ヲシテ1年生☆

漢字渡来以前の日本の縄文文字『ヲシテ』 あなたも私たちと一緒に一年生から学んでみませんか( ´ ▽ ` )ノ??

神社

スワ!のカミ

こんにちは。

今日も読みにきていただきありがとうございます(♡´◡`♡)

前号で厳しいこと書いちゃったかな??
と気に病んでますが、
折角ヲシテの文化を広めようとして下さってる方々ですので、
正しく広めていただきたい!!

勿論ね、
沢山のご努力で貢献して下さっているとは思いますが、
基礎の部分、一番最初から間違っているのを広め続けるのは
ちょっと耐え難し。。。


喩えて言うなら

英語の文化広めてまーーす!みんなも英語使ってみよう!!英語の先生なんです!
なんて言う方が
 We eat lice every day.
てなくらい、私には恥ずかしく見えちゃうからです。




さて、私の暗唱も40アヤの1/3くらいのところに来ましたが、
もう冒頭からヤマトタケ様のご逝去(⌇ຶö⌇ຶ)

ホツマツタヱではこれほど悲劇的にお亡くなりになった方は
あまりいないのではないかしら??


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この駄ウタの解説をするほど野暮なこともないと思いますが、
恥を忍んで、
ヤマトタケ様がホツマウチからご帰還なさった時のルート、
木曽⇨美濃⇨尾張
と掛けてます(;≧ꌂ≦)

ヤマトタケ様のウタの巧さにはいつも唸らされてまして
それが日本書紀や古事記で改編されて抜け落ちてしまっていることの
悔しきことよ(⌇ຶö⌇ຶ)

それにしても基礎が大切っっ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)


古語ならイシスヱ(礎)とかモトヰ(基)でしょうかね?
モトヰって本当に大切で、
(ウタも「モトヰ」にしたかったけど、「クモヰ」に行かれたと何度も記されているので。。)

本当にホツマツタヱでしょっ中出てくる
「ノリおサダメテ」「アメのミチモテ」って事で
単に好き勝手ではダメと思うのです。。




それに大きいものを建てるなら
尚更基礎が大切なんですね(♡´◡`♡)


別に大きいものを建てる気がないとしても、
やはり基礎をきちんとしておけば
いつでも積み続きできるんです。

駄ウタなので、もうちょっと「積み重ね」ってことと「山場」や「山越え」のことを
掛けてみたっかったのですが。。。
才能無し💦   チーーーーーーーン(。-人-。)
カグ・モトヒコさんなんかがヤマツミ家の子孫、と掛けてなくもないのですが
場所ちょっと違う。。でも許してちょ(;≧ꌂ≦)
カグ・モトヒコさんのところが「コトハジメ」だったしさ、39アヤのそもそもなので😆



。.。:+♫+ ゜ ゜゜ *+:。.。:+♥+ ゜ ゜*+:。.。.。:+♫+ ゜ ゜゜*+:。.。:+♥+ ゜ ゜゜ *+:。.。.



さあ本題に入ります!!

まあ、本題も大したことないんですけど😆


また古い話出します。。。

2018年の8月に遡ります😺
この時、山中湖のキャンプに行って、
その時、北口本宮冨士浅間神社にもお詣りしたのですよ😺
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ニニキネ様の「ハラミ・サカオリ」宮の候補地って沢山あって、
しかも「ミトコロ(三ヶ所)」と記されてますから。。。😨
「スワ・サカオリ」とも出てきます🙀

富士山東口本宮の冨士浅間神社「スバシリ(須走)」かなぁ
と思ってます😺
その中でもハラミとしては
富士山本宮浅間大社(がハラ・アサマミヤかなぁ?)が有力だし、
北口本宮冨士浅間神社(がスワ・サカオリミヤかなぁ?)
是非行きたい!と思って行きました😺
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この地図は山梨県の観光協会様から拝借いたしましたが、ここに甲府の酒折宮も載ってたら良かったのに
甲府の酒折宮はもう少し北で遠いのですよね😹
(あぁ、一月前に友達にGoogleマップのルート作り教わったのに上手くいきませんでした😹)
ともかく『スワ・サカオリ』の謎の一つ😹

この地図の1時の方角にある赤い点が(大体💦)北口本宮冨士浅間神社な訳でして、
富士吉田にあります😺
(ほぼ3時近くにあるのが東口=須走。7時にあるのが富士山本宮浅間大社


火祭りで有名な山梨は富士吉田の北口本宮冨士浅間神社!
丁度、巫女舞奉納御朱印帳が終わって(奉納の記録としていただいてました)
新しく御朱印帳を作ったばかりだったので御朱印をいただいたのです。
「二つともですか?」と訊かれお願いしたら
境内社の諏訪神社の御朱印もいただいちゃいました、8月4日のことです。。

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さて、その後、甲府に行き、
是非是非行きたかった阿智村、昼神温泉、恵那山に行きまして(いつか書くかも??)
ここは「シナノイナホラ・アチノカミ」としてオモイカネ様がアマテルカミの胞衣(ヱナ)を収めたところ!!
一泊。

その後、初めて自分の運転で松本の母の実家に行きました。
叔母の家に泊めてもらい
現代のスヘラギからのヲシテってこういうのなんだなぁ。。と感動し、
東京に帰る『予定』でした。。でした。。。8月9日。。。


ところが例年は中央道、台風とか関係ないみたいなのですけど、
中央自動車道付近を直撃する大型台風が来ているから中央道通れない!!と。。ლ(;ʘДʘ)ლ


それで北回り(信越)で帰ることにしたのです。。。
ついでにアチヒコさんのところ行ったのだから
息子・戸隠も寄って帰ろう…と。。

戸隠にはイラストレーターでお友達のエヴァーソン朋子さん夫妻が
スキーや自然好きが高じて、東京から戸隠に移住したばかり!
とのことで一目お会いしたいと。。(♡´◡`♡)




それで高速道路に乗って


長野市方面(松本より北)へ向かうのですが、
何故かインターチェンジでの乗り換えが上手くいかなくて
高速降ろされちゃう(⌇ຶö⌇ຶ)
再度高速に乗ろうと頑張るのですが、
何度も同じところぐるぐる。。ヽ(;▽;)ノ

その「同じところ」というのが『諏訪大社入口』って書いてあるんですよぉ(ノ∀≦。)ノ


えええええ、今回は台風来るし
早く戸隠に向かわなきゃ!!
なんですよ。。。(TДT|||)



その時カミはニコ笑みて
「素通りまからぬぞ」と曰(のたま)われた気がいたしました(◜(◜▿(◜▿(◜▿‾ (◜▿‾ ( ´▿` ) ‾▿◝) ‾▿◝)▿◝)▿◝)◝)


何しろ
チビキイワ(千人の人が引く位の大きな岩ですかねぇ??)提げられるような、
出雲オホナムチ様の最終兵士ですからねぇ。。(/●◔∀◐●)/


スミマセン((_ _(-д- 。)ペコリ
スミマセン((_ _(-д- 。)ペコリ

母も諏訪大社のお膝元!
従兄からも「御柱(おんばしら)」のエピソードとか沢山聞いてきた直後でしたのに((_ _(-д- 。)ペコリ

また父母の墓所のお寺の前も「諏訪神社」なのです((_ _(-д- 。)ペコリ
いつもお参りしてました((_ _(-д- 。)ペコリ

母が数え12歳で巫女舞舞わせていただいたのも諏訪神社様なのです((_ _(-д- 。)ペコリ

素通りしようとしてました⁽⁽◝(⊙ꎁ⊙ㆀ=͟͟͞͞⊙ꎁ⊙)◜⁾⁾


何しろ
山中湖キャンプの時に北口本宮浅間神社様で諏訪神社様の御朱印頂いておいてですよ??

何をここに来て
元つ宮に詣らぬのか!!?

ままや?否やや?

と問われてしまいましたぁ(°▽°)
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諏訪大社は四宮あるのです😺

まずは上社前宮。。

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思えば、
諏訪大社は御柱祭(おんばしらまつり)で有名で、
凍った諏訪湖の上を御柱が走る、
死者も出たりするので、日本の数ある祭りの中でも
荒々しい祭り、勇ましい祭りとして有名ですが、
古代アマカミの『ミタケバシラ』みたいなものなのでしょうかね(♡´◡`♡)

祭・民俗学研究家ではないのでそのお祭りの成立ち・経緯に就いては省略いたしますが。。。



続きまして上社本宮
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原源右衛門親貞の匠の技の見事な彫刻!!
御神紋は「梶の葉」ですね♪
本宮はとても立派で見どころいっぱいでしたよヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙


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諏訪大社(上社本宮)で御朱印(左)を頂いて初めて気づくのです、あ!!Σ('◉⌓◉’)
もう既に北口本宮冨士浅間神社からの諏訪の神のお導きがあったことに。。。

私、実は北口本宮冨士浅間神社で御朱印(右)をいただくときは
諏訪神社の御朱印もいただく気はなかったのです、
単に断れなくてハイ。。。と。。。
まして富士吉田では、諏訪に行く気はさらさらありませんでした😺





ここでね、その御祭神タケミナカタ様のお話をさせていただきますね(♡´◡`♡)



そもそも最初に登場するのはホツマツタヱ10アヤ『カシマタチ・ツリタイのアヤ』
です。
出雲のクニを豊かに豊かに導いたオホナムチ・クシギネ様ですが、
キツキヤシロ(杵築大社。出雲大社)があまりにも立派になり
皇居よりも立派にしてしまいます。
出雲一地方にとっては豊かになって良かったとは思いますが
古代からアマキミ(天皇陛下)という方はヨモヤモ(四方八方)を統べる方でいらっしゃいます。
そして元からそのタカマ(朝廷)とはタミの民意の象徴・代表なのです。
一地方だけが豊かになり贅沢をしても
日本の国々全て(シキシマ)が豊かにならねば不公平ですよね??

それで再三注意・警告をしに沢山の人を遣わしましたが
みんな出雲の都会さ、豊かさ、贅沢さに溺れて帰ってこなかったのです。

  ①ホヒノミコト(アマテルカミの最初の皇子)
  ②オオセイイ・ミクマノ(ホヒの息子)
  ③アメワカヒコ(アマクニタマの息子。カナヤマヒコの孫。シタテル・オクラ姫の兄)

それでも皆役目を果たせなかったので
右の臣(カ・シマ)の役職を断つ(タチ)『カシマタチ』の為に
タケミカツチ(カシマカミ/鹿島神宮)とフツヌシ(カトリカミ/香取神宮)が最終的に遣わされます。

タケミカツチ様に至っては、
普通の人の平均身長が8タ(ヤタ)(160㎝くらい?)だったのに
1タケ6タ、つまり倍(320㎝くらい?)あって、雷をも拉げる力でした。。。


それに恐れを為し、
迎え撃つ出雲は『タケミナカタ』です



◞≼◉ื≽◟゜;益;◞≼◉ื≽◟)  タレカワガクニオ シノビシノビニオトサンヤ!!

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しかしタケミカツチ・ヒサヒコ様はもっと強かったぁ+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚




タカミナカタ様はタケミカツチ様に
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淡路島の伊弉諾神宮の石碑について書かれた産経新聞様の画像より拝借。
(あ、距離感の為だけに地図貼ろうと思ったらこんなのが(*≧ლ≦)。。)


出雲からシナノウミ(現・諏訪湖)まで追い詰められます((((;゚Д゚)))))))
 

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諏訪湖の『スワ』とはすわ!一大事!!』の『すわ』なのです(●ꉺωꉺ●)

こうして命乞いと引き換えにシナノ(信濃)を守る誓いをしたタケミナカタ様なのでしたヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙






次に下社の春宮に詣りました😺


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諏訪大社 下社・春宮楼門

下社は諏訪湖の畔にあります😺

タケミカツチ様に追い詰められて信濃のカミ(守)になったタケミナカタ様は
タミを我子の如く大切にし、
また寒い信濃(長野)は冬になると食糧が乏しくなり、
海もない長野ですから
アマテルカミの肉食禁止令(含む鳥鶏肉)に陳情して訴えます。


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 ここで注目したいのは『アイモノ』という言葉です(●ꉺωꉺ●)

これは塩魚や干し魚類の総称なのですが、
フレッシュ(生)でない、という意味です。
間の、間に合わせに、なんて意味ですね♪
きっともっと加工された?練物、或いは物凄い塩漬けなんかの中間みたいなものかも😺
うちの母なんかは、盛夏や厳冬でない時に着る服を『間着(あいぎ)』と呼んでましたし
『あいの(相の、間の)』って言葉、使ってました😺

きっと元々は『魚』の意味はなかった筈です、
『ア・イ・モ・ノ』のどこにも魚要素が無いからです😆
『アイモノのウオ(魚)』な訳です😺


その次!!
『ヨソ(40)あり』と(΄✹ਊ✹‵)
干物とか、現代なら味醂干し、味噌漬け、醤油漬け、粕漬け、
様々な相物(の魚)があります!!
それが40種類もあったってことでしょうねぇ。。


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今年のお正月前に越前・小浜の小鯛の笹漬け(高級!!)贈っていただきました(。-人-。)
杉樽に入ってて、めっちゃ美味しかった੭່ʓ (Ō̥̥̥̥̥̥̥ ԑ Ō̥̥̥̥̥̥̥ ૢ) ੭່ʓ ありがとうございました!!
1日目はお刺身でいただき、2日目は手毬寿司にしてみたょ❤︎ 玄米だけど♪
昆布と塩と軽い酢で漬けてあるのかな?こういうのも『あいもの』ね♪
 


そしてそのアマテルカミの詔が語源の名前が富山にあるんです(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…

『四十物(あいもの)』さん!!
富山県東部を中心に魚の塩漬けなどを扱う行商の屋の名前。四十物町。


そうです!!
海のない信濃ではきっと越中・富山や越後・新潟などのコシ(越)からお魚の干物などの
行商人が来たのでしょうね!!
諏訪と松本の中間に『塩尻』って地名があるのも、
日本海方面からの塩を運んだ終点だったのでしょう。。。


私は母方が松本ですから、
父方は隣の山梨ですけど、食糧の豊かさ・厳しさは全然違いました!!
それは言葉の言い方や気質にまで関係しています。。

さすが『あゝ野麦峠』や『姥捨山』の伝承がある位、信濃の冬は厳しかったのですよ。。
(山梨は豊かですね♪)
全国で寒天の生産が第一位なのも、
また高野豆腐、氷餅なんかがあるのも、
放っておけばフリーズドライになってしまうから。。😨
また小さい頃はお葬式のお料理なんかは
『蒟蒻のお刺身』『油揚げのお刺身風』『寒天のお刺身』『様々な寒天料理』
そういったお料理でした。。今は輸送が発達しましたから長野でもお刺身食べますが。。


まあそういう訳で
スワのカミ(守)タケミナカタ様は
鴨などの水鳥を許してくれ、とお願いしに行ったのですね😺
でもアマテルカミもまたタミの健康、血穢れのことを想って
もし食べるなら21日間、蕪(や大根、生姜、葱なども出てきます)を食べて解毒しなさいよ、とのたまわれます。
 





さて最後に下社・秋宮に参ります♪(*〇´∀`艸)*゚


 
諏訪大社下社秋宮鳥居


先ほど、タケミナカタ様が冬の水鳥をタミの食糧として良いか?
アマテルカミに陳情した話を出しましたが、
タケミナカタ様は信濃に来てからタミの為に『トミ』『(クニ)カミ』として
ひとふるに尽くされます(*´∇`*)

我国に於いては
トミやカミはタミの為に身を粉にして働かれていらしたのですよ。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。
だから尊いのです(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)


以前の記事『470円で!??』(◁◁クリックで飛びます)にも書きましたが
ホツマツタヱの下巻にもタケミナカタ様のお話は登場します。


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第7代孝霊天皇フトニ様は、三つ子が二組生まれますが、
タミは中々三つ子が生まれると生活も大変なので間引いて殺すときこし召されたフトニ様は

『我が子であろうが、決して親の所有物でもなければ
その命を殺めても良いということもない!
人間というのは誰であってもアメ(天)の大事な胤(タネ)なのだ。
鹿や犬の千匹(千頭?)よりも人一人の方が重いのだ!
これが『タケミナカタ』の御教ゑのノリ(則、宣、法)であるのだ』
と宣われたのです。。。


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またその詔が定まるとスワのハフリ(祝)がハラミヤマ(富士山)の絵を孝霊天皇に献上しに来ます。
同じ時、白髭スセリ(ニニキネ様の三つ子の皇子のうち真ん中の皇子。ウミサチヒコ)の孫のアメミカゲ様からアワウミ(近江。琵琶湖)の絵が届きました。
山と湖との絵合わせに感激したフトニ様(孝霊天皇)はハラミの宮に行幸されるのです。

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この(タケヒテル様のいらっしゃる)『スワ・サカオリ』が何処ぉ??ムムム。。:;(∩´﹏`∩);:
なのです。。。
タケヒテル様とは本当にご長寿ですけど、ニギハヤヒ様の弟君なのですよね😺
ニニキネ様の長男のハラヲキミ・ムメヒト様の次男なのです。
お兄様のクニテル様がニギハヤヒ様としてカグヤマヲキミとなられてしまった故に
ハラ宮(ムメオゝミヤ・梅大宮ね、駿河か?)を継がれたのですね😺


しかし24アヤのニニキネ様の記述でも『3トコロ』と書いてあるしです💦

富士山の周りの浅間神社もめっちゃ多くて
山中湖にも諏訪神社あるのですけど、
多分古さから行くと北口本宮浅間神社の諏訪神社が近いのかなぁ??。。と睨んでますσ(・ω・`@)

この32アヤのスワの祝(はふり)が
長野の諏訪大社だと遠過ぎて。。。。です。。。

もう最大遠さで譲歩しても甲府の酒折宮位と思うの。。。



諏訪大社下社秋宮本殿

で、諏訪大社の下社秋宮に戻りますが、
上社と下社はだいぶ趣も異なります。
下社の〆縄太いのは出雲からいらした名残ですかね(*´∇`*)??





 
諏訪大社・筒粥殿(下社春宮)
諏訪大社下社春宮・筒粥殿

諏訪大社は『御柱(おんばしら)』や、諏訪湖の氷の亀裂の走る『御神渡(おみわたり)』、
また鹿の頭を捧げる奇祭としても知られる『御頭祭』など色々ありますが、
今でも残っているヲシテ時代から続く『粥占神事(カユウラ、カユフトマニ)』でも
特に厳しく当たると有名です(●ꉺωꉺ●)
 ✳︎粥占神事の画像『こちら』(◁クリックで飛びます)にあります

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やはり古社だけあるわぁ。。 


またホツマツタヱでも『スワ・ハフリ』が活躍している古社なだけあって
諏訪家の大祝(おおほうり/おおはふり)は大変崇敬されていて有名ですね!!


