくなり、
海もない長野ですから
アマテルカミの肉食禁止令(含む鳥鶏肉)に陳情して訴えます。
ここで注目したいのは『アイモノ』という言葉です(●ꉺωꉺ●)
これは塩魚や干し魚類の総称なのですが、
フレッシュ(生)でない、という意味です。
間の、間に合わせに、なんて意味ですね♪
きっともっと加工された?練物、或いは物凄い塩漬けなんかの中間みたいなものかも😺
うちの母なんかは、盛夏や厳冬でない時に着る服を『間着(あいぎ)』と呼んでましたし
『あいの(相の、間の)』って言葉、使ってました😺
きっと元々は『魚』の意味はなかった筈です、
『ア・イ・モ・ノ』のどこにも魚要素が無いからです😆
『アイモノのウオ(魚)』な訳です😺
その次!!
『ヨソ(40)あり』と(΄✹ਊ✹‵)
干物とか、現代なら味醂干し、味噌漬け、醤油漬け、粕漬け、
様々な相物(の魚)があります!!
それが40種類もあったってことでしょうねぇ。。
昆布と塩と軽い酢で漬けてあるのかな?こういうのも『あいもの』ね♪
そしてそのアマテルカミの詔が語源の名前が富山にあるんです(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…
『四十物(あいもの)』さん!!
富山県東部を中心に魚の塩漬けなどを扱う行商の屋の名前。四十物町。
そうです!!
海のない信濃ではきっと越中・富山や越後・新潟などのコシ(越)からお魚の干物などの
行商人が来たのでしょうね!!
諏訪と松本の中間に『塩尻』って地名があるのも、
日本海方面からの塩を運んだ終点だったのでしょう。。。
私は母方が松本ですから、
父方は隣の山梨ですけど、食糧の豊かさ・厳しさは全然違いました!!
それは言葉の言い方や気質にまで関係しています。。
さすが『あゝ野麦峠』や『姥捨山』の伝承がある位、信濃の冬は厳しかったのですよ。。
(山梨は豊かですね♪)
全国で寒天の生産が第一位なのも、
また高野豆腐、氷餅なんかがあるのも、
放っておけばフリーズドライになってしまうから。。😨
また小さい頃はお葬式のお料理なんかは
『蒟蒻のお刺身』『油揚げのお刺身風』『寒天のお刺身』『様々な寒天料理』
そういったお料理でした。。今は輸送が発達しましたから長野でもお刺身食べますが。。
まあそういう訳で
スワのカミ(守)タケミナカタ様は
でもアマテルカミもまたタミの健康、血穢れのことを想って
もし食べるなら21日間、蕪(や大根、生姜、葱なども出てきます)を食べて解毒しなさいよ、とのたまわれます。
さて最後に下社・秋宮に参ります♪(*〇´∀`艸)*゚
アマテルカミに陳情した話を出しましたが、
タケミナカタ様は信濃に来てからタミの為に『トミ』『(クニ)カミ』として
ひとふるに尽くされます(*´∇`*)
我国に於いては
トミやカミはタミの為に身を粉にして働かれていらしたのですよ。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。
だから尊いのです(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)
以前の記事『470円で!??』(◁◁クリックで飛びます)にも書きましたが
ホツマツタヱの下巻にもタケミナカタ様のお話は登場します。
第7代孝霊天皇フトニ様は、三つ子が二組生まれますが、
タミは中々三つ子が生まれると生活も大変なので間引いて殺すときこし召されたフトニ様は
『我が子であろうが、決して親の所有物でもなければ
その命を殺めても良いということもない!
人間というのは誰であってもアメ(天)の大事な胤(タネ)なのだ。
鹿や犬の千匹(千頭?)よりも人一人の方が重いのだ!
これが『タケミナカタ』の御教ゑのノリ(則、宣、法)であるのだ』
と宣われたのです。。。
またその詔が定まるとスワのハフリ(祝)がハラミヤマ(富士山)の絵を孝霊天皇に献上しに来ます。
同じ時、白髭スセリ(ニニキネ様の三つ子の皇子のうち真ん中の皇子。ウミサチヒコ)の孫のアメミカゲ様からアワウミ(近江。琵琶湖)の絵が届きました。
山と湖との絵合わせに感激したフトニ様(孝霊天皇)はハラミの宮に行幸されるのです。
この(タケヒテル様のいらっしゃる)『スワ・サカオリ』が何処ぉ??ムムム。。:;(∩´﹏`∩);:
なのです。。。
タケヒテル様とは本当にご長寿ですけど、ニギハヤヒ様の弟君なのですよね😺
ニニキネ様の長男のハラヲキミ・ムメヒト様の次男なのです。
お兄様のクニテル様がニギハヤヒ様としてカグヤマヲキミとなられてしまった故に
ハラ宮(ムメオゝミヤ・梅大宮ね、駿河か?)を継がれたのですね😺
しかし24アヤのニニキネ様の記述でも『3トコロ』と書いてあるしです💦
富士山の周りの浅間神社もめっちゃ多くて
山中湖にも諏訪神社あるのですけど、
多分古さから行くと北口本宮浅間神社の諏訪神社が近いのかなぁ??。。と睨んでますσ(・ω・`@)
この32アヤのスワの祝(はふり)が
長野の諏訪大社だと遠過ぎて。。。。です。。。
もう最大遠さで譲歩しても甲府の酒折宮位と思うの。。。
で、諏訪大社の下社秋宮に戻りますが、
上社と下社はだいぶ趣も異なります。
下社の〆縄太いのは出雲からいらした名残ですかね(*´∇`*)??
また鹿の頭を捧げる奇祭としても知られる『御頭祭』など色々ありますが、
今でも残っているヲシテ時代から続く『粥占神事(カユウラ、カユフトマニ)』でも
特に厳しく当たると有名です(●ꉺωꉺ●)
✳︎粥占神事の画像『こちら』(◁クリックで飛びます)にあります
やはり古社だけあるわぁ。。
またホツマツタヱでも『スワ・ハフリ』が活躍している古社なだけあって
諏訪家の大祝(おおほうり/おおはふり)は大変崇敬されていて有名ですね!!
そんな感じでお詣りして
お招きいただいたのを感謝しながら
戸隠に向かう私なのでございました。。。*。⋆ฺ(*´◡`)ノ
ではまた諏訪の前の阿智村や
諏訪の後の戸隠も書けたら。。。。
今日もお読みいただきありがとうございました(♡´◡`♡)