 


そんな感じでお詣りして
お招きいただいたのを感謝しながら
戸隠に向かう私なのでございました。。。*。⋆ฺ(*´◡`)ノ


ではまた諏訪の前の阿智村や
諏訪の後の戸隠も書けたら。。。。



今日もお読みいただきありがとうございました(♡´◡`♡)








 

龍の飛ぶ岬



(✿ˇДˇ)♪上野発の夜行列車
(✿ˇДˇ)♪降りた時からぁ
(✿ˇДˇ)♪青森駅は雪の中ぁ


   唐突ですが、2018年の記事の続きです💦
        (△クリックで飛びます△)


雪もまだない季節でしたし
列車ではなくマイカーですけど(*≧ლ≦)
夜行列車も今はないね(๑>◡<๑)
青森駅
青森駅は、全然『竜飛岬(たっぴみさき)』には近くはなかったです。
行ったの28アヤ暗唱達成した2018年10月14日の前日、
2018年10月13日です。
一応最後まで練習してたのですが完璧に入るまで(磨くよ)旅の途中でも練習してました😺


その日は朝から三内丸山遺跡(8時前に到着)とかも巡っていたので
青森駅に着いたのは11時ごろですね!



三内丸山遺跡や東北の遺跡巡りの話もいつか書きますね(♡´◡`♡)
この本を携えて行くと良いなり(○´3`)ノ
古代の日本がわかる事典
北川 隆三郎
日本実業出版社
2017-03-24




お弁当を詰めて大館の友達の家を出発したのは朝7時前でしたが朝は高速道路が霧で前方見えなくて怖かったです😹


今は北海道まで新幹線が延びていますが、
昔は津軽半島と下北半島の分かれ目の青森駅で電車(汽車?)を降りて青函連絡船に乗ったのですね😳
どこから乗ったの⁽⁽◝(⊙ꎁ⊙ㆀ=͟͟͞͞⊙ꎁ⊙)◜⁾⁾??


青森(駅。青森市)から竜飛岬に向かう途中、青函トンネル記念館も通ります😺
青函トンネル記念館



(✿ˇДˇ)♪ご覧あれが
(✿ˇДˇ)♪竜飛岬(たっぴみさき)
(✿ˇДˇ)♪北のはずれとぉ 


 この「ご覧』というのは船から見えた!という意味ですね👀
竜飛岬から船に乗ったのではなくて、青森から早既に連絡船に乗って
竜飛岬も通り過ぎたよ、という歌ですね👀
「これが」でも「ここが」でもなく「あれが」ですからね!
今更ながら(((✿ฺ≧▽≦)彡☆ 

竜飛岬最北端


さぁ、やってきました!!本州最北端。。。は下北半島だっけ??
では津軽半島最北端!!
目の前は津軽海峡٩꒰ ´ᆺ`꒱۶
青森駅前は雲多かったけど、お天気も良くなって下北半島も北海道、見えます👀 


ホツマツタヱ前半28アヤのラスト近くの『ソトガハマ(外ヶ浜)』に来たかったからです+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚
 ※しかし北東北に来られたのも本当に偶然なのです!大館の友達が東京に来た時、明日仕事だから今夜大館に帰る、というのを「じゃあ送って行こうか?」と来てしまっただけなのです、たまたま。。。



 


ホツマツタヱの記述はこうです٩꒰๑❛▿❛ ॢ̩꒱コレ
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青森・外ヶ浜地図


外ヶ浜って結構広いのですけど、
3つ姫(タケコ・タキコ・タナコ)様が祀られている、
つまり弁財天社がある筈!と思っていました😺

  長女タケコ様は竹生島(弁天/弁財天)  
  次女タケコ様は江ノ島(弁天/弁財天)
  三女タナコ様は厳島(弁天/弁財天)
にそれぞれ祀られていますが、
琴がお上手だったので、後にヒンドゥー教のサラスヴァティーから
仏教習合して弁財天と。。(΄✹ਊ✹‵)


『みんまや』って!??


みんまや竜飛岬



外ヶ浜町・三厩(みんまや)六条海岸。
三厩とは三つの厩(うまや)のことだそうですが、三つの厩とは
タケコ・タキコ・タナコ様、
三つ姫の事でしょうかσ(・ω・`@)??

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外ヶ浜町・三厩龍浜

なんと!龍浜ですよ(΄✹ਊ✹‵)
さすが龍(タツ)が飛ぶ岬です!!






その津軽半島最北端の一番北の小島(帯島)に、
ありました!!弁財天宮!!


外ヶ浜・竜飛岬帯島弁財天宮
帯島弁財天宮


祀ったのはシマツウシさんなのでしょうね。。
(39アヤではソサノヲ様も祀ったっぽいけど、実際この地ソトガハマで祀ったのはシマツウシさんとあるね)
勿論3000年近くの間に、海岸線も変わったり、また地震や津波があったりで、
今とは違うとは思いますが。。。

ここまで来られた恵みに感謝しながら竜飛岬帯島弁財天宮にお詣り。。(。-人-。)

勿論、ここで28アヤ暗唱(o_ _)ノ彡☆バンバン



秋晴れでお天気も良くて気持ち良いけど、
こんな北のはずれは、冬は寒かろう。。
どんなにか寂しかろう。。。
海鳥(ウトウとか)が寂しく鳴いているのでしょうね。。。




そしてこのタツ(龍)の飛んだ先は一体どこだったのでしょうかσ(・ω・`@)??
この時は北海道までは渡れなかったのですが、
洞爺湖辺りも弁天島ってあって、龍神を祀っているそうですよ👀
エゾシラタツのダケにマツ
今カミとなる虚しさよ
ですからねぇ😨
 (外ヶ浜のオロチは越国→信濃ですけどね)

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『エゾ(蝦夷)』と言っても「北海道はなかっただろ??」と思われますか👀??

こうして縄文遺跡のマップを見たら、同じ縄文土器が発掘されたり遺跡が出たりしているのですから、
タツ(龍)だって海を越えたかも?ですよ(*´∇`*)
だって竜飛岬の先は海で、その先 北海道あるのが竜飛岬からも見えるんですもの!!




津軽半島近辺にも結構龍を祀る神社あるみたいですけどね(♡´◡`♡)

津軽半島・龍の神社



丁度ここに来た2ヶ月前に
コカシラのオロチの最終的逃げ先、戸隠(トガクシ)も行っているので、
また気が向いたら書きますね(*´∇`*)

そしてこの1ヶ月先には宇佐にも行く機会に恵まれました❤︎


 
東屋・四阿

外ヶ浜も結構長いのですけど、ちょっと眺めの良い東屋でお弁当いただきます(●´)З`)))モグモグ
  My弁当籠、Myカトラリー、My風呂敷もいつも持参⭐︎  
この日は、私が焼いた卵焼きと前日に大館のスーパーに行った時に見つけた腹子で花たらこを私が煮たのに、友達の炊いてくれた玄米と、友達のご主人が焼いてくれたシャケと、私が茹でたおひたしと、青森りんご





さて最北端から南下して青森市内に戻ってきたのはもう夕方でした。。

自車の前にタンクローリーとか走ってると、とても遅いのですけど、311のことを思うと、特に寒い東北地方、北の果てまでガソリン運んでくれる車は有難い生命線なので、タンクローリー様の後を一本道、ゆっくり追随します🚚💨💨🚗💨💨



善知鳥神社鳥居
来ました!!善知鳥(ウトウ)神社キャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー




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イトウカミの意味が『ヨキおシル ナ ゾ』から『善知鳥(ウトウ)神社』に残ってます༼☉ɷ☉༽ホホゥ....


ホツマツタヱの記述で、「神の御饌 食(は)む ウトウ あり』
ウトウという鳥はこんな海鳥です(∩╹∀╹∩)
ウトウ



イトウの意味についてですが、前後の文脈からの推測に過ぎませんが、
イツクシマ・・・とかから慈しむ、愛おしむ、みたいな言葉だと思われます。
あるいは、母の愛的な意味も含まれるのか?それは単に後世の解釈なのか?
『善きを知る』としかホツマツタヱでは解説されていないので、そんなところにしておきます。

オホナムチ様は『イトウ』を知った故に、長女タケコ様を娶った、
とあるのですから、三つ姫の母ハヤコ姫には色々あったけれども、残された三つ姫は琴を愛で、
そしてトヨ姫アヤコ様やさまざまな方に育てられ、心は優しく真っ直ぐにご成長された、ということではないかな。。。


また39アヤではソサノヲ様が祀った「イトウヤスカタ」ツカリヤスカタ(39–88)と出てきまして、それに因んで塚を造った、とありますから
=罪、カル=刈る、枯る
ヤスカタ=安らかになるような形にする。安く(安らかに)なるように片付ける。
と共に、『ツカ・る』=塚を作る。
また『ツガリ』⇨『津軽』という地名も掛け合わせているのでしょう。。

または
ソサノヲ様→ツカリヤスカタ
シマツウシ→イトウヤスカタ
で微妙に意味合いが違うかもですね!
シマツウシさんにとってはハヤコ姫はお祖母ちゃんだし、タケコ姫は父の后だし。。
(シマツウシさんはオホナムチさんの子とは出て来ますけど、津軽に行ってから生まれたっぽいですし、母がタケコ姫なのか?は私には疑問が残るのです。。しかし生みではなくとも「母」には当たりますし、
またシマツウシさんの曽祖父イサナギ様の孫がタケコ姫ですから、血縁もあるにはありますね♪)

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あ、いました!いました!
善知鳥神社の黄色い幕にウトウちゃんが(๑´ლ`๑)フフ♡
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伝説では、『ウトウ(善知鳥)』という鳥は、
親鳥が「ウトウ」と鳴くと、子が「ヤスカタ」と答えると言われる伝説上の鳥『善知鳥安方(うとうやすかた)』があり、「善知鳥」はその略称としても用いられている、
とのことლ(;ʘДʘ)ლ


でも、何故、この地方(と北海道)の海鳥「うとう」が「うとう(本当は「いとう」だけれども)」に「やすかた」なのかは?
このホツマツタヱの伝承が残されていた→後世に尾ひれはひれが付いてしまったとしか考えられないですよね(つ∀<。)
そして漢字が「善きを知る」と書くのかも!!!


また長野県塩尻市にも「善知鳥峠」があり『善知鳥伝説』残っていて、それは能『善知鳥(うとう)』の演目にもされています。
外ヶ浜から信濃〜立山(越中)って凄い(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…


能の演目『善知鳥(うとう)』には
ウトウという鳥を殺して生計を立てていた猟師が死後亡霊となり、生前の殺生を悔い、そうしなければ生きていけなかった我が身の悲しみを嘆く話。
旅の僧侶が立山(おお!シラヒト・コクミがクラコ姫を追いやった地ですねっ💦)に差し掛かった時、猟師の亡霊が現れ、現世に残した妻子の家に蓑笠を届け仏壇にあげてくれるように頼むのだそう。。そして猟師は自分だ、という証に生前着ていた着物の片袖も渡します。
僧侶が陸奥国の外ヶ浜にある漁師の家を訪ね、僧侶が漁師の片袖を見せると妻子はただ泣くばかり。僧侶が蓑笠を仏壇にあげ経を唱えると、漁師の亡霊が現れ、地獄の辛さを語り、殺生をしたことや、そうしなければ生活していけなかった己の身の哀しい人生を嘆きます。
「ウトウ(鳥)」は、親が「うとう」と鳴くと、子が「やすかた」と応えるので、猟師はそれを利用して声真似して雛鳥を捕獲していたため、地獄で鬼とカシタウトウに苦しめられ続けていると話し、僧侶に助けを求めるとのこと。。



歌川国芳・相馬の古内裏(善知鳥安方忠義伝より)
歌川国芳『相馬の古内裏』
山東京伝によって書かれた『善知鳥安方忠義伝』を参考にして描かれたとされる錦絵。 


ソサノヲ様の孫のシマツウシが『イトウヤスカタ』と祀ったこと、海鳥『ウトウ』のこと、
それに『母子の話、母が子を思う気持ち』『立山』という要素が混じっていった経緯には、
正に古代はホツマツタヱの話が残っていたのでしょうね。。。
28アヤ(イトウヤスカタの記述含め)記されたのは(神武天皇即位元年をBC660年とすると)B.C.668年。
(ソサノヲ様の時代はさらに200年以上は前だと思います。)


富山や信濃も結構残っているし、青森も凄いわぁ〜〜ヽ(;▽;)ノ






さらに境内を廻り、お詣りします、閉門17時まで残り僅か!!



弁天社

池があって、あ!弁天社、見えます👀
ちゃんと三つ姫様(タケコ、タキコ、タナコ様)祀られてますね♪(*〇´∀`艸)*゚
(何故、この三人を宗像三女神というか?については、いつか。。
か、べべ組に入って下さいね♪ 一般講座では話してたけど、下地が無いと話せども砂地に水💦)


弁天社

タツ(龍神)も祀られてます、流石っっ!!


ちゃんとここまで残っているのに、
ホツマツタヱの話が分かられていないのが
いつも思うに誠に残念ですよねぇヽ(;▽;)ノ

偽書、ギショ、言う人たちは、全国各地の伝承から、
どうぞ物語、系図、文字まで作れるものなら作ってみてはいかがでしょうか??


善知鳥神社内龍神宮
善知鳥神社・龍神宮



善知鳥神社様の観光情報サイトにめっちゃ素敵な『善知鳥舞』のお写真😻があったから
是非是非ご覧になってみてぇ💕△クリックで飛びます△






津軽と云えば、オホナムチ様も出雲から津軽に転任なさって
『ツガルキミ』『カルキミ』と呼ばれましたからゆかりの深い場所です(♡´◡`♡)

カツウオ(鰹かしら👀?)を入れて田を肥やしたカツミネヤマとは
ここではないかしら(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…海も近いし。。。
ヰユキ山と思われる岩木山も近いし!(ヰユキ→ヰワキね♪)
カツミネヤマ?


 さて、今日もお読みいただきありがとうございます♬♩♫♪☻(●´∀`●)☻♪♫♩♬


一本ボツにしたのですが、
もう一本はこの記事と並行して書いていたので、
近日中にアップ(できると思いたい。。)予定ですので、
どうぞまた読みに来て下さいねぇ( ´ ▽ ` )ノ



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青森のりんご畑
 

 

スガハにキヅくクシイナタ宮


前号書いたついでに
ソサノヲ様の事、2015年の6月の事ですから
もう6年半も前の事になります。


その時、広島の彼の家に滞在していて、
出雲の佐太神社で巫女舞奉納が夏至の日にあるという事で、
他の皆さんは東京からでしたが
私は広島からバスで行ったんです😊

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それで足はバスしかないんですけど、

どうしても行きたい所がありましたっっ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)





それは須我(すが)神社です!!

ここね、日本初の和歌が詠まれた宮と言われてるんですよΣ('◉⌓◉’)
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その謎と共にそれをホツマツタヱで見ていきましょう(○´3`)ノ



うわーん、それ書くと記事3つ位になってしまうので前記事参照にして下さい!!
                  (↑読んでね♪ ↑クリック↑)




スガハにキヅクミヤの名も
クシイナタなりヾノ。ÒㅅÓ)ノシ


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   ★あ、『キヅク』から『杵築(キヅキ)大社(出雲大社の古名)』になったのかも?と気付。。


私はね、
そのクシイナタ・ミヤとはっっ!!


ソサノヲ様の初恋のハヤスフ姫も
【ミヤ・ナク】という理由で断られて、
ですよっっ!??

そして
ムカツ姫の妹ハナコ姫も過失致死で
56してしまって、
最も慕っていた姉上ワカヒメにも「ハヤカエレ!」と言われてですよっっ!??


そうして8年…



遂に持てた【ワガクニ】【ワガミヤ】!!



この【ワガクニ】とは
ソサノヲ様のみの使える【ワガ】であって、
私達の日本という意味では決して無いのですヾ(≧▽≦)ノあははは!



それが
残念ながら
ワガクニ→我が国→日本
初の宮とウタになってしまいました(◜(◜▿(◜▿(◜▿‾ (◜▿‾ ( ´▿` ) ‾▿◝) ‾▿◝)▿◝)▿◝)◝)


それよりも前のワカウタ(和歌)ホツマツタヱにも沢山あるのにですよぉ(;≧ꌂ≦)??



これが
日本初の宮、日本初の和歌
と言われている謎なんです。+゚(つз`o)゚+。


でもっっ…

でもっっ…


ツマコメのミヤ
スガハに築いた宮は間違いなく
須我神社だと思ってるのです。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。


須我神社は御祭神が①須佐之男命
         ②稲田比売命
         ③八島士奴美神

  おおお!!③に注目!!
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うわぁ〜〜、クシイナタ宮で初めて生まれた子だლ(;ʘДʘ)ლ
ヤシマシノミのオホナムチ

ソサノヲ系図

 


その奥宮…




ところが…
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須我神社で社務所に向かい
「奥宮に行きたいのですが、どちらでしょう??」と訊きますと

宮司様が
「奥宮ァ?…車ですか??」

べ「いえ…歩きなのですが…」


宮「歩いたら2時間掛かりますよ???」

꒰꒪д꒪|||꒱ガーン꒰꒪д꒪|||꒱ガーン꒰꒪д꒪|||꒱ガーン



無知とは恐ろしいものです(⌇ຶД⌇ຶ)



諦めてお参りしておりますと…




「お嬢さん」と声が掛かります…


私ィσ(・ω・`@)??


お嬢さん、だなんて呼ばれる歳でも無いし(◞ꈍ∇ꈍ)


でも周りには誰も居ません👀


私かなぁσ(・ω・`@)


と思いつつ、
社務所に行きますと…


宮「あぁ良かった!この人がね、車で連れてってくれるって!!」


べ「え!??よろしいんですかぁぁ??」


見ると、
丁度ピンクの服を召したお嬢さんが(΄✹ਊ✹‵)


私もピンク!!


なんだか申し合わせたよう+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚


そのお嬢さん、万里絵さん(仮名)は、音楽の先生みたいで、地元にお住まいなんだそうですけど、須我
神社の事は知らなかったみたいです😺
本当は今日は、お茶のお稽古に行く筈だったそうです😺
しかし急に先生のご都合でドタキャンになって、それで車で走っていたら、おや?こんな所に神社が…と気づきたまたま寄ってみたそうです😺



 たまたま…


車中でBebeは
熱く熱くソサノヲ様の事を語ってしまいます( ;´Д`)


そして奥宮到着!!




そして9アヤ「ヤクモウチ・コトツクルアヤ」を熱く暗唱させていただきました。




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Bebeもピンク!!


 

一緒に横にいた万里絵さんも涙ぐんでます。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。


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万里絵さんもピンク!!
 

私だって万感の想い!!


なんだか二千年?三千年?ぶりに
漸く巡り会えたような想いですもん!!


ここでっっ!!


9アヤ、暗唱するの夢でしたし、
ここでノらなきゃ!!
と思ってましたもん。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。




アラカネノぉ…
ツチにオチタル
サスラヲノぉ…







コト(琴)の奏でで生まれたお子さん
(きゃーーーーっ!!コトについて書きたいっ!!と6年以上書きかけ放置記事が( ;□;)ノシ))パタパタパタパ)
クシギネ様は殊に優しかったそうで、

そうして6弦(ムツ)の琴で
睦(ムツ)みて治めた出雲の神社の
ご神紋をご覧下さい!!
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なんと!!みな六角形(亀甲紋)(΄✹ਊ✹‵)

しかもよぉ〜〜〜くご覧になって!!
二重でしょ??これは『八重』ということです(`◕‸◕´+)キリッ!
はい、ヤヱガキのトミ(ヲミ)(ヤヱガキハタを賜った)を表しているのではないですかぁ(◜(◜▿(◜▿(◜▿‾ (◜▿‾ ( ´▿` ) ‾▿◝) ‾▿◝)▿◝)▿◝)◝)??


このヤクモウチはヲロチにムツのユツ(弓弦)掛けて!!
討ったので、
また6筋の琴だったのでムツ(6→六角形、亀甲紋)
更に『ヤヱガキ』だったので二重→子持ち亀甲紋
なのですよキャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー


それが証拠に今でも出雲の神社各社の御神紋が子持ち亀甲紋であるばかりでなく、

六弦の琴のク・シ(霊妙なる)音色で生まれたオホナムチさんが赴任(左遷?)
した先は『ムツ(陸奥)』の国なんですよ!!!!!



そこから出土してしまいました!!
琴の名手のオホナムチさんの管轄地から。。。。


 
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世界最古の弦楽器か、と言われている約3000年前の琴が
青森県八戸市の是川中居遺跡から出土しました



とくとご覧あれ!!
男女が抱き合って『ムツ(睦)みあっている』では無いですかლ(;ʘДʘ)ლ



これ絶対6弦の琴だった筈!!と9年間信じてきましたが
最近復元されたのは『3弦』なんだそうです。。。
   ※あ、最近更に4弦出て来ましたが💦これも何処かが複弦のはず??ちゃんと復元して欲しい( ;□;)ノシ))パタパタパタパ

その謎は
『複弦』だと思います( ̄ー ̄)


カリブ諸国・中南米にはギターの仲間の弦楽器が沢山ありますが、
中でもキューバを代表するトレス(=3)は名前は3ですけど、複弦で6本あります👀
クアトロ(=4)然りですね👀


16アヤの『ハラミツツシムオビのアヤ』でも
ケフの細布(きょうの細布)はメヲ・羽二重で織ってゐたそうです。

このムツ(陸奥)のムツ(睦)ましいメヲが抱き合った琴も
メヲ二重で、ムツ(六弦)の琴だったに違いありません☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆







偶然という名のア・イに導かれ、
万里絵さんを遣わせていただき、
池田先生も懇意になさっているお豆腐屋さんにも連れっていっていただき




翌日・夏至の日には
佐太神社(イナタ姫のお父さんサタのアレヲサのアシナツチ様のミヤと思われます)
で巫女舞を奉納させていただきました(。-人-。)


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。.。:+♫+ ゜ ゜゜ *+:。.。:+♥+ ゜ ゜*+:。.。.。:+♫+ ゜ ゜゜*+:。.。:+♥+ ゜ ゜゜ *+:。.。.




その後。。。万里絵さんからのお話で、
万里絵さんのお母様のご実家は出雲蕎麦の老舗のお家なのだそうですけど、
Bebeと遭って須我神社の奥宮まで連れてってあげたこと、またソサノヲ様の話などお家でお話されたそうです。。
すると、万里絵さんもご存知なかった事実が発覚!!!

なんとその、お祖母様の家は代々続く出雲大社の御師の家だったのだそうです(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…



ここに、
万里絵さんをBebeに出逢わせて、万里絵さんのご先祖のア・イ『アメ(天)のイ(意)』が働いているとしか
思えないのですよね。。。(TДT|||)

出雲大社では『大国主命大神』ばかりがヒーローとして崇拝され、
その親??そもそもソサノヲ様とオホナムチ様との関係も七世孫とかにされちゃってますよね?
古事記では!!!

そうではなかったこと!!
スガハのこと、
ヤヱガキのこと、
伝えたかったのでは無いかなぁ(ღ′◡‵)





 お読みいただきありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ

また山脇ミッキーさまには私のblogのこと取り上げてくださり深く感謝いたしておりますヾ(●´∀`●)ノ
    (⇧クリックで飛びます)




では、記事の見直しもそぞろに、
そろそろカウントダウンのサルサイベントのお手伝い行ってまいります*。⋆ฺ(*´◡`)ノ



次の記事の下書きも書き始めてます♬


今年もありがとうございました!!


寒波来てますので、どうぞ暖かくなさって
良いお年をお迎えくださいませ♪(*〇´∀`艸)*゚

来年もどうぞよろしくお願い申し上げますヽ(゚∇゚(゚∇゚(゚∇゚o(゚∇゚)o゚∇゚)゚∇゚)゚∇゚)ノ ニパニパニパッ




2021年大晦日



べべ拝







 ★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜
  
  ソサノヲ様や出雲や「ヤクモタツ」についてもっとお読みになりたい方は
どうぞタグをご活用下さいませ(♡´◡`♡)

『出雲』タグ

『ヤクモタツ』タグ 


 

たった一言…

みなさん、こんにちは(´✪‿✪`)


少ぉ〜〜しだけMacBookにも慣れて来まして…、
またYouTubeの規約がつい数日前からまた変わったみたいで😨 音声のみの朗読アップロード出来なくなってて😹 仕方なしに映像(自分のカメラロールのありもので💦)付けてみましたヽ(;▽;)ノMacで…

動画、文字入れもしてみたいのですが、縦書き入れるのに結構手間掛かります((유∀유|||))



少しずつ、進歩している(と、思いたい)私です😆





さて…

一月ほど前でしょうかね??
ねずさんの結大学のYouTubeをたまたま視聴していた所
「記紀には出てこない、茨城にしか祀られていない『一言主』という神様がいる」(と仰ってた、と思う…。どの動画だか忘れちゃって探せないから定かでありませんが。。)

そこで、えーーーーーーーーっ!??
と思いまして、思わず「ヲシテ文献ホツマツタヱなら【ヒトコトヌシ】さん、出て来ましたよ!」などと珍しくコメント書き込んでしまいました(*≧ლ≦)


このヒトコトヌシのカミは
たった一言願うだけで何でも叶えてくれるんですって(΄✹ਊ✹‵)

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一言だけ願えば叶えてくれる神様って、こんな感じかしら👀??
Macでお絵描きしたいんだけど、その為のお道具買わなきゃならんみたいで、iPhoneで指で描いてるので細かい所描けぬが😹




一言主…  実は記紀にも出てきます😺

カミヨではなく第21代・雄略天皇の時代ですから
ヲシテ時代の300数十年ほど後の、西暦で言うと5世紀ですね🤗 
雄略天皇は日本書紀には散々な描かれようですが、伊勢神宮外宮にトヨケカミを祀ったり、
またヒトコトヌシカミが現れて一緒に狩をなさったとか😳✨✨




ではホツマツタヱヒトコトヌシ様を見てみましょう(´✪‿✪`)

ソサノヲ系図

ソサノヲ様の五男三女の内の五男
カツラギのヒトコトヌシ様です😺
(またはヒコトヌシとの表記もあります♬)


ソサノヲ様のお子様ご子孫は随分活躍なさってる方多くて、特にヤヱガキハタと出雲のクニを賜わってから後に生まれたお子さん=オホナムチ様以降、殊オホナムチ様の家系は代々オオモノヌシになっていらっしゃいますし、
こうしてホツマツタヱが記されたのもオホナムチ様の家系=ミワノトミによって記されています\(^o^)/


皇子オシホミミ様の御代には、
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宮中祭祀の世嗣を祈るご神事のカカンの役の父としてココトムスビ様がご登場(○´3`)ノ

またカツラギのヒトコトヌシ様のカダキ・ヤスヒコ様はアマテルカミからカツテカミというヲシテも賜り、

カスガ・ワカヒコ(アマノコヤネ)さんとコモリ・ミホヒコさんと共に仲良し3人組です😺


10アヤのカツテカミ・ヨツギヱルウタ
にも登場してます😺
カツテカミとはカツラギ・ヒトコトヌシの息子のヤスヒコさんです♪


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そんなこんなで
カツラギのヒトコトヌシ」様に会いに行きたいっっ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)

と行ってまいりました♪(*〇´∀`艸)*゚







桜井・橿原以降は一人で行ったのですが、ナビが古くて高速の入口が違ってて高速に乗れないヽ(;▽;)ノ


でも道に迷う(=自分の意志とは違う方向に導かれる)時って不思議と、
その何故か迷った理由が後に判りますヽ(;▽;)ノ

葛城までの下道は混んでいました😹

そしてなんとか下道走ってたら目の前に
こんな看板が(΄✹ਊ✹‵)

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えええええーーーーーーーっ!??
土地勘が無いし行く気無かったが、
もしかして前日39アヤ暗唱終わったご褒美(΄✹ਊ✹‵)????
 何処にあるのかも知らんかったが。。

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カミの白犬は現れませんでしたが、前の家の老ご夫妻がホントニコニコして人の良さげな方で、如何にも「お待ちしておりましたよ」と言わんが如くに
「どうぞゆっくりお詣り下さい」と仰って下さいまして…

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いやぁ〜꒰#'ω`#꒱੭
ホントは40アヤの暗唱終わってから参ります、と思ってましたが、
39アヤラストの木曽路の苦労(ヤマトタケ様の、ね!)が甦って感無量です・゜・(PД`q。)・゜・






その後、ようやく葛城の森脇に到着…


と、
ここも鳥居があるが、
宮が無い…😨

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写真は2番目の鳥居なんだけど、それより何百mか手前に唐突に畑の脇に鳥居があるの😳
と思ったら、
また弟ウガシ、シイネツヒコ様みたいなオヂ・ウバな農家のご夫妻が丁寧にご案内して下さって、
(えーーーっ😨!?鳥居の脇のこんな細い道🙀大きな🚗じゃ無理ね💦💦)
もう16時を回っていたのですが


写真鳥居に辿り着くとまたまた先程のそのオヂ・ウバが軽トラックに乗って現れました😆

「まあよく東京から遥々…ご利益あるよ!ゆっくりお詣りして来てね」と(#^.^#)



「ご利益(りやく)」って言葉、久しぶりに耳にしました👂


もうホツマツタヱを学べて、こうして神社まで巡れる事が既にご利益ですけどね。+゚(つз`o)゚+。



一言主神社参道


そうして階段を登って行きます!





葛城一言主(かつらぎひとことぬし)神社!!
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おお!!やはりヒトコトヌシ様はカツラギキャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー

奈良の中でも古社を誇っているとの事!!
そりゃそうですよねヽ(;▽;)ノ
カミヨですもんヽ(;▽;)ノ
ソサノヲ様のお子さんですもんヽ(;▽;)ノ

今、39アヤを学び終わった私も景行天皇41年は西暦で言うとAD111年位ですが、
ヒトコトヌシ様の時代はそれより800〜900年位は昔と思われます。+゚(つз`o)゚+。


これはその前に御参拝した
穴師坐兵主神社もそうですが、古社とありました!!
(△クリックで穴師って、の記事に飛びます)
ツハモノヌシ様はイサナミ様の弟君ですから、ソサノヲ様より更に幾つか年上と思われますので(でも年齢感としてはカツヲ君とタラちゃん位かも??)
ヒトコトヌシ様はソサノヲ様のお子さんですから更に若いですし、
穴師坐兵主神社はもっとずっと古い縁です(´✪‿✪`)


ヲシテ文献を読んでいく上で、
系図と共に時代を押さえて行くことって凄く大事だと思っていて色々授業にも取りいれてます😊


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中々立派な社殿でして、
それになんとも長閑な感じで素敵な境内でした(♡´◡`♡)


翌日辺りから奈良の天気予報雪❄☃と言うのにお天気にも恵まれ
あな嬉し!!あなありがたや!!

一言主神社境内
焚き火だ、焚き火だ、落ち葉焚きぃ〜〜ヾ(●´∀`●)ノ  



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あ、境内には雄略天皇の像も(′ʘ⌄ʘ‵)







そうしてお参りさせて頂き
帰りのオヂ・ウバのガレージで抜きたて大根とか里芋買って参りまして、
何しろ大根葉の炒り煮が大好き(*≧ლ≦)
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ジャコとゴマと、隠し味に鷹の爪も入ってます😺
里芋はお味噌汁にしたんですが、最近のスーパーで買う里芋の皮剥いていて手かぶれたことってなかったんですが、もう手の甲の側面や手首に近い部分が猛烈痒いの😹😹😹
いつ触れてたんだ?と思うほどですが真っ赤になってんのヽ(;▽;)ノ
それくらい力強い里芋はびっくりするほど美味しかったのです(๑´ლ`๑)フフ♡


ご馳走様でした(。-人-。)


 

今年中にもう一本くらい記事書けたら。。。

というか途中でほっぽりだしてる書きかけ記事も何十本とあるんだけどヽ(;▽;)ノ



今日もお読みくださりありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ




またね〜〜〜+:.゚(人>◡σ).。+゚


 

穴師って??アナシウヲカミのお話

皆さまこんばんは〜(*´∇`*)

少しmacでの入力が慣れてきまして、
また奈良へ行ったお土産として記事もアップしてみたいと思います。
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そもそも私が初めて『アナシウヲカミ』なる言葉を聞いた(若しくは認識したのは)
2013年の5月のことだったと思います👀

その5月31日にべべ組授業の発表会を行ったのですが
        (⇧くりっくでリンク飛びます)
ゆーちゃんの自由研究がツハモノヌシについて』でした(*´∇`*)
まだまだ私もゆーちゃんも、ヲシテの勉強を初めて半年くらいでしたが
ゆーちゃんが一生懸命調べて研究発表してくれたツワモノヌシさんの別名に
『アナシウヲカミ』があるとっっ(΄✹ਊ✹‵)

「アナシ」??それこそ『穴氏』??みたいなイメージだし
「ウヲカミ」だなんて『魚神』?『魚噛み』??
なんて聞こえちゃいます(((✿ฺ≧▽≦)彡☆
またの別名に「カンヲヂ」って、えーーーーっ??「缶お爺」??

プログラムは作りましたが、
やはり発表会本番のゆーちゃんのセリフで聞こえる響きは
不思議な感じでした。。。
まだまだ自分の暗唱も4アヤが終わったばかりでしたから。。



それでもゆーちゃんがツワモノヌシ様を研究題材に選ぶとは
流石なり(✧◡✧)✨✨
と今でも、というか益々思っているのです。。
   ★「ツワモノヌシ」と「ツハモノヌシ」の表記ありますが、お気になさらず



その後3ヶ月暗唱を休んだ私ですが
8アヤを暗唱終えるのは発表会から1年近く後の2014年4月下旬のことでした。。

そこでやっと『アナシウヲカミ』も『カンヲヂ』も理解は致しましたが
それでもツワモノヌシ様の本当の凄さに気づくのはまだまだ先のことでした。。。


  

。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜*+:。❀.。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃*+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。.





ところでホツマツタヱの10アヤ位までで
つまり前期で、
ツワモノヌシ様のご活躍は圧倒的なのです。
ツワモノヌシ様だけの記述ってあまりないのですが、
相当この方はアメナルミチの凄いカミでっす(`◕‸◕´+)キリッ!


ホツマツタヱの各アヤ冒頭で
『モロカミノ  タカマに。。』シリーズで最初に始まるのは
3アヤなんですねぇ👀

1アヤ「ソレワカわ」
2アヤ「コノトキニ」

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3アヤ
モロカミノ タカマにマツリ

ハカルノチ ツハモノヌシ
フタカミノ ヒヒメミヲウム
トノヰツツ  トエバカナサキ
コトフルニ 



この場面だけでもタカマ(マツリゴトが行われた場)に於いて
ツワモノヌシ様が積極的に学んで理解しようという姿勢と資質が窺われます(♡´◡`♡)
唐突に登場するツワモノヌシ様とは誰なのか?
まだ3アヤでは理解できません(未だ記されてないから)



  🐣  🐥  🐣  🐥  🐣  🐥  🐣  🐥



次にツワモノヌシ様が登場するのは6アヤで、
ここで「ツワモノヌシとは誰か?」が初めてわかるのです👀



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ここでヤソキネさんの弟カンサヒさんの更に弟がツワモノヌシだとわかるのです😺


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★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜☆。.




次にツワモノヌシ様が登場するのは7アヤです(∩╹∀╹∩)
ここは沢〜〜〜山のご活躍がありますが、
やはり冒頭から息巻いて登場です!!!

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6アヤで北陸に留まったツハモノヌシ様ですが、
7アヤではイサナギ様の弟クラキネ様を取り巻くシラヒト、コクミなどの不正をいち早くタカマに報告なさいます。






更にアマテルカミの岩室隠れにもなんとかしようとオモイカネ・タヂカラヲ父子と協力してご尽力なさいます(`◕‸◕´+)キリッ!


     1044           ツワモノヌシ
7−35  1045  マサカキの カンヱわニタマ
        1046  ナカツヱに マフツノカガミ
        1047  シモニキテ カケヰノラント
           (以下省略)
 

 
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岩室から外を覗かれたアマテルカミをタヂカラヲ様がアマテルカミの御手を引き出だしますと
ツワモノヌシ様は〆縄を引き「もうこの岩室にはお戻りにならないで下さいませっっ!!」と。。。
何よりもアマテルカミがアメガシタをシラして下さることを望んだツワモノヌシ様なのでした。。









続きまして 8アヤ!!
ここは709,000人のハタレの騒乱のアヤですが、
そして大将(ミソギツカサ)のカナサキ様を筆頭に
ムマサカミである①フツヌシ
        ②タケミカツチ
        ③カダマロ
        ④タヂカラヲ
        ⑤クマノクスヒ
        ⑥イフキドヌシ
の活躍ばかりに注目されがちですが👀

何しろタイトルに注目なさって下さいっっ!!!

タマカヱシ・ハタレウツあや』
 
実はハタレを討った、ということよりも『タマカヱシ』を重要視なさっているのです(΄✹ਊ✹‵)

8アヤの本文見てみましょう👀



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8−43   1319         ココすトのミチ
      1320  ヲヲンカミ  ツハモノヌシ 
8−44   1321  フツヌシと  タケミカツチに
      1322  タマカエシ  サルサルサワに
      1323  オコルミチカナ





そして8アヤ最後が凄いのです!!!


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8−93   1518         ツワモノヌシが
      1519  タマカエシ  キヨキマコトの 
      1520  ハナフリテ  ミチにアもナシ
8−94      1521  シキアガタ  アナシウヲカミ
      1522  ヲシテソエ スエテウツシヒ🌞
        1323  カンヲヂ


そうなんですっっ!!!
8−43〜8−44でほんの一言
ツハモノヌシとフツヌシとタケミカツチにタマカエシ
と出ていただけですが、
8アヤ全体でアマテルカミから最大級に褒め称えられていたのは
ツハモノヌシ様(とその子、ココトムスビ)と言っても過言ではないでしょう。。。

「ア(天)を(地上に)成した」⇨『ア・ナシ』
「偉大な(ウ)教ゑ(ヲ)の上に立ち導く者・先生(カミ)『ウヲカミ』
なのですっっლ(;ʘДʘ)ლ


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更に「ウツシヒ」とは日を(地上に)移し(て照らした)」
だなんて日のカミ・アマテルカミの様な役割を為した、とのお褒めの賛辞です(♡´◡`♡)

カンヲヂとは、また上の系図を見て頂きたいのですが、
ツワモノヌシ様のお姉様(多分)がイサナミ様ですから
ツワモノヌシ様はアマテルカミの母方の叔父様に当たるのですよね♪
『(アマテル)カミのヲヂ(しかも教ゑのヲ)』の意味がカンヲヂです😺




続くその息子であるヰチチ=ココトムスビさんに関しましては
8アヤ本文中にそれまで一度も出てきてないのに😹
父ツワモノヌシと一緒にタマカエシをなさったご功績を讃えられ
『ココトムスビ(ココすトのミチを結んだ)』(ココすに関しては以前ブログに書いたと思うので省略)
との高処遇ですよ😹
しかも『カスガトノ』とのヲシテ(称号)も賜り、
カナサキ様から奈良の広大な森(現・奈良公園、春日大社)も賜ってます😺

後に生まれたココトムスビさんの子供がカスガカミ=アマノコヤネ様ですが、
『カスガトノ』とはお父様の『ココトムスビ』様の方なのですね(*´∇`*)






2021年12月14日・・・

行ってきました!!


穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)!!


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お天気も良くて、ツワモノヌシ様について沢〜〜〜山学んだ
私とゆーこさんはもう感動でいっぱいです。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。


だってツワモノヌシ様はコヤネ様のお祖父ちゃまだもの。。。


しかもアマノコヤネ様は
父ココトムスビ=春日大社
伯父フツヌシ=香取神宮
義父タケミカツチ=鹿島神宮

の奥義も一人で引き継いじゃうような凄い方で、
ウタやノト(祝詞)にも秀でた方でした。。
(⇧クリックで『祝詞の神様』に飛びます)






穴師坐兵主神社の案内板を見てみましょう👀


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御祭神のうちツワモノヌシ様はどれなんだ⁽⁽◝(⊙ꎁ⊙ㆀ=͟͟͞͞⊙ꎁ⊙)◜⁾⁾??

やはり中央の兵主神でしょうか??
でも『㋒を』カミですから兵主神でしょうか??
しかし右の若御魂(わかみむすび)神とは嬉しいじゃないですか!??
若⇨息子の
御魂(みむすび)⇨タマカエシをしたココトムスビ
ですよぉ+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚


じゃあ、
大兵主神がその父のトヨケカミσ(・ω・`@)??←多分違う。。




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ア(天)ナシ(成し)は『穴師』などという
なんだか「競馬で大穴を当てる天才」とか「パチンコの天才(それは釘師??)」みたいな漢字になってしまいましたが🤣、
それでもツワモノヌシ様の御功績が残っているのって嬉しくないですか。+゚(つз`o)゚+。



ツワモノという言葉はだいぶ後世に強者(つわもの)、兵(つはもの)などという意味になってしまいましたが(前々記事モノノベの変化みたいな。。)
真っ直ぐにマコトを求め、軍事よりも更に「タマカエシ」の方が重要なのだ、
悪い奴は斬れば良いのではなく、更生させタマノヲを解き魂をア(天)に還してやることこそ
アメ(天)の御旨!!というツワモノヌシ様は
正に偉大なアマノコヤネ様のお祖父様ですね(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)




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美味しいイチゴ頂いちゃった(*´Д`*)
お子様がヰチ・チ様だけに🍓







お読みいただきありがとうございました((_ _(-д- 。)ペコリ

また次の記事もアップできるよう努めさせていただきますので
どうぞよろしくお願い申し上げます((_ _(-д- 。)ペコリ










フルと舞のこと・・その2•みしりつひこ

皆さま、こんばんは!!

奈良から帰って参りました!

奈良に行く前にどーーーーーーーしてもホツマツタヱ39アヤ「ホツマツウチ・ツズウタのアヤ」
の暗唱を終わらせなければ。。。
と頑張りましたヽ(;▽;)ノ
お蔭様で最後の木曽路も越えられました😹

いや、ヤマトタケ様のご苦労を思えば
なんてことはないです(((✿ฺ≧▽≦)彡☆



さて。。。

前回の記事『フルと舞のこと・・その1•いそのかみ』の冒頭にも書きましたが、 
多(おお の)忠朝(1886〜1956)さま・静子(1912〜2013)さま父娘の家系は
神楽と舞を伝え楽祖と呼ばれた9世紀の多自然麿(おお の じぜまろ)さんに始まるとされています👀 

以来、多家(多氏)は皆さんが良く知る東儀家などと共に宮中雅楽の1,000年以上続く御神楽の主要な担い手の名家です。
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さて。。

「雅楽なぞ平安とかだろ??
しかも別にヲシテとかに関係ないじゃん??」

(と、靫が重くて酒折宮に到着が遅れて燈を点すのが遅れたサブライの台詞のようですが(((✿ฺ≧▽≦)彡☆)
と、思われますか👀??


ところが
大嘗祭をはじめ宮中の行事には欠かせませんし、
明治以降の楽士さんたちは雅楽、舞楽、洋楽オーケストラの楽器までマスターしなければならないのですよヽ(;▽;)ノすんごいエリート!!
(あぁそこも詳しく書きたかったのですけど、もう力尽きた😫)




そして。。。。




その多氏の始祖がナントっっ!!!


綏靖天皇のお兄様の
カンヤヰミミさまなのですよヽ(;▽;)ノ


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アテクシね、この方が好きなのですよ(*≧ლ≦)


では早速ホツマツタヱでカンヤヰミミさまのこと見ていきましょう👀


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31~27 8048  
タギシミコ フタオトおタツ
      8049  ウネビネの サユノハナミと
      8050  ミアエシテ ムロヤニメセバ



神武天皇が127歳で崩御なさって、
アヒラツ姫の息子である異母兄のタギシミミは
ヰソスズ姫の息子である二人の異母弟、カンヤヰミミ(この時52歳)とカヌガワミミ(綏靖天皇)(この時51歳)
殺そうと、サユ川にピクニックに行こうと騙して誘い出します。

それを母ヰソスズ姫が覚り、ウタに詠んで二人の皇子に知らせます。

(あ〜〜長いので引用割愛しますね😹)



賢いカヌガワミミ様はそれで悟り、
「自分が盾となって先ず入るから、兄さんは矢を射ってくれ」と提案します(`◕‸◕´+)シャキン

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そしてカヌガワミミ様突入ε=ε=(๑و•̀ω•́)و 

しかしタギシミミが気付き斬りかかろうと!!!

そこで手足わななき手も足も出ないカンヤヰミミ((((;゚Д゚)))))))

スワッ!!そこにカヌガワミミ様が一矢をタギシミミの胸にすかさず射り
もう一矢を背中に射って56しました(。-人-。)



肝心な時に怖気付いて何も出来なかったカンヤヰミミ様は
自らのことを『ミシリツヒコ(見て知っても何も出来なかった。。。)』と
自責の念から名前を変え、
トイチ(十市)に住んで『イホのトミ』と名乗られ、
弟君のトミとして弟君を助け、
また死んだ兄タギシミミのことも祀って行くのです(。-人-。)


確かに怖気付いたかも??ですが、なんかご謙虚でとても人の良い方なのですよね੭່ʓ (Ō̥̥̥̥̥̥̥ ԑ Ō̥̥̥̥̥̥̥ ૢ) ੭່ʓ



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 こうして『イホのトミ』となったミシリツヒコ=カンヤヰミミ様なのですが、

では何故「イホ」から「オホ(オオ)」になったのでしょうか👀?? 

これは漢字表記にその過程が見られる感じですね(*´∇`*)


 
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多坐弥志理都比古神社


多坐弥志理都比古(おおにますみしりつひこ)神社と読みます(∩╹∀╹∩)

「みしりつひこ」と名乗った由来はホツマツタヱ通りなのですけど、
「イホの筈では??」ですよね??

今でこそ『』ですけど、実はもっと古くは『意富(おお)』なのですよねლ(;ʘДʘ)ლ


この『意富(おお)』は
意富斗能地(オオトノチ)』おお!第5代アマカミ!!!
意富加牟豆美(オオカムヅミ)』おお!!桃🍑のオフカンヅミ!!

しかし逆に
イホ』を『意富』または
【イ】ホの【トミ】』を『意富』と書いたのかも??ですね。。。(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…

それが段々「オホ」⇨「オオ」と読むようになってしまったのではないでしょうか。。σ(・ω・`@)



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 この多氏のご子孫(つまりカンヤヰミミ様のご子孫?)は冒頭に挙げました多自然麿さんを始めとして、現代まで続く宮廷楽師の名家であり、
紀元二千六百年には多忠朝先生が昭和天皇御製の巫女舞「浦安の舞」を作曲・振付なさり
御令嬢の多静子先生が舞っていらっしゃいます(♡´◡`♡)

多坐弥志理都比古神社の宮司様も
「静子先生もよくいらしてましたよ🎵」と仰せでした☺️


因みに私の母も数え年12歳の時に
多忠朝先生のお作りになった「浦安の舞」を舞っていたことが母の葬儀の時判明Σ('◉⌓◉’)


えええええぇぇ!!生前私が巫女舞やってた時もそんなこと言ってなかったじゃん??

忘れてたの??

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 母は長野出身で諏訪大社のお膝元ですから諏訪神社の御祭礼で舞わせていただいたようです♪
しかし女姉妹が多かった母は姉がもう既に舞っているので、順番が回って来ることはない筈でしたが、たまたまその年はその地区(四つの各地区からその年の数え年12歳の女の子一人ずつしか選ばれない)に他に女の子が居なかったらしく選んでいただけたようです。
母の妹たちは 自分達も踊りたいのに悔しがっていた、とは叔母談。。。


本装束ではないものの、
かわいい千早(ちはや)を着て嬉しかったでしょうね♪♪




因みに巫女さんが着る上着『千早(ちはや)』とは『神』などに掛かる枕詞の『千早ぶる・ちはやぶる』からきているのでしょうが、
ホツマツタヱでは
『チワやぶる』はオモイカネ様がワザオキ(役者)達に歌い舞わせた歌舞(後にカンクラ⇨神楽になります)が拍手大喝采で地鳴りするほど轟いたことが『チワ(地)ヤブル(破る)とぞ楽しめば』だと思います(♡´◡`♡)
(ホ7−46)
また『カンクラ』もこの時点では『カミの位』若しくは『カミ(がアマテルカミの岩室隠れで)暗かった』ということだと思います😺
いづれにしろ、『神楽(かぐら)』の語源ですねヾ(●´∀`●)ノ







多坐弥志理都比古神社の境内で一際緑の、気になる木がありました👀

遠目では橘か?オリーヴか??

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宮司さまにお訊きしてみると 
「あぁ、ナギの木です。と葉っぱを一枚折っていただきました❤︎

そういえば、数年前に池田先生と熊野に行った時にも「ナギの木」を教えていただいた記憶があるのですが、葉っぱをよく見るのは初めてです👀


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ナギ・・・漢字だと『梛』と書くようですが、イサナギさまを思い浮かべちゃう(๑´ლ`๑)フフ♡


ツヤツヤして油分
が沢山含まれているようで、しかも葉脈が縦方向の筋なだけなのですΣ('◉⌓◉’)


そして。。。
ナギで思い出しました💦
紹介し忘れそうでしたが、「浦安の舞」の作詞は昭和天皇(の御製)ですが、「朝凪(あさなぎ)」部分が舞のクライマックスですヾ(*´∀`*)ノキャッキャ♪


   天地(あめつち)の 
  神にぞ祈る 
  朝なぎの 
  海のごとくに 
  波たたぬ世を

     昭和天皇御製 

 

更にお庭もご案内していただき、
オガタマの木も教えていただき
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オガタマノキの実が浦安の舞にも使う神楽鈴の形なんだと教えていただいたり(●ꉺωꉺ●)



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や烏瓜(カラスウリ)も見せていただいたり
イチイガシのドングリをいただき、

また蝋梅の花の枝もいただきました!!
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帰りの車中が蝋梅の良い香りが充満して幸せでした😻
ありがとうございました💕

 
また多氏の傍系の子孫には古事記の編者の太安万侶さんもいらっしゃるみたいで、
一般の参拝客には安万侶さんが一番有名らしく(*≧ლ≦)

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私はそれより稗田阿礼の方が気になります、その件についても宮司さまから興味深いお話も。。。
自分はホツマツタヱ39アヤまで暗唱しましたが、
稗田阿礼さんと違って記憶の天才であるわけでなく、阿礼さんの何百倍も練習してるから
やっと暗唱できるのです。。。 
でもちょっと興味あるの(#^.^#)
だって本当は阿礼さんが誦んだのとは違う風に記録されてしまったのかも??
なぁんてね。。(((✿ฺ≧▽≦)彡☆



また多氏の子孫には
『鉄道唱歌』の作曲者・多梅稚さん
『宵待草』の作曲家・多忠亮さん
トニー谷の『さいざんすマンボ』の作曲家・多忠修さんもいらっしゃるなんて(●ꉺωꉺ●)

アテクシの愛唱歌ばかりじゃあ〜りませんか?さいざんす(*≧ლ≦)



書きたいことは尽きませんが、
もう遅いので。。。この辺で。。。

じゃあ。。。やっぱり最後は
さいざんすマンボ貼って 
(実は旅の途中iPhoneから記事一本アップロードしたの消えたのヽ(;▽;)ノ
保存もされてなかったヽ(;▽;)ノ)



 



最後の動画は「浦安の舞」でも貼れば、少しは格もあるってものを。。🤣


 

フルと舞のこと・・その1•いそのかみ 

皆さんこんにちは♪

私、今はやめてしまったのですが、
3年ほど前まで巫女舞を4年ほどやっておりました(♡´◡`♡)


まぁ、元々全然『巫女』とか『神道』とか興味があった訳ではないのですが💦
しかも、巫女舞やってると他のダンスが下手になっちゃう💦

それでやめてしまったのですが。。。


それでもいろんな神社に奉納で舞わせて頂けたこと
いろんな神社に行けた事は良い経験だったと、
巫女舞に誘って下さった方に感謝しております(*´∇`*)


さて、また明治神宮の田んぼチームにもいたお陰で
明治神宮の新嘗祭や祈年祭に参列させていただけたことも
ありがたかったです꒰*✪∀✪꒱♬ ♡*:・


明治神宮の新嘗祭と言えば、
明治天皇の御製作詞、
作曲は多忠朝氏(多分振付も)の
『代々木の舞』です。

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2014
年の明治神宮新嘗祭の代々木の舞
 

この装束が舞楽風でカッコ良いんです♪(*〇´∀`艸)*゚


そもそも巫女舞なるものは
なんだか昔からあった様に思われがちですが、
各地に残る巫女神楽は別として
近代巫女舞は大体、多忠朝・静子さん父子によって作られてます。

ですから実は本拠地は皇居のある東京なのですよね👀
そして明治神宮の雅楽演奏や巫女舞のレベルも高くて素晴らしいのです✨✨


舞楽・宮中雅楽の話はまた後ほどするとして、
『代々木の舞』の明治天皇御製を見ていきましょう♪( ´θ`)ノ


いそのかみ
古きためしを
たづねつつ
新しき世の
ことを定めむ


ここで『いそのかみ』という枕詞が出て来ますが
これは『ふる』に掛かる枕詞なのですね(♡ ╹◡╹ ♡)
いそのかみ=石上(いそのかみ)神宮です♪


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         2017年池田先生と石上神宮にて。古い写真でスミマセン、フルのイソノカミだけに🤣



では一体何故、『いそのかみ』が『ふる』に掛かる枕詞になっていったのか?
見ていきたいと思います(`◕‸◕´+)キリッ!


そもそもには
この『フル』とは
アマテルカミの御孫ホノアカリ・テルヒコ様が
ヒタカミ(父君オシホミミ様の都)から鳴物入りでナカクニ入りする時
アマテルカミからトクサタカラ(十種神宝)を賜っていらっしゃいます👀


 ホツマツタヱで見ていきましょう👀


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     ココニトヲヤの
アマツカミ トクサタカラお
サツケマス オキツカガミと
ヘツカガミ ムラクモツルギ
ウナルタマ タマカエシタマ
チタルタマ ミチアカシタマ
オロチヒレ ハハチシムヒレ
コノハヒレ コノトクサナリ 







 
上記がトクサ(十種)の種々になりますが、
続く使用方法が興味深いです(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…

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イタムコト アラバヒフミヨ
ヰムナヤコ ト
マテカゾエテ
フルヱタヽ ユラユラフルヱ
カクナセバ スデニマカルモ
ヨミカエル フルノコトゾト
ミコトノリ 
 



そもそもオシホミミ様のご長男のホノアカリ・テルヒコ様は
お母様タクハタチチヒメ様をはじめ『ご長男』『世嗣皇子』『皇太子』として非常に期待されていらっしゃいました😸

の、故の『大船団』であり『ソラミツヤマト』なのだと思います♪ 
       
      ⇧クリックで『三船祭』に飛びます


そしてねぇ。。。💦
ホント、ヲシテ文献以外では解らない『ニギハヤヒ』様のこと
世間の方々はホンっっト好きですよねぇ💦
アマテルカミ以上の人気っぷりです💦

『古代の日本の秘儀を追い求めたい』『歴史に隠された本当の神』だなんて妄想と共に、
またニギハヤヒ様と共に大人気の瀬織津姫(敢えて漢字💦)と共に
『饒速日の妻は瀬織津姫だった!!』なんて書物もあります💦

えーーーーーーーーーっっ!!??
セオリツヒメはニギハヤヒのひいひいお祖母ちゃんだよ⁽⁽◝(⊙ꎁ⊙ㆀ=͟͟͞͞⊙ꎁ⊙)◜⁾⁾??


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 だってニギハヤヒさんは、ニニキネさんの長男のムメヒトさんとコモリさんの次女タマネ姫の息子の
クニテルさんだよ!??

アスカヲキミのテルヒコ様が崩御された時、母チチヒメは『嗣もなや。。』とお嘆きになったから、
二朝廷時代、カグヤマ(元アスカ)を継ぐためアマテルカミの勅令で
クニテル様が『ニギハヤヒ』として即位なさり、またトクサタカラ(十種神宝)も継がれました🎵



しかしね、
ウガヤフキアワセズ様が崩御された時、タケヒト(後の神武天皇)様は未だ弱冠15歳(しかも数えで、ね)
それまでは『アメヒツギ』の御位は今で言う『生前譲位』でしたが、それも行われる前にアマキミ神上がられ。。

またタケヒト様が橿原で即位(52歳ね)されるまでには
アマテルカミもトヨケノリなさったり、アマノコヤネ様もご逝去なさったり、マサカキも尽きたり、
またニギハヤヒさんの主なトミであるナガスネヒコの暴挙などにより、
世を糺す為、タケヒト様が立ち上がらなくてはなりませんでした。。(長くなるから割愛ね💦)

それでニギハヤヒさんの嗣子であるウマシマチさんが、自分の臣下ナガスネヒコの非を認められ、
アマキミの御位(みくらい)をタケヒト様に奉還なさったのです(′ʘ⌄ʘ‵)

決して、『饒速日は神武天皇に56された(不穏💦)』とかでないんですよっっ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)


そして神武天皇の御代以降も
代々のスヘラギ(天皇)の重要な地位に就いていらっしゃるのが、
ニギハヤヒ→ウマシマチ様のご子孫です😸

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長くなってきた
💦小くて罫線狂っちゃう💦 


ニギハヤヒ→ウマシマチ系図なので、天皇家を省略してますが、
ヒコユキさんも第2代・綏靖天皇のマツリヲミのスケ(筆頭)ですし、
第3代・安寧天皇の御代にもイツモシコ(ケクニヲミ)、オオネ(イワヒヌシしかも娘のホソ姫は第7代孝霊天皇の皇后)
第5代・孝昭天皇の御代にもイツシココロ(ケクニトミ)
第7代・孝霊天皇のスクネ(宿禰)にはオオミナクチオオヤグチが。
その先もずっと活躍してますが、特に孝元天皇、開化天皇の皇后になったウツシコメ、イカシコメの兄や父はかなりの重鎮💪



そして。。。
第11代垂仁天皇イクメイリヒコ様の御代
(の御代には神武天皇即位がBC660年とすると垂仁天皇40年でとうとうADになります)
にはトイチネ(トチネ)モノべとしてミウエカラになってます(36−13/36−33)


 そしてイクメイリヒコ様にはニシキイリヒコ様とヤマトヲシロワケ(後の第12代・景行天皇)様と
二人の皇太子候補の皇子がいらっしゃいましたが、
望むものをお尋ねになったところ
兄宮ニシキイリヒコ様(数え13歳)は弓矢が欲しい、と。。
弟君のヲシロワケ様(数え11歳)はクライ(位)が欲しいと。。 
まだまだ現代では小学生のお二宮ですが、その表明通りヲシロワケ・タリヒコ様が
世嗣皇子となります。

けれどもニシキイリヒコ様 もタミの生活向上の為バリバリご活躍なさいます💪(๑و•̀ω•́)و 
各地に沢山の貯水池を造られたり、更に各職人部トシナベを制定し
刀を千本も造らせそれらをイソノカミ(石上神宮)に御奉納なさっていらっしゃいます♪

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               千本の剣の祠ってこんな感じσ(・ω・`@)??
        
            
この千本の刀(タカラ)の祠を晩年妹君のヲナカ姫に任せようとなさいますが
ヲナカ姫はそれが嫌だったらしく姫はモノベ・トチネさんに丸投げ🤣



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続くイソノカミの記述が怪しいのですが😨

   37~40  9520         タニワミカソが
       9521  イヱのイヌ  ナわアシユキが
       9522  クヒコロス  ヌジナのハラに       
       9523  ヤサカニの  タマアリオサム       
       9524  イソノカミ


 ムジナっ(΄✹ਊ✹‵)!??    

 
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実は
ムジナの類には興味持ってます( ̄ー ̄)

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そして腹に入ってたヤサカニの玉とはどんななのでしょう(TДT|||)??
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千本の剣の行方は よく分かりませんが、
この時モノベ・トイチネさんが、ヲナカ姫から任されてイソノカミを守っていたのでないでしょうか。。

これが後に物部•石上氏となっていく過程なのでしょうね(♡´◡`♡)
そしてトイチネさんはニギハヤヒ→ウマシマチさんのご子孫ですから。。。






そして更にこの『トイチ=十市』という場所や
舞について語っていきたいのですが、、、


長くなってきましたので、
その2 に、  続く、、、、、、予定。。。


です(((✿ฺ≧▽≦)彡☆


舞と、もう一人、天皇のお兄さんについて書きたいのです( ;□;)ノシ))パタパタパタパ( ;□;)ノシ))パタパタパタパ


ではでは。。。





。.。:+♫+ ゜ ゜゜ *+:。.。:+♥+ ゜ ゜*+:。.。.。:+♫+ ゜ ゜゜*+:。.。:+♥+ ゜ ゜.


★モノノベについて注記

因みにカミヨ(上代、神武天皇以前)の『モノノベ』は
警察官というか司法にも通じタミを糺し教える役職名で、全国に800人ほど置かれました。
決して一族名ではないです(∩╹∀╹∩)
この800人のモノノベを司るのがオオモノヌシです。
オオモノヌシはアマカミ(天皇)の左右のハネ(羽)のヲミ(トミ)の右のヲミで、ツルギのヲミです。
そして左右のヲミを鳥の左右の翼に擬(なぞら)えるなら、モノノベは鳥の脚に喩えられています⋛⋋( 'Θ')⋌⋚
この鳥(ミヤコトリ)の全体の姿がタミで、アマキミ(天皇)が首です⋛⋋( 'Θ')⋌⋚


あ、因みにヒトノヨ(神武天皇以降)の『カスガ』も大臣の様な主要な役職名で、決してアマノコヤネ様を始祖とする一族ではありません、蛇足ながら。。。











 
 

コノ橋立は〜ヨザに行く。。丹後国一の宮・籠神社行ってきました

皆様、大変ご無沙汰しております(♡´◡`♡)

初めましての方は初めまして!!


私は9年間毎日ヲシテ文献を勉強しているBebe Suave と申します♪


昨日、念願の多賀大社、比沼麻奈爲神社、そして天橋立、
籠(この)神社と行って参りました♬

素晴らしい学友のゆーこさんと共に訪れることが出来たことを
アマテルカミ、トヨケカミ、イサナギ様に感謝申し上げます🌟



さて、元伊勢・籠神社。。。



ここも行きたかった。。。


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しかしこの神社(籠神社)は境内撮影禁止です😨

故に外観のみ。。꒰#'ω`#꒱੭




案内板によると

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え!?「ヨサの宮(吉佐宮)」ლ(;ʘДʘ)ლ


そ、それは。。。。

「ミタマゲ担ぎ
ヨザにユク」では(΄✹ਊ✹‵)???



そもそも神嘗祭の斎王の始まりは
ヤマト姫(倭姫命)というか、トヨスキ姫です♪

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トヨスキ姫は第10代崇神天皇ミマキイリヒコ様の皇女です♪

ミマキ様の御世は疫病が流行り、多くの人々が亡くなりました。
それに心を痛めたミマキ様が
お嬢様のトヨスキ姫にアマテルカミを、ヌナギ姫オオクニタマカミを祀らせました。
(33–10)
またオオタタネコ様を茅渟県スヱ邑に探し出し大神(オオミワ)神社の初代神主に
なさいました。

トヨスキ姫のアマテルカミの御霊を遷す巡行の旅が続きます。。。




ヨザ(つまりオホヨスガラ、夜通しですねっ!!)

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現代の神嘗祭の御杖代・黒田清子さま
 



 ホツマツタヱの記述ではこうです👀さて33アヤで崇神天皇の御世に
旧9月16日にオオクニタマのカミの宮遷し
翌17日にアマテルカミの 宮遷しをなさったとあります。



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ムカシ トヨスキ
カミノツゲ
ミタマゲ担ぎ
ヨザに』行く
コノ・ハシタテわ
カサヌイの
ヱよりミヤツの
松に雲
タナビキワタス






ヤマト姫ヨシコ様は垂仁天皇の皇女なのですけれど
お母様はツヅキ・カバヰ・ツキ姫様。。
ヤマト姫ヨシコ様をご解任お告げをオオクニタマカミに旧暦9月16日に夢で受けます。
そして三度目(つまり満2年後)の9月16日にヤマト姫をご出産なさるのですから
正に生まれながらにして神嘗祭を行いアマテルカミを祀る御杖代(ミツヱシロ。今の斎王)としてお生まれになったのですね。。
後には数え128歳の時に甥ヤマトタケ様に「ヒミツの祓のフミ」と「ムラクモの剣」を授けます。



垂仁天皇の最初の皇后はサホ姫様でしたが
お兄様サホヒコの謀反により、幼い皇子ホンツワケ様を遺しつつ
燃える城に入ってお亡くなりになりました。
(ホンツワケ様が思春期を過ぎても喋れなかったのは、そのPTSD によるものでしょうか。。)


垂仁天皇は最初の皇后サホ姫も亡くし、
また次のカバヰツキ姫もヤマト姫を出産の産後亡くし、
三人目の皇后がヒハス姫ですから景行天皇とヤマト姫とは異母姉弟になります。



お母様を赤ちゃんの時に亡くされたヤマト姫ヨシコ様は
数え年11歳で先代御杖代トヨスキ姫(おん年103歳)の見習い御杖代になります😸


4年後アマテルカミの御霊を数え15歳になられたヤマト姫が
伊勢の宇治にお祀りした様子
9月16日にアマテルカミの御霊がおいでましになり
9月17にミタケハシラを立てられました。(36–34〜36–35)
これが元祖『神嘗祭』ですね(*´∇`*)




 初mac慣れなくて完成度低い記事なのですが、
先に行きたいので、
今の神道の礎や祝詞に出てくる『宮柱太敷き立て、千木高知りて』も解説したいけど
割愛😹 36–24の三行目から36アヤ最後までに記されてるよぉ😹
古神道学ぶ人は、その『元』をホツマツタヱで勉強して欲しいわぁ😹



 
 

 さてヤマト姫が11歳で御杖代になった時
その師匠である伯母様トヨスキ姫が御杖代に成られた時の様子が
36アヤにも詳しく記されているのです👀


それが 
ミタマゲ(御霊を入れる箱ね!『ゲ』とは『ケタ(四角)』の省略形では👀??)
担ぎ『ヨザ』に行く


この橋立(これにはアマテルカミと橋渡すみたいな意味合いも含まれていると思います。)は
カサヌイ(奈良の笠縫のミヤ)からずっと天橋立のように細ーーく長く(時の隔たりもアマテルカミの生きていらした時代とは600数十年以上の時の経過があってこその遠さ)続いていて
それが宮津の松に雲が棚引き渡っているかのように長く連なっているのですね。。


というウタなのだと思います😸


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雪舟等楊「天橋立図」





トヨスキ姫が
美濃や宮津、あちこちアマテルカミの御霊ゲ担いで
お下ろしになる場所を求めた。。

そこで天橋立もご覧になったのでしょうね。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。



その万感の想いを姪ヤマト姫ヨシコ様に伝えているのです!!



 そしてヨザ(夜通し)に行かれたので吉佐宮(よさのみや)
更にはここの地名が与謝、与謝野になったとは!!
与謝野鉄幹もビックリでは??ლ(;ʘДʘ)ლ 




ここ日本書紀ではトヨスキ姫のご苦労は一才省かれ
ヤマト姫になっちゃってました🤣
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またトヨスキ姫の万感の想いの
だって奈良から遂に日本海の宮津(と言えば、トヨケカミとアマテルカミのマナヰ)
まで来て日本三大景観の天橋立をご覧になって
この(これこそ、の意味)』と仰ったのが
『籠神社(このじんじゃ)』の『コノ』になったに違いありません(⌇ຶö⌇ຶ)✨✨

その後も近江から美濃も巡ってます💦

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 旅は素晴らしかったので
最後に宮津で調子に乗って
宮津節まで歌ってきちゃいました(;≧ꌂ≦)


 


(✿ˇДˇ)♪二度とぉ行くまぁい
(✿ˇДˇ)♪丹後ぉの宮ぁ津ぅ〜
(✿ˇДˇ)♪二度行くまいぃとぉてぇ
(✿ˇДˇ)♪三度来ィた 






♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:.追 記.。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡

何故『この神社』を『籠神社』と書くか?
については、推測に過ぎませんが、
ミタマゲ」(御霊を入れる箱)が行李(こうり)や葛籠(つずら)の様に
籠で出来ていたのかも知れませんね♪
木製では重いものね😆
靫(ゆき。矢の容れ物)なんかも籠製のことが多いのは持ち運ぶのに軽いからでしょう。。
旅を思うと軽いのが一番⭐️






ではまたね+:.゚(人>◡σ).。+゚ 

ナカわヤマシロ・ハナヤマの

こんにちは( ´ ▽ ` )ノ

今日もBebeのblog読みに来て下さりありがとうございます(♡´◡`♡)


毎日毎日ヲシテに触れられて本当に幸せです♪

そして先週土曜日(2017年6月10日)には床も綺麗になった池田先生のお宅にお邪魔し、
翌日6月11日には石上神宮大和神社黒塚古墳崇神天皇御陵景行天皇御陵茅原大墓古墳にも連れて行っていただきましたワ━━ヽ(′▽`*)乂(*′▽`)ノ━━イ!!
池田満先生と石上(いそのかみ)神宮




崇神天皇(ミマキ様)は、
チヌアガタの陶邑に、ホツマツタヱ最終編者であるオオ・タタネコ様を探し出し大神神社の初代神主になさった方(33アヤ)ですヾ(●´∀`●)ノ
連れて行っていただいたのは、その崇神天皇の御陵、行燈(あんどん)山古墳

山辺道勾岡上陵(やまべのみちのまがりのおかのみささぎ)』です!
バリバリ、ヲシテ時代後期ですね(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ… 



そして黒塚古墳ヾノ。ÒㅅÓ)ノシ

黒塚古墳資料館のレプリカ

この黒塚古墳の石は、
オオサカヤマ(二上山)の石を運んで造られたものだそうです(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…

ホツマツタヱ34-18にある基準と同じ造りになってます!!



本当はこの記述にあるモモソヒメの
「オイチニウヅム、ハシツカや」
(「大内墓・箸墓古墳」)に連れて行って下さりたかったようですが、
奈良のあの辺は古墳がポコポコあって、
どうも違ってしまったようです(#^.^#)
またハシツカ古墳も行かれる日を楽しみにしておりま〜〜すヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙

そして、鏡や銅鐸の謎や、
考古学とヲシテ文献の検証がどんどん進むこの現代に学べる恵みは
本当にありがたいことです。+゚(つз`o)゚+。


そしてヲシテ研究を50年近くもなさり続けた池田先生御自らのご案内という、
この上ない恵みです✨✨
本当にありがたいことです。+゚(つз`o)゚+。



ご案内いただいた崇神天皇の御陵、黒塚古墳の事などの詳しくは、池田先生のblog記事もどうぞお読み下さいませ( ´ ▽ ` )ノ
    ↓  クリック     ↓  クリック     ↓  クリック  



。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜*+:。❀.。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃*+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。.



さて…そんな楽しくてありがたい奈良を後にして、
京都入りした私は、
関西の仲間達と共に伏見稲荷大社へ(○´3`)ノ

2017年6月11日
門番の狐もデッカいლ(;ʘДʘ)ლ


何だか雲までキツネ🦊っぽいね(*≧ლ≦)



楼門の前で、ハイ!コンコン🦊ポーズ🦊



私はまだ伏見稲荷に行ったのは初めてだったのですが、外国人の人気観光地No.1ですよね*(^o^)/*

境内はこんな感じ(○´3`)ノ



夏至近くとは言え、だいぶ日も落ちて来まして、
私だって一人じゃ(怖くてw)
夜の伏見稲荷も無理でしょうが、
みんなと一緒だから楽し過ぎますキャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー


中でも外国人に人気の千本鳥居!
本当は1万本を超すほどあるそうです(΄✹ਊ✹‵)


では千本鳥居へGO♪( ´θ`)ノ

ゆきこさん、ゆうこさんと、はいポーズ🦊


更に鳥居を進んで行くと神宝社が…
明治天皇の行幸御製もあったりして、
いつもながら明治天皇の御製は素晴らしいです♪♪

途中にあった「熊鷹社」とは、
8アヤのハタレウチでご活躍なさった
クマ】ノクスヒ様と
タカ】ノカミ・イフキヌシ様のことではないでしょうか…ლ(;ʘДʘ)ლ

翌日の花山稲荷でもますますそう思えて来てます…
鳥居で出来る影も幻想的☆


そろそろ20時も回ったので、
山のてっぺんは諦めて下山です♪



その後、ご飯を食べに行って戻ると、
キツネちゃんの蹴った足先にまん丸いお月様がꉂ ૮( ᵒ̌ૢꇴᵒ̌ૢ )ა。*゚✧
写真だと満月も小さくて残念ですが…





そしてまた翌日
2017年6月12日には、
伏見稲荷の親社である花山稲荷(かざんいなり)に行きたい!!
と、べべ組のゆきこさんと行って参りました( ´ ▽ ` )ノ

ここは、8アヤ「タマカヱシ・ハタレウツアヤ」で、
ナカクニのハナヤマの野
又は「ヤマシロ・ハナヤマの」とある所です+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚

初夏の爽やかなお天気で、
楓の緑や、榊の花盛りがとても気持ち良いです♪(*〇´∀`艸)*゚


その境内の社の一つに達光宮が…


その達光宮の御祭神を見てびっくり!!ლ(;ʘДʘ)ლ


一番左は「アマメヒトツカミ」ではないですか!??


そもそものアマメヒトツカミの話に戻りましょう…


このお方は、
アマテルカミからのミコトノリで、
罪だけ斬って、罪なき者を斬らぬよう、
右眼一つでツルギを造られたカネリ(刀鍛冶)です!!
私達は刀、つまりは日本刀という時、
その名が「カタ刃(片刃)」のツルギだから、カタナというのをご存知ですか??
世界各国の剣を見た時に、
実は「諸刃(モロハ)の剣」が多いこと、
更には「斬る」のではなく「突き刺」して使うものが多いこともご存知ですか??


ヲシテ文献では、
タは春、左、そしてイキ身なのだそうです。
カは秋、右、そしてカレ身なのだそうです。
だから、罪無き者を斬らぬよう、
カレ=罪、枯れだけを斬る様に、
右眼一つで打ったツルギ
それが「ヤヱガキのツルギ」なのです*(^o^)/*


そして、このツルギを造ったカネリを褒めて賜わった名前が「アマメヒトツのカミ」なのです(ღ′◡‵)



それから…

このツルギは8本献上された様ですが、
その内の一本はアマテルカミ、
そしてもう一本はハタレウチのミソギツカサ(総指揮)のカナサキ(住吉大神)様ですが、
後の6本がハタレウチにご活躍なさった
ムマサカミ(6人の武将?)」ということになりますo(^▽^)o



その「ムマサカミ」六人衆とは…
 1  フツヌシ(後に香取神宮)
 2  タケミカツチ(後に鹿島神宮)
 3  カダマロ(のちにカダノカミ→稲荷)
 4  イフキヌシ(後にタカノカミ→高野山)
 5  クマノクスヒ(後に那智大社)
 6  タチカラヲ

となっています( ´ ▽ ` )ノ


そしてね…

凄いと思うのは、
ハタレウチも悪者をやっつける!
ということが主旨に置かれているのではなく
8アヤ「タマカヱシ・ハタレウツアヤ」で、一番褒め称えられているのは、
タマカヱシをしたツワモノヌシココトムスビ(カスガトノ)父子なのですヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙

そしてココトムスビはその御功績により、
カナサキ様から森を賜わり、
カスガトノとの称号も賜わって、
その森が、現在の春日大社と奈良公園なのです🦌

そのココトムスビアマノコヤネ様(ワカヒコ・カスガマロ/カスガカミ)なんですよ〜〜+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚



また、
ちょっと今丁度暗唱している
ホツマツタヱ23アヤ『ミハサダメ・ツルギナのアヤ』に出て来る
アメマヒトツカミの話に戻りますが、
そのハタレウチにも活躍したツルギを造ったので、
こうして、ハタレの舞台の一つとなった、
ハナヤマ花山稲荷にも祀られてて、凄いなぁ〜〜( ✪ฺД✪ฺ)✨✨
と感心した次第ですo(^▽^)o



花山稲荷神社のアマメヒトツのツルギ

キツネとクツネがいて、
クツネはキツネとチト違ったみたいですが、
カダマロがタマ断ちしようとした時、
アマテルカミが、
「田畑の鳥を追い払って、稲や穀物食物を守るウケのミタマとウケモチ(カダマロのおじいちゃん)とカダマロをウケのカミとして代々末代まで護れよ!
もし怠ったら速やかにタマ断ちするぞ」
とのミコトノリ(ღ′◡‵)

それによって、
キツネは稲荷神社の護衛をするようになったのです(○´3`)ノ

この33万のキツネのトップ三兄弟の
真ん中がヤマシロのハナヤマで、
弟は東のアスカノ(東京の王子稲荷)へ行きました。
弟狐のお話は、3年前の
「王子の狐 鍵を咥えて」も是非お読み下さいねo(^▽^)o




さて、
楽しかった旅の終わりに、
四条大橋の南座の隣角の、
京都と言えば「鰊(ニシン)蕎麦」の元祖、松葉さんでお蕎麦をご馳走になり…
鴨川沿いの川端通りと四条通りの角にある松葉さん。
レトロな店内も湯呑みが一つ一つ手描きなのも素敵☆
狐の好物「揚げ鼠」→「稲荷寿司」に因んで、油揚げの俵蕎麦とやらを…



その後は、
錦市場をキャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー
冷やかしながら楽しく京都駅に向かいました…




池田先生、奥様、
そして一緒に行って下さったおけいさん、
京都をご案内下さった、
ゆきこさん、ゆうこさん、白岩さま、
ありがとうございました( ´ ▽ ` )ノ

また来月お会いするのも楽しみにしておりま〜〜す*。⋆ฺ(*´◡`)ノ





















キクツネ🦊三兄弟の弟のお話は…

子の狐 鍵を咥えて (←クリック)





モモもサクラも共に開きて

こんにちは( ´ ▽ ` )ノ

不定期更新なblog読みに来て下さりありがとうございます✩⃛˞(๑ꆨ৺ꉺ๑)♡

今日は5/20に盛岡でヲシテ講座を開かせていただいたお話から…


2017年5月20日
「盛岡ホツマの会」に呼んでいただき、
沢山の方々をお呼び下さり、お蔭様で大盛況のヲシテ講座になり、
本当にありがとうございましたヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙


そして本当に沢山の方々にお越しいただき、誠にありがとうございましたワ━━ヽ(′▽`*)乂(*′▽`)ノ━━イ!!


2017年5月20日滝沢ビッグルーフ

2017年5月20日ヲシテ講座 in 盛岡


お越しいただいた方々の中には、
ホツマツタヱはともかく、
初めて「ヲシテ」を書く方々も沢山いたことと思います♪

私が感じましたのは、
北国の方々はとても真面目だと言うこと…(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…


これまで広島や東京また千葉でも講座を開かせていただいたのですが、
受講される皆さまの反応というのが違うのですね!


私の講座のモットーは、
「使えるヲシテを!!」
「ただ聞いているのではなく、1つでも覚えて、使える物を持ち帰って欲しい!」
「(書いたことがなくても)ドンドンその時間にヲシテを書いて欲しい!」


ハイ、体育会なんです(≧∀≦)


そうなんですね!

例えばダンス!
話を聞いただけで踊れるでしょうかσ(・ω・`@)??

間違っても良い!
やはり実際、体を使って踊ってみなきゃ、
踊れるようになりませんよね(○´3`)ノ


そしてね、
「ルビ無し」!!


「それでは読めないのではないか!?」


多くの方々のご心配、ご尤もですウン(●´・д)(д・`●)ウン


でもね、
いくら補助輪付き自転車を乗り重ねていたから…といって
自転車に乗れるようになるのでしょうかσ(・ω・`@)


ヘロヘロしたって、転んだって、良いじゃないですか!??

実際に補助輪を外して乗る練習をしなければ、
いくら経っても決して「自転車に乗れるようにはならない!」
そう考えているのです(ღ′◡‵)


はい、
そしてね、
やり方が分かったら後は自分で出来ますよね(○´3`)ノ

はい、
でも実際に自分でやる人は本当に少ない…(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)


きっとダイエットだってそうだと思うのです!

ダイエット本を読むだけで痩せるなら、
世の中、こんなに、
「痩せたいのに…」なんて悩む人もいなければ、
ダイエット産業だって発達しない訳です(ノ∀≦。)ノ


まあ、
そういうために(いや、本当はもっと欲深な野望あってのことですが…
みんなヲシテ研究の第一人者にするつもりでやってますが…)
私が「べべ組(ヲシテ学習塾)」をやり続けている訳です( ´ ▽ ` )ノ
(※入門ご希望の方はどうぞメール下さいませ♪)


お蔭様でそちらは、
のべ授業回数800回を超えましたヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙

これも偏(ひとえ)に付いて来てくださった方々のお蔭なのです。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。

本当にありがとうございます((_ _(-д- 。)ペコリ


また、
池田先生をはじめ、
応援、ご支援くださる方々のお蔭です、
ありがとうございます(//∇//)


そして、
本当は、
回数を重ねなければ
「一回聞いて分かる」訳はないのですが、
多くの方々に興味を持って欲しい!
そのきっかけの1つにでもなれば…

と、
遠くから呼んで下さる方々に、
大きな感謝を申し上げます(♡´◡`♡)


特に、
この企画を成功させる為に御奔走下さった熊谷達雄様は、
ホツマツタヱなどのヲシテ文献研究のみならず、
健全な身体に健全な精神=タミの幸せ

とのお考えからだと思いますが、
発芽玄米の普及活動をなさったり、

また素晴らしい絵画もお描きの方です( ´ ▽ ` )ノ
冒頭に挙げましたフライヤーの、
「稲虫を祓う和歌山の絵画」をお描きになったのが熊谷さまです💕


そして私もね、
「健全な身体に健全な精神=タミの幸せ」
そう考えるのです(♡´◡`♡)


いくら頭(だけが)良くても、
心の健全さがなければ…
思いやりの心がなければ…

そして、
そういう気持ちを持てる為にも、
食生活、非常に大事だと思うのですよ(#^.^#)


私は、
本当に偶然!なのですが、
311をきっかけに玄米を食べ始めました!

それは、
それまで「秋田の米農家」のお友達から、玄米でお米を送っていただいていたのですが、
都心に住んでいると、
地下鉄一駅半離れたお米屋さんまで
精米しに行かなければならなかったのですが、
311の混乱で、
精米しにお米屋さんまで行けなくなってしまったのです(TДT|||)

その上、
玄米を精米するだけに持ち込む人は殆んど居ないらしく、
あまり歓迎されているとは…
だったので、
白米が切れたきっかけに、
玄米を食べることにしたのです…


すると驚くべき身体の変化、
というか感情までの変化があったのです(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…


私ね、
自慢ではないのですが大食いで(笑)
有名でした(#^.^#)

そしてね、
お腹が直ぐ空いちゃってたんです(#^.^#)


はい、
今考えると「低血糖症」だったのですね!

いつも「おやつ」を持ち歩いてました(笑)

おやつのタッパーの中身は、
ドライフルーツ、
ナッツ、
かりんとう、
ショートブレッド、
甘納豆、
などです(≧∀≦)

はい、無添加自然派ではありましたが(笑)


それでもね、
玄米になって一口50回噛むようにすると、
(それまでも食べるスピードは人より遅かったのですが)
何しろお腹が空かなくなります(●ꉺωꉺ●)


腹持ちが良くて、
忙しいとご飯食べるのも忘れちゃうのです!!!


また、
それまではパンやケーキ、うどんも好きだったのですが、
甘い物が食べたくなくなりました!
お芋や南瓜やお米(玄米)だけで充分、甘い!甘過ぎるくらい甘い!
のです!


そしたらね、
空腹の時、あれだけ凶暴で
「飯食わせろ〜〜〜〜〜⁽⁽(੭ꐦ •̀Д•́ )੭*⁾⁾ 」
だったのが…
無くなりましたლ(;ʘДʘ)ლ



そしてその後、
玄米は発芽させて食べよう!!
に至りました(♡´◡`♡)


何しろ玄米になってしまうと、
おトイレの快感が凄いんです+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚


あの快感を味わったら、
もう白米には戻れません(w´Д`w)


「白米の方が美味しいから…」とよく聞きますけど、
一口50回噛んだら、
本当にそうでしょうかσ(・ω・`@)


今、私の去年の上司が、
私に「発芽玄米」や「酵素玄米」を教えてくれ!と言ってきて、
教えて実践してますが、
「なんであんなに美味しいのだろう!!
凄い!!」と言っています(笑)


それは一口50回噛みにヒミツがあると思いますよ✩⃛˞(๑ꆨ৺ꉺ๑)♡

白米だとそんなに噛めませんものね(笑)


というわけで、



も是非是非読んでみて下さいね(○´3`)ノ


※過去記事「ツキミケノ ヒトハモヨロニ(長寿遺伝子の事とか)(←クリック)にも食生活のこと書いたよ(ღ′◡‵)



さて…玄米の話も長くなってしまいましたが、
そんな発芽玄米の普及活動にも励んでいらっしゃるのが、
今回の、Bebeを盛岡に呼んで下さった熊谷達雄さんなのですヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙


私ね、
北国の方々の反応を観て、
「あれ??笑いがない…(TДT|||)」
なあんて思ったのですよ、実は…。


私ね、
「心に残る」ことをしたい、と思っていて、
勿論、「感動」というのも重要で、
その「感動」の話は、
ヲシテ文献やアマテルカミの御心に沢山散りばめられているのは勿論のこと、
「ヲシテ文字そのもの」にも形の話や意味合いに感動が沢山詰まっている!
そう思っております♪(*〇´∀`艸)*゚


そしてそれだけで、
「真面目な堅苦しい話」にしてしまうのが嫌なのです(#^.^#)


「素晴らしい話には笑ってはいけない」というのは「真面目過ぎる方々」の「迷信」だと思っているのです(*´◒`*)


アマテルカミも、
素晴らしい方であったのみならず、
ユーモアのセンスもおありで、
それでいてその笑いと云うのは、
「人を嘲笑する」では決してなくて、
大きな大きな御心だったと思うのです╰(*´︶`*)╯♡


緊張を強いるのではなく、
笑い、緩め、楽しい!
そんな講義をしたいのですヾ(●´∀`●)ノ


けれども、
東北の方々はもしかしたら真面目過ぎて、
「(神聖な?)講義は笑ってはいけないもの」
とか、
「自分がどう感じたか?より周りの反応と合わせる」というのが大事と思っていらっしゃるのではないでしょうか…σ(・ω・`@)


そこへ行くと、
西日本(主に広島)は、
笑いもよく起きますし、
ご自分の感情を表現するのに躊躇いがそれ程ないように感じます。


これはね、
農業や生活なんかを見てみても、
冬が寒くて、
周りの人々と力を合わせあって、
助け合って協力し合って、
足並みを揃えないと生きていけない風土が関係しているのではないかしら…σ(・ω・`@)??


そこへ行くと、
多分九州なんかは、
音楽やダンスといった自己表現方法が発達しているのも、
好き勝手にやっても凍死もしないし、
作物もいい加減でも育ち易い、
というのが関係するのだと思います( ´ ▽ ` )ノ


これはどちらが良い、悪い、ではないのですよ(○´3`)ノ


寒い冬の間に自己を見つめ、
自己と対峙し、
内なる自分の表現方法として、
小説や絵画、または文学などに
秀でた方々を輩出しているのは、
正に東北〜〜+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚


そして、
真面目でコツコツと努力し、
本当に細かい手間を掛けた繊細な日本酒や食品や繊維製品が出来上がってくるのだと思います\(^o^)/


そして、
「周りと足並みを揃える」ということは、
梅の花さえ
桃や桜の開花を待ち、
一斉に爛漫な春を歌い上げるのと
似ているのではないでしょうか…*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*


                    早池峰神社


その、春や初夏の煌めきたるや、
他の暖かい地方の比ではないのではないか!??
と思うのです(♡´◡`♡)


また、
思いやりの心や優しさも、
寒さ厳しく助け合って生きていくからこその、
気質というのに表れていると思うのです꒰*✪∀✪꒱♬ ♡*:・



私達の日本の国は、
四季折々のみならず、
北から南へ、
東から西へ、
本当に長〜〜〜〜く、
同じ日本の国といっても、
本当に違いがあります( ´ ▽ ` )ノ


それらは、
「どちらが良い」とかそういう問題ではなく、
お互いを尊重し合い、
助け合い学び合ってこそ!
尊びあってこそ!
その恵みに気づけると思うのです(๑´ლ`๑)フフ♡



例えば5人の女性がいたとしても、
「誰が一番」ということではなく
「五色(ゐいろ)の花」のそれぞれの良さを愛でる事!!
(ホツマツタヱ16-52〜16-54)


そして真面目で頑張り屋な人が陥り易い、
「誰かを褒めたからといって、
自分の価値が下がる訳ではない」
これは声を大にして言いたいのです(`◕‸◕´+)シャキン



タミがヰヤス(居易)くある国というのは、
笑いもあり、
お互いを尊重し合い、尊び合っている国なのではないかと考えているのですヾ(●´∀`●)ノ


勿論、
誰かの良いところはどんどん真似たら良いと思います( ´ ▽ ` )ノ

けれども、
その誰かになれなくても、
その人それぞれの良さがあって、
お役も違えば、
その働きも違う!
誰かと比べて誰かの優れている部分があるからといって、
自分の価値がなくなる訳ではないのだと思うのです(๑´ლ`๑)フフ♡


ちょっと盛岡の報告とは逸れてしまいましたが、
Facebook(は、私はやらない派なんですけど)で、
「あ、べべちゃんが話してくれなくてもFacebookで読んだよ、その話」
꒰꒪д꒪|||꒱ガーン


という事なので、
私から特にご報告申し上げなくても大丈夫なんだな、
と思っております♪(*〇´∀`艸)*゚


次の記事も書きたくなってます、
書けるかな(笑)


それでは皆さま、
またどうぞ読みに来てくださいませヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙



。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜*+:。❀.。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃*+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。.

今回、広島から遥々応援しに来てくださったべべ組の有末さんにも大きな感謝申し上げます♪

早春のホツマあそび

さて、
記事を2つに分けましたので
ホツマクニ(関東)をおけいさんや有末さんと巡った旅行記に移りたいと思います(`◕‸◕´+)キリッ!
(更新したので順番を入れ替えました)


2017年2月21日

前日から有末さんが飛行機で成田に来る筈でしたが、霧で年間発着欠便数が一番多い広島空港発。そして成田空港近辺も春の風が逆巻きまくっていたそうで、
離陸時刻直前で欠航決定!
翌火曜日に有末さんは新幹線でホツマ入り(関東入り)することとなりました( ´ ▽ ` )ノ

東京駅で待ち合わせして、有末さんとヴィーガン(完全ベジタリアン)ラーメンをいただきますo(^▽^)o
この「T's たんたん」さん(東京駅構内京葉ストリート)と、
やはり東京駅一番街地下ラーメンストリートにある「ソラノイロ」さんは、ベジタリアン・ラーメンを食べられる美味しいラーメン屋さんです(○´3`)ノ


私の到着前には有末さんは、東京駅から歩いて皇居を通って、靖國神社に参拝してらしたようですが、馬車や騎馬隊も観られて良かったですねꉂ ૮( ᵒ̌ૢꇴᵒ̌ૢ )ა。*゚✧


東京駅から有末さんとBebeは高速バスに乗って成田空港に向かいます(○´3`)ノ
いやぁ、バスのお蔭で便利になりました♪


おけいさんのお宅は、ご自分の玄関が成田空港か!?というくらい成田空港のご近所です!

成田空港と言えば、私こそ中学高校が靖國神社の隣、のみならず法政大学の隣でしたので、もう既にその当時はそれほど過激なことはなかったのですが、それでも「三里塚」という単語の入った看板を見かけました。

成田空港問題、ちょっとここの所調べてみたのですけど、ここが出来るまでに大変な問題や出来事、犠牲があって、
それで首都東京からもアクセスのよろしくない空港となっておりましたが、

今は東京駅から1,000円で行けるバスも出来、また羽田空港には入らないLCC機の発着でだいぶ安く各地に飛べるようになりましたし、

物事には必ず裏表両面がありますから、
善悪二元で断定して物を見るのではなく、どんな悪しき!と見える出来事も、その恩恵ってありますよね♪

ああ恵みばかりを享受しております(#^.^#)



おけいさんのお宅はお庭が広〜〜いヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙
そしてその夜はおけいさんのお部屋で宴会(♡´◡`♡)

私は、おけいさんのお宅の、池田先生の掛軸も掛かったお茶室に2晩泊めていただきました。
水仙が活けてあって、本当に良い香りがお部屋に充満してます♪


。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜*+:。❀.。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃*+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。.


2017年2月22日
翌朝は7時前に出発〜〜♪( ´θ`)ノ

まずは香取神宮ヾノ。ÒㅅÓ)ノシ
香取神宮奥宮


香取神宮の参道も大好きなのですけど、今日は遠くまで行く予定も詰まっており、ちゃっちゃと鹿島神宮に向かいます٩꒰ ´ᆺ`꒱۶



朝早過ぎて、御手洗池の側の蕎麦屋さんも開いてなかったのですけど、資料館で鹿島神宮の御船祭の番組を観ていると程よい時間に…             
ここのお蕎麦は御手洗池の御神水も使ってて、常陸蕎麦は美味しいんです+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚
地元野菜の天ぷらも美味しかった!!
ご馳走様でした(。-人-。)



。.。:+♫+ ゜ ゜゜ *+:。.。:+♥+ ゜ ゜*+:。.。.。:+♫+ ゜ ゜゜*+:。.。:+♥+ ゜ ゜゜ *+:。.。.



さてさて…

ニハリミヤは何処にあったのか!??

これも此処といった確定のない古代ミステリーの一つです(✧◡✧)


先ずは地図を見てみましょう!!

茨城県は筑西市の「新治」
ここは正に「ニイハリ」であるのですけど…                 

この霞ヶ浦へと伸びる利根川水系の桜川は、古くは「伊佐々川」「筑波川」とも呼ばれていたと∑d(◐д◑´,,)イササ!


おおお!
【ツクバ】のミヤと【ニハリ】のミヤと、【フタアレ】のミヤ(宇都宮二荒山神社)をムヨロトシ(六万年?)ずつ往き来なさってたのですよぉ〜〜+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚



ここで💡

私ね、
常々不思議に思ってるのは、
八百屋さんで買物すると、どーして
「ハイ、500円!!」「ホイ、1200万円!」とかって八百屋さんは言うのでしょうか∑(❍ฺд❍ฺlll)

それは全国何処に行っても大概そうで…

いえ、スーパーマーケットでは言わないと思いますよ(#^.^#)

八百屋さんのオヤジですよ、言うのはっっ!!      

若い頃は「意味分かんね…(ー ー;)」とか思ってたんですけど、
挨拶…というより「おまじない」なのではσ(・ω・`@)??
と最近は思えてきました\(^o^)/

願望というか、おまじない!!


そしてね…

それと同じ様に、
ホツマツタヱやヲシテ文献に出てくる
ヨロトシ」もさ、
八百屋さんや市場のおぢさんが「万円」言う様に、
ヨロし」「ヨロコブ」「ヨロコバシ」に掛けて、
単なる「トシ」に装飾して「ヨロトシ」と言ってるのではないか??
とすら思えてきてるんですけど…

これを名付けて「八百屋の法則」と言います(`◕‸◕´+)キリッ!(ウソ)

ですから、
「ムトシ(6年)」を八百屋の法則で
「ム【ヨロ】トシ」としているのではないか??と…꒰#'ω`#꒱੭

あ、意外とオーマヂメですよん(⋓ื◡⋓ื) ニヤリ


⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ 


ニニキネ様御一行は、
ツクバのミヤから《トサト(→後の→十里)》来た、夜通し歩いたのでしょうか??                     
サトは今の距離を測る「里」とどれ位違うか?分かりませんが、
「ヨおコメテ」(夜通し)(歩いて?)「トサト キテ」とありますからね♪


池田先生の揚げて下さってる桑山神社や、新治郡衙跡 も気になるにはなりますが、私達は『鴨大神御子神主玉神社』もとっても気になっていたのですキャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー


だって
御祭神が「別雷大神」つまりヲシテ文献知らないとそれが「ニニキネ(瓊瓊杵尊/邇邇芸命)様」だなんて分からないではないですかぁ〜〜+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚                                              


そしてもう一方の御祭神が「大田田根子命」とあるではないですか∑(❍ฺд❍ฺlll)


鴨大神=ニニキネ様とピンと来るのも、ヲシテ文献学んでいるから!ならではなのですけど、
御子神とは、ニニキネ様の三つ子の皇子の内、次男のサクラギ様はニハリミヤにもいらした!!→桜川なのでは??


またニニキネ様の三男ウツキネ様は、フタアレのウツのミヤ→宇都宮!


成田→香取→鹿島を通って行きましたので結構遠いんですけどね!
行きたい行きたい( ;□;)ノシ))パタパタパタパ
と我儘言いました…




ここの神社は鳥居が
無いのです∑d(◐д◑´,,)鳥居の無い古い形の神社なのではなく、ニニキネ様のミヤにはトリヰを造ったとありますから、消失してしまったのではないかなσ(・ω・`@)

しかしね、
社殿も古くなって廃れた感はありますが、すご〜〜く凝った造りになっているのです!!と思ったらかなりな文化財のようです。

本殿は、旧岩瀬町指定有形文化財。



社伝によると創立は神武天皇八年。常陸国では、鹿島神宮・吉田神社に次ぐ位置にある大社だったそうです、(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…


そして、私達は「ホツマツタヱおノブ」
そう!オオタタネコ様が記したニニキネ様のイサヲシ(御功績)を三人で声を合わせて奏上したのです+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚

これぞ!ホツマツタヱを学んでいる喜びの極みだと思うんですよ。+゚(つз`o)゚+。


どんな祝詞を上げるより相応しい!!


有末さんもおけいさんも、
暗唱の重要さを判って一生懸命学んでいるからこそ!
こうした場所、場所、に於て相応しいウタ=ホツマツタヱを宣り挙げられるのです✨✨                         


幸せな時間を共有し、
こうしてヲシテ文献が学べる恵み!
勿論、ミヲヤであるクニトコタチ、フタカミ、アマテルカミ、ニニキネ様、オオタタネコ様にも言わずもがな!ですが、
写本を続けて下さった方々、
そして発見、研究に御尽力して下さった松本善之助先生、
更に私がヲシテ文字で読めるのは池田満先生のお蔭です!!

印刷を引き受けて下さった方々、出版して下さった方々、私財を投じて下さった松本不二子様、
またこうして通信の機器を使い離れていても共に学べる恵み、移動手段を使える恵み!!                         
もう数えきれない方々のお蔭です…


アナアリカタヤ
アナニヱヤ
アナウレシヤと
オガミサル


の心境で成田に戻りました(ღ′◡‵)

旅の最後まで「鴨大神御子神主玉神社」の名前言えず「鴨」「鴨」と叫んでましたが…🦆

゚.:。+゚.:🦆.:。+゚.:。🦆.:。+゚.:。🦆.:。+゚.゚.:。+゚.:🦆.:。+゚.:。🦆.:。+゚.:。🦆.:。+゚.


翌2月23日は
待ちにまった芝山町ヲシテ講座の日でした!                         
その記事はどうぞ次の記事をお読み下さいませ( ´ ▽ ` )ノ
    

その朝、行きたかったオモタル神社に行くことに…(○´3`)ノ


関東は、
アメナナヨ(天神七代)の6代目アマカミの、オモタル・カシコネ様の神社多いんです!
オモタル神社という名ばかりでなく、
天神6代ということで、「六天神社」としても、東京始め関東各地に多いのです!
オモタル・カシコネ様は、
近江から始まり、東はヤマト・ヒタカミ、
西はツキスミ(九州)、アシハラ、
南はアワ(このアワは四国かしらね?)、ソサ(紀伊半島)
北はネノクニ(北陸)ホソホコ・チタルクニ(山陰)
まで全国を巡幸されていらっしゃいますが、関東にも長くいらしたミヤがあったのではないでしょうか(ღ′◡‵)



と、入っていったミヤは…
あ!オモタル神社ではなかった(ノ∀≦。)ノ
この間違えて入ったミヤ、「宮門神社」でした(๑´ლ`๑)フフ♡
ここも何やら、凄い存在感があって、また素晴らしい杉の巨木があります♪
おそらく実際古代のミヤ(御殿。御屋敷。)であったのではないか??
どなたでしょう??
と思えば、「ヒコオシヒト」様とあります。                         
調べてみますと、彦忍人命は、第13代成務天皇の御代の国造だそうで!!
もうヲシテ時代と被るほどではないですか!??
その上この方は、古墳に数々のハニワと共に埋葬されてらっしゃいました+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚

古代、この地がかなり栄えていた証拠ですよねヾ(●´∀`●)ノ

そして御由緒にも、ホツマツタヱ16アヤ「ハラミツツシムオビのアヤ」の、タケミカツチ様(鹿島神宮近いですからね)のヒタチオビのメヲの鶴の羽根のエピソードが∑d(◐д◑´,,)



◝꒰´꒳`∗꒱◟◝꒰´꒳`꒱◟◝꒰∗´꒳`꒱◟◝꒰´꒳`∗꒱◟◝꒰´꒳`꒱◟◝꒰∗´꒳`꒱◟◝꒰´꒳`∗꒱◟◝꒰´꒳`꒱◟◝꒰∗´꒳`꒱◟◝꒰´꒳`∗꒱◟◝꒰´꒳`꒱◟◝꒰∗´꒳`꒱◟


そしてその後、無事オモタル神社へ(○´3`)ノ

ここは会場となった芝山町役場の直ぐ裏にありますヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙



こちらの神社は小さいけれど、
よく整備されていて、
現在も氏子さん方の活動が盛んなご様子でした(○´3`)ノ

そして本殿の裏手に回ってみると…

江戸時代位の錦絵でしょうか…
板に描かれていてかなり消えかかっているのですけど、
格子戸を隔て姫と殿が相向かいあってる絵が…


「こ、これは…






トマエニアイミ
ツマとナス…






オオトノチ・オオトマエでは…꒰꒪д꒪|||꒱ガーン」


はい、
6代目オモタル・カシコネ様でなく、
5代目オオトノチ・オオトマエなり(`◕‸◕´+)シャキン

ヰツヨでしたね、惜しいっっ(o_ _)ノ彡☆バンバン


でも、
もしかしたら、
初代クニトコタチ〜6代目オモタル・カシコネ様、
どころか7代目イサナギ・イサナミ様までの錦絵がかつては存在したのかも?ですね( ´ ▽ ` )ノ


そしてその後、ハニワ博物館へ行くのですが、
ホツマクニが、カトリ、カシマのみならず、ニニキネ様やヲバシリ様タカヒコネ様の影響を強く受け、
稲作も盛んで、馬もとても盛んだったことを実感するのでした…꒰*✪∀✪꒱♬ ♡*:・

のみならず、
ヤマトタケ様の痕跡もクッキリ!!


今日も長い記事、お読みくださりありがとうございました♡





うまし酒・三輪の酒

みなさん、こんにちは( ´ ▽ ` )ノ

今日は『お酒』について書いてみたいと思います…
えぇえぇゲコの癖にですよ🐸ゲコゲコ

まあお酒🍶もやらなきゃ
チョコレート🍫もやらないんですけどね(#^.^#)


ご神事にも欠かせぬ「お酒」「神酒(みき)」「御酒(みき)」


それはこの間、大神(おおみわ)神社に行った(←クリック)からです(#^.^#)

今年の11月の酒祭りまで待って記事にすれば良いんですけどね…
フライングですね(*/∇\*)



そもそも
お酒の起源について見てみましょう(○´3`)ノ

それはホツマツタヱ2アヤの『アメナナヨ・トコミキのアヤ』にあります。
4代アマカミのウビチニ様ウビチニ様は、赤ちゃんの時「木ノ実」を握っていらっしゃいました!
その木ノ実(=桃の種)を庭に植ゑましたら、
3年後の3月3日(旧暦ですから今の4月上旬辺りでしょうか…)
花が沢〜〜〜〜山、100みたいに沢山咲いたのです→それがモモ(100)の花🌸
その花は夏になるとまたまた沢山(100、モモ)実を付けました!

それ故、4代アマカミ
ウビチニ様の御幼名→モモヒナギ
スビチニ様の御幼名→モモヒナミ

このお二方が成人して結婚することになった3月3日。

 


スクナミカミの造ったミキ(お御酒)が新郎新婦のお二方にササケ(捧げ)られました( ´ ▽ ` )ノ


またその製法は、スズメが竹株に籾を入れて発酵していたのを見て、お酒造りが始まったようですね!
そのスクナミカミはササゲ山(ヰノクチ)にいらっしゃったみたいで、



私はこの二ヶ所が候補だと思っています。


一つ目は、滋賀県高島市今津の酒波
ここには酒波神社と日置神社がありまして、その後ろになんと!笹ヶ峰がありますねぇ…Σ(゚д゚lll)




もう一つは、滋賀県近江八幡市安土町常楽寺の沙沙貴神社!
こちらも有力候補だそうで…。

そして、ウビチニ様ウビチニ様の結婚式がひな祭りの元祖であり、
サカヅキ(盃)というのも3月3日の三日月の形!
そのお話はどうぞホツマツタヱ2アヤ
『アメナナヨ・トコミキのアヤ』をお読み下さいね✩⃛˞(๑ꆨ৺ꉺ๑)♡



。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜*+:。❀.。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃*+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。.


さて、お酒を飲み交わす話は沢山出てきますけど、造ったお話は、
次はソサノヲ様ではないかしら(ღ′◡‵)??

ここのお話も、
所謂伝承のヤマタノヲロチとはちと違うので是非原文で読み込んで下さいませ(○´3`)ノ

ちょっとだけ引用しますと、


ヤマノサスキニ
ヤシホリノ
サケおカモシテ
マチタマフ
ヤマタカシラノ
オロチキテ
ヤフネのサケお
ノミヱイテ
ネムルオロチお
ズダにキル
(9-10)


ヤシホリというのは、
池田先生によると、
八回絞ったのとは違うとのことですが、
このヲシテで見た時の「ホ」の字は、
中が通らないと「ホ」ではない訳で、
「ホ」の文字そのものに搾る意味がある感じですけどね♪
そのお酒を「8フネ(槽)」用意したとのことです。

   ☆それとね、蛇足なんですけど、
数々の神楽や歌舞伎、文学の題材にもなってるソサノヲ様の「オロチ退治」なんですけど、ホツマツタヱではそれ自体を重要視してません。というか、ヒーロー視してないんですね( ´ ▽ ` )ノ
それは大切な事で、ソサノヲ様が「タミをヤワす=(アマカミやクニカミなどの)カミというのはタミのタラ(親)」と悟る事が重要であって、天下を支配するということを英雄視してもいなければ、そういう争いではない!ココロネがスガ(清く)である事が最も重要だからなんです!ガ(我)を去る事=スガ!それが重要であって、「俺ヒーロー!」というガ(我)は良しとされていないからなんです。


。.。:+♫+ ゜ ゜゜ *+:。.。:+♥+ ゜ ゜*+:。.。.。:+♫+ ゜ ゜゜*+:。.。:+♥+ ゜ ゜゜ *+:。.。.


さあ、いよいよ問題のうまさけ」は「三輪」に掛かる枕詞
に行っても良いですかぁ〜〜☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


時は第10代崇神(すじん)天皇ミマキイリヒコ様の御代(みよ)です(○´3`)ノ

ここはホツマツタヱの最終編者ヲヲタタネコ(オオ・タタネコ)様が見出された経緯の延長線ですが、
世が乱れに乱れて、トツクニともありますから外国(トツクニ)からの勢力も入り込んで来ていたということでしょう…

何だか今の世と状況は似ているかもですね!?

かなり端折(はしょ)りますが、
崇神天皇の夢にオオモノヌシのカミ(第2代オオモノヌシ・クシヒコ様ですね)が現れ、私の子孫のオオタタネコを探し出し、私をミモロヤマ(三輪山)に祀らしめイワヒヌシ(神官、今でいう宮司?)とせよ!と仰いました。

スヘラギ(崇神天皇)は、チヌアガタのスヱ邑に行幸し、タタネコ様を探し出して、氏素性を問いますと、
オオモノヌシ(ここでは3代オオモノヌシ・コモリカミ・ミホヒコ様のことと思います)がスヱヅミの娘イクタマヨリヒメと生んだオオミワカミの(子孫の)ハツコ(長男)であります、と…。

それが大神(おおみわ)神社の成り立ちです(○´3`)ノ

この大神神社の初代神官で且つホツマツタヱの最終編者のオオタタネコ様は、大神神社境内マップの左下にあります《大直禰子神社(若宮社)》に祀られています( ´ ▽ ` )ノ


そうすると世の乱れは収まり、農作物も豊かに実った様です。


そして
ヤホ(8穂)ウヨカ(4月4日)
タカハシ邑のイクヒさんがミキ(神酒)を造って献上(奉納)しました。

ソノアヂウマシヾノ。ÒㅅÓ)ノシ

イクヒさん、上の大神神社境内マップの中央左に《活日神社》とある所に祀られてますよ( ´ ▽ ` )ノ

その年の12月8日
崇神天皇が大神神社に行幸してお祭になりました。
その宴・直会に、
そのイクヒさんの神酒を召し上がりました。
その時、崇神天皇が詠まれた御製が


これね、
日本書紀にもある崇神天皇の有名な御製なんですけど、日本書紀は本当に残念っっ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)


ちょいとひらがなで較べてみましょう!

【ホツマツタヱ】
このみきは
わがみきならず
やまとなる
おほものぬしの
かみのみき
いくひさづくる
すぎばいくひさ


【日本書紀】
このみきは
わがみきならず
やまとな【す】
おほものぬしの
かみ【し】みき
いくひさ  いくひさ


『イクヒ』さんがサヅケてくれた酒ですから、それに掛詞で『(いつまでも青々としている)杉の葉っぱの様にイクヒサ(幾久しく)』なのです(⌇ຶД⌇ຶ)

その意味が全く脱落していますね!

また
杉の木は「(マ)スグ(真っ直ぐ)」なる樹木なので、二代目オオモノヌシ・クシヒコ様の真っ直ぐなご性格に擬えて、
大神神社にも杉の木々が植えられている訳です。

その上、杉の葉っぱの殺菌効果や防虫効果、精神安定効果、など様々な効能がありますo(^▽^)o

昔の魚屋さんや今でもお寿司屋さんで、魚の下に杉葉を敷いてあったりしますよね♪
腐敗や他の菌が禁物な酒造りにも欠かせないものでしょう!



その「スギバ(杉葉)」も日本書紀では脱落しちゃってるんです(╯•﹏•╰)

イクヒサヅクル(イクヒが授けてくれたお酒のに)
スギバ・イクヒサ(杉葉の様に幾久しく、御代も豊かにタミの生活も安定して末長く)」という意味が脱落して
いきなり
「幾久 幾久」だなんて!
まるで幼稚園児の様な稚拙さではないですか🙊(←あ〜あ、猿がまた失言しちゃったょ)



さあ、較べてみて下さい!!

多分、文学的教養のあるお方でしたら、
長い事、日本書紀版で慣れ親しんでいらしたとは思うのですが…
でも本当の御製はどちらだとおもいますか!??

どちらがより美しいウタでしょうか!??


「そうはいっても今まで1300年これで来たんだからいいじゃないか??
お祭だって宣伝だってこれでやってるんだし…」と多くの方々が仰いそうですが、

しかし、
御製(天皇の御歌)なんですよっっ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)

どちらが不敬なことでしょうか(⌇ຶД⌇ຶ)(⌇ຶД⌇ຶ)(⌇ຶД⌇ຶ)




そして、
そのお祭は夜通し朝まで続きまして、
トミらが朝戸を開けるのも惜しい位楽しいミアヱとウタを詠みますと、
崇神天皇が替歌を詠まれます。

それが有名な次のウタです(○´3`)ノ

こっちは横構図だったんで、
並べて入れてみました꒰#'ω`#꒱੭

こちらも較べてみて下さい!!

[ホツマツタヱ]
うまさけに  みわみわのとの
あさとにも  おしきらかねよ
みわのとのとオ


[日本書紀]
うまさけ    みわのとのの 
あさとにも   おしひらかね 
みわのとのとを


日本書紀の方は五七も全然崩れちゃってますよね∑(❍ฺд❍ฺlll)


畏れ多くも、
シタタミの下民の下民の、
私が申し上げても仕方ないんですが、
やっぱり天皇陛下の御製なのですからね!
しかも彼(か)の大神神社の起源とも言うべき御製なのですからね!
「うまさけ」は「みわ」に掛かる枕詞なんですからね!

やはり本当の御製に戻して欲しいっっ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)

切に願います。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。


去年は行けなくて残念!
この間、甘酒飲んだだけですが、
今年は11月の酒祭り行ってみたいなぁヾ(●´∀`●)ノ


ま、甘酒にも2種類あって

★酒粕から作る甘酒
(こちらはアルコール分を微量に含む)

★麹から作る甘酒
(こちらは麹の力でお米を糖化させて作るのであって、アルコール分は含まない)

後者の甘酒は、Bebeは調味料としても使っていて、自宅でも作れるんですけど、一回作ると、お米一合でももう大量、何ℓも出来ちゃって大変です💦


どちらも寒い季節にちょいと生姜入れて飲んだらホカホカ温まりますよね♪


あ、冷たい甘酒(麹から作った甘酒でしたが)もひいひい息を切らせて階段を昇った四国の金刀比羅宮・こんぴらさんで飲んだのも美味しかったな♪



お酒もまた「お米」が不可欠なものであり、このミヅホのクニの恵みですねぇヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙

ではでは〜



♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡

宣伝


2月23日、
千葉の芝山(ハニワで有名なところね!成田の近く)でヲシテ講座をさせていただきますので、
どうぞお近くの皆様は来て下さいね+:.゚(人>◡σ).。+゚


                                                                                                             
東京からは大崎から直通バス(←クリック)があります
バス時刻表(←クリック)
ご連絡は此方!
花コヨミ会・齊藤恵子さん
(☆を@に変えてメールして下さいませ)








三輪のカミ!マロカネハメドケガレヱズ

さて前号の続きです…

近鉄電車の駅でこんなポスターを目にしました…

「おおっ!大神(おおみわ)神社で明日は【おんだ祭】とやらだよ∑d(◐д◑´,,)
行ってみっかな…꒰#'ω`#꒱੭」

そうです、出不精です…(#^.^#)

大神神社も2015年5月末にまさこさんと共に行ったのですが、
まあ今回は一人だしフラッとね♪


今、Bebeは21アヤ「ニハリミヤ・ノリサタムアヤ」の暗唱の終盤なのですが、
ここでも2代目オオモノヌシであるクシヒコ様のご活躍が秀逸です(✧◡✧)✨✨

古事記とかでは、
オオモノヌシ(役職名)というのが大物主(固有名)とされ、
初代オオモノヌシオホナムチ様と
2代目オオモノヌシクシヒコ様が、
全くもって混同されてますっっ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)
よく世間で言われている大国主とは初代オオモノヌシ・オホナムチ様のことであろうけど、ヲシテ文献ではオオクンヌシ、ヲコヌシはクシヒコ様の讃え名!

しかし本当はご性格が全然違いますねΣ(・□・;)
オホナムチ様のイミナ(本名)はクシキネ様でソサノヲ様とイナタヒメの5番目のお子様、そしてキツキミヤ(出雲大社)の御祭神で、出雲を豊か〜〜にされた御功績のある方!
出雲大社のしめ縄があんなに巨大なのも、オホナムチ様が農業政策の手腕を発揮されたからに他なりません。

しかしそれが元で慢心してしまい、
朝廷を軽んじた為に、
息子クシヒコ様は、その当時コトシロヌシという役職を賭けて父上に諫言します。けれど聞き入れられず、美保関で釣りをして隠居生活をしていらっしゃいました(ღ′◡‵)

そこへとうとうオホナムチ様のキツキヤシロに朝廷からの使者として、
カシマカミ・タケミカツチ様とカトリカミ・フツヌシ様がやって来ます!
これがいわゆる「カシマタチ(鹿島立ち)」
(右)のシマり(役職)=ツルギトミ
タチ(断つ→解任)という事です。

タケミカツチ様は、普通の人の倍の背丈(16タケ)もあって、オホナムチ様の秘蔵っ子タケミナカタも震え上がるほどです。
いよいよ追い詰められたオホナムチ様は、美保関のクシヒコ様に助言を求めます。

これが有名な?(私の中で)

タカマわタミの
ヱミスタイ
イトカケマクゾ
(ホ10-29)
です!

つまり朝廷というのは、
タミの民意があってはじめてその為に機能しているのであって、
それはまるで糸が掛かっている釣られた鯛なのであって、
だからこそ大層尊い(イトカケマク)なのである!
クシヒコ様、笑顔は素敵で、後の世では「ゑびす様」として民間信仰の対象となりますが、
ご性格は清廉潔白でとても激しい方です(`◕‸◕´+)キリッ!


またクシヒコ様は、
前号に書きましたホノアカリ様のたった1日でのイカルガ→アスカへの宮遷しに際しても、ホノアカリ様の左の臣フトタマにも、
「あなたはキミ・ホノアカリ様を補佐できる立場なのに何故そのような決定をさせてしまうのか!?
宮遷しというのは、キミの気分で決定して良いということではなく、タミが安心して暮らせる為のことなのに!!」と
厳しく激しく叱責します。

そしてそれが受け入れられないと、

アカネホノホニ
ツミストモ
マロカネ(マロカセ?)ハメド
ケガレヱズ(ホ20-34〜20-35)
つまり、
真っ赤に燃える炎に焼かれようとも、
正しい義の為なら、
真っ赤に燃える金属の塊を飲まされようとも、
私は屈しない!

と言ってホノアカリ様の許を去っていきます。


そんなクシヒコ様は、自らの死期が近づいたのを悟るや、
サカホコを提げてミモロヤマに洞を掘らせてトヨケノリ(生きたまま磐に入る事)されます。

クシヒコわ
ヤマトヤマベニ
トノツクリ
ヨおカンガエバ
トシステニ
ソフヨロヤチモ
キワアレバ
ノチノマモリわ
トヨケノリ
タマノヲイレテ
スヘラギの
ヨヨマモランわ
アメノミチ
ミモロのヤマニ
ホラホリテ
アマノサカホコ
サゲナガラ
イリテシツカニ
トキおマツ
(23-95〜23-97)


最期まで、
世の事、後世のタミのこと、
アメノミチ、天皇のミチを考え、
それらの護りの為に、
ミモロヤマ(三輪山)に入るのです。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。


最期の最期まで
本当にマコトを護り通した方でした・゜・(PД`q。)・゜・


そんなお厳しいクシヒコ様ですから、
笑顔が素敵だったとはいえ、
体型的にあんなに豊満な恵比須像はちょっとないよねぇ(ノ∀≦。)ノ

でも、
後の世の人々にも、
恵比須様として親しまれている!
鯛を釣ってる意味は忘れ去られても、
鯛を釣ってるんですよ(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…


さてさて…
旅の続きです❤︎

2017年2月6日
大阪から近鉄に乗って奈良でJRに乗り換えて三輪に向かいます( ´ ▽ ` )ノ

車窓から三輪山見えて来たよワ━━ヽ(′▽`*)乂(*′▽`)ノ━━イ!!
多分、「三輪山」はあんな形!
うん、一人だったから断言出来ないけど、三輪山の筈…

天気予報は雨!
雨こそ降っていないものの、やっぱ2月の三輪は寒いです💦

途中に素戔嗚神社がありまして











やっぱ、ソサノヲ様は、
大神神社の御祭神の
初代オオモノヌシ・オホナムチ様のお父様で、
2代目オオモノヌシ・クシヒコ様のお祖父ちゃまですものね、まずはご挨拶(๑´ლ`๑)フフ♡

    👣       👣     
           👣           👣
さあ、着きました!
大神(おおみわ)神社!!
大神神社ヾノ。ÒㅅÓ)ノシ


寒いので三輪の酒の甘酒頂いてあったまりますわぃ(w´Д`w)〜♡

そして「おんだ祭」

演目はその年の豊作を祈念する漫才のような感じなのですけど、
オホナムチ様はさっすがタミの糧(かて)ソロ(お米とか農作物)を増やした方ですし、
3代目オオモノヌシ・コモリカミ・ミホヒコ様も田歌を作って唄った方(17-88)ですものねꉂ ૮( ᵒ̌ૢꇴᵒ̌ૢ )ა。*゚✧
途中、巫女さんによるお田植え神楽と鈴祓いがあったり…



ここでちょいと御祭神を見てみましょう👀


大物主大神2代目オオモノヌシクシヒコ様、ミモロヤマにサカホコを提げて入滅された方ですね! その他、ヲコヌシオオクンヌシとの讃え名も…

大己貴神初代オオモノヌシでクシヒコ様のお父様、イミナはクシキネ、オホナムチ様!後には津軽でもその政治的手腕を発揮しカルキミと呼ばれます。

少彦名神はオホナムチ様と共に農業やタミの病気を癒したり、その後アワウタを習い雛祭りを教えて和歌山の加太の浦でアワシマカミとして淡島神社に祀られた方ですね♪

寒いので(寒さに滅法弱いです)お祭もまだ途中でしたが退散…꒰✘Д✘◍꒱

そして鳥居を出て直ぐのお店に吸い込まれて行きます(/●◔∀◐●)/

火の側でぬくぬくと
三輪素麺の「にうめん」頂きます(。-人-。)

👣                        👣      👣
       👣         👣
     👣                   👣


それから、
三輪駅で見たポスターに従い恵比須神社の「初ゑびす」に向かいま〜す(○´3`)ノ


駅でも途中でも笹の葉っぱを持った人達に沢山すれ違いますꉂ ૮( ᵒ̌ૢꇴᵒ̌ૢ )ა。*゚✧


こちらの恵比須様は、
クシヒコ様のゑみす顔(笑顔)からきた「ゑびす」様であり、そして事代主というのはその当時のクシヒコ様の役職な訳ですが、
大神神社の御祭神とこちらの恵比須神社の御祭神が同じだとご存知でしたか(♡´◡`♡)??

鯛の山車(だし)。
鯛の出汁(だし)も美味しくて大好き😋


吉兆笹や福俵、福熊手をお求めになると福娘(巫女さん)が鈴祓いをしてくれるょ♡


ムメ(梅)も咲いてた♪


★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜

私達が現在「ホツマツタヱ」を読めるのは、ミワのトミの御子孫で大神神社の初代神官であるヲヲタタネコ様のお蔭です♪

そしてそのタタネコ様は、ご自身のご先祖オオモノヌシ・クシヒコ様を祀っている訳です(ღ′◡‵)
タタネコ様ご自身も

若宮社(大直禰子神社)(わかみやしゃ(おおたたねこじんじゃ)に祀られています。

またミワのトミの御子孫がヲシテ文献を守り続けて下さったお蔭なのです。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。

※ホツマツタヱ前半1〜28アヤはミワのトミの6代目オオモノヌシのクシミカタマ・ワニヒコ様が編者です。


よく聞く?「大和 VS 出雲」?
だって、大神神社の御祭神であるクシヒコ様のお父様オホナムチ様の統治なさってたのが出雲なんですよ!??

本当に多くの方々にそれを知って欲しいですね。+゚(つз`o)゚+。

それから、
「出雲族は虐殺された」だなんて、何処にそんな戦の痕が遺跡として出てきているのですか!??
(なんだか、その発想、アレに似てますね!「南京大虐殺」とか「従軍慰安婦」という捏造でっち上げに…)


クシヒコ様が、
末民の事まで案じ、
アメノミチが護られ、
日嗣の弥栄を祈り、
三輪山の洞に入られた事!!

そしてタミの幸せとは、
「神道のご神事(だけ)が偉い」ではなく、
「タミの為のアメノミチ」
「タミの喜び=アマカミ(天皇陛下)の幸せ」というトノヲシヱであるということ!!

ですから、
ゑびす様のお祭もまんざら、
ミワのカミ、クシヒコ様の御旨と隔たっている訳ではないかもですねヾ(●´∀`●)ノ


そして、そのアメノミチが記された
代々の掟となるフミ、
そんな畏れ多くも有り難き尊いフミを、
皆さんも読んでみませんか.:*・✿ ✿.。.:*・(Ő‿Ő✿)✫゚*


。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜*+:。❀.。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃*+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。.

ホツマツタヱ発見からの経緯はこちらをどうぞ〜(○´3`)ノ  ↓クリック
    ↑クリック
松本 善之助
2016-09






それから宣伝♪
今月2月23日千葉の芝山にてヲシテ講座させていただきま〜すヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙
来てね+:.゚(人>◡σ).。+゚

天空の船!?

こんにちは( ´ ▽ ` )ノ

寒いですが皆さんお元気ですか??私は冬生まれの癖に(あ、年によっては暦の上で旧暦新春の年もあります、今年ゃツゴモリ)寒さが苦手なBebeです(๑>◡<๑)

なので用事がない限り外出は控えて家でぬくぬく勉強していたい方ですが、
昨日〜今日、ちょいと大阪の仕事があったので、
それでは…と兼ねてから気になっていたホノアカリ様ルート辿ってみることにしたなり(✧◡✧)


今21アヤも終盤まで暗唱進みましたが、実は20アヤ「スメミマコ・トクサヱルアヤ」が大好き(((o(*゚▽゚*)o)))♡
21アヤの36カドの暗唱が泣けるほど難しかったけど、20アヤもどっこい32人の伴人の暗記は泣けましたけどヽ(;▽;)ノ

それでも、あれだけ壮麗な描写は本当に気持ち良いです(○´3`)ノ
その系統だと5アヤの最終まとめ部分の
  
   ミソギにタミの
   トトノヒテ…

からも大好きですけどね/(^o^)\


まず21アヤ「スメミマコ・トクサヱルアヤ」とはどんなお話なのか??


キヤヱ年のヤヨイのこと…
カスガトノ・ココトムスビ様がご老齢の為引退なさるのでヒタカミにおわす9代アマカミの御子オシホミミ様にナカクニ入りの打診がありました。
けれどオシホミミ様はタミに慕われて引き留められるので、
長男クシタマ・ホノアカリ・テルヒコ様に行かせることになります(○´3`)ノ

ここで!!
先代旧事本紀とかは天照国照彦天火明櫛玉饒速日とかにしちゃって、ホノアカリ様とニギハヤヒ様を混同しちゃってますけど、
ホノアカリ様がテルヒコクシタマです(`◕‸◕´+)シャキン
ニギハヤヒ様はクニテルで、ホノアカリ様の養子です!!

そこからトクサタカラ(十種神宝)譲りもあり…。
このトクサ(十種神宝)は、石上神宮(いそのかみじんぐう)とか物部神社に伝わってるようですけど、
ちょっとヲシテ文献とは違う…。
残念ですね、古事記的な間違いが…
あ〜〜ここも触れようかと思ったのですが、次の記事オオモノヌシ・クシヒコ様の記事を書く為割愛…
また機会があれば…(#^.^#)


それからアスカヲキミ・ホノアカリ(クシタマ・テルヒコ)(オシホミミの長男。ニニキネの兄)のナカクニ(近畿)入りは、総勢864人の臣下を従え、アマテルカミの勅令によるイワクスフネでかつてないほどの壮大さ、壮麗さで描写されています。


私は、この時のイワクスフネの門出の様子が鹿島神宮の式年祭「御船(みふね)祭り」←クリックで飛びます)に残ってるのだろうと思ってます( ´ ▽ ` )ノ

因みにイワクスフネというのは、
イワヒ(祝ひ)のクス(樟)で造られた船であろうと思われます(`◕‸◕´+)シャキン
磐(イワ)で出来てたんなら海に浮かびません((유∀유|||))

さて、
この船は、ツクモ(九十九里浜)を出発します。
池田先生に依ると、その門出の様子が上総國一の宮の玉前神社のお祭「上総十二社祭」の海中渡御に残っているらしいですね…(´'c。'` )ほほー

出航した船は先ずはイツ(伊豆)の岬に着きますが、
それは下田辺りだと思われます。
古代から海運の盛んなところ(←クリック)だったようです。


そして描写はこう続きます。

ツクモヨリ
イツノミサキニ
ホおアケテ
オキハシルメ👁わ
オホソラお
ハルカニカケリ
ミクマノノ
ミヤヰオカミテ
ナミワヨリ
カモニテイタル
イカルカノ


ここで重要!!

船が大空を駈けていたのではなく、
沖走る「目」が、
「オホソラお ハルカニカケリ」なわけです!!

船に乗って遥か遠くを意気揚々と見ていると、
空と海とが溶け合って、
まるで大空を走っている様に感じる!
ということです(`◕‸◕´+)シャキン

何故なら、
空路であったなら、
わざわざ伊豆下田(伊豆半島南端)も熊野(紀伊半島南端)も通らないで、
鹿島からビッと富士山上空でも通って行けば良いんですよヾ(≧▽≦)ノあははは!


わざわざ紀伊半島廻って、
ナミワ(浪速)に着いた御一行様は、
ここでイワクスフネからカモフネ(櫂で漕ぐ船)に乗り換えます。
外洋から川で南下していく為です。

この川を私は先ず「淀川」と睨みました!※最後に追記あります
そして枚方から支流に下って行くのであろう…
地図で探すと、
「天野川」!!!
そしてその先に「磐船神社」あったよ〜〜キャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー


なんか自分がルート発見したようないい気になってましたが、
実はこのホノアカリ様のルートは、
ニギハヤヒ(饒速日)の事として、
ニギハヤヒ・ファンに有名みたいで、
古代地図までちゃんと直ぐに発見出来ました(#^.^#)


まあそれは磐船神社に行った後にそれら地図を発見するのですけどね꒰#'ω`#꒱੭


さて、
当日は、あいにくの雨…
幸い殆ど雨には濡れなかったのですが、
素敵な循環型農業の農園レストランの杉・五兵衛さんに連れてっていただき感激です꒰✪ૢꇵ✪ૢ꒱ෆ⃛ෆ⃛ೄ✨✨




楽しいお話ばっかりに夢中になって、
つい目的?の磐船神社に中々行けません(ノ∀≦。)ノ

でも寒いし、
さっきまで雨だったんだし無理はいけません。




ここ、本当に良い氣が満ちていて
気持ち良い場所でしたo(^▽^)o

数年前に転落死亡事故があったそうなので、くれぐれも一人とかで行ってはいけません!
が、
またニギハヤヒ様も詳しくなって(ホンマはここ、ホノアカリ様なんですよ!!)

ここ磐船神社の岩窟巡り(←クリック)はちょいと危険も伴うけど、とっても楽しそう!なので、
また暖かい季節にリヴェンジしようと思います*。⋆ฺ(*´◡`)ノ

その後、ホノアカリ様御一行がイカルガに着いて、その翌日アスカに宮遷ししちゃった話も機会があれば…
そして「ソラミツヤマトクニ」と名付けたナカクニは、ヒタカミから遥々いらした御一行様にとっての新天地であり、
今とは地形も違う奈良の地の、
気持ち良い春の海を船で遥かにいらした期待を込めた名であったのでしょうね(ღ′◡‵)✨✨


その帰り道、
車から見る大阪の街は昔海であったかのように低く見えました!

ホテルに帰って古代地図を見ると、
それが河内湖なんですね∑d(◐д◑´,,)


泊まったホテルが、
この地図の難波宮のすぐ側だったので、
翌朝、仁徳天皇の難波宮=難波神社に行って見ました( ´ ▽ ` )ノ


巨大な前方後円墳「大仙陵古墳」で有名な仁徳天皇陵の仁徳天皇ですが、
仁徳天皇の「タミの竃」←クリックで飛びます)の話は前に記事に書きました!
高殿に上るとタミの竃が見えるかしらん??と思えどもビルばかりで見えず((유∀유|||))
今は狭い境内の難波宮ですが、隣の寺院も古代は敷地で、その宮→御堂が御堂筋なんかしらねσ(・ω・`@)??

あ!今書いてて発見!もしかしたら、
難波高津宮は高津神社の方なのかしらヽ(´Д`;≡;´Д`)丿

ちょっとここもリヴェンジですね。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン


そして帰り道、
駅でこのポスターを目にし、
翌日、大神神社に行ったお話はまた次に…


旅行記の続き書けました✧*。٩(ˊᗜˋ*)و✧*。


♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡


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☆2017年2月10日追記☆
私はホノアカリ様ルート《淀川→天野川》と睨んでたのですが、
途中「もしかして大和川??」とも思ったりもしましたが、
池田満先生の「ホツマ辞典」では《大和川》と仰ってますね!!
ちょっと古代の大和川を軽く調べてみましたら、古代天皇とかの交易ルートともあります…
確かに《大和川》だと《難波→斑鳩》と行けますしね…👀✨✨

まあ、私は関東で土地勘も無いし、大阪から行ったので、
その前に「磐船神社」というのを発見して喜んでしまいましたので…(#^.^#)

なので、今の所、磐船神社も行ってはみたくせに、「大和川ルートの方が可能性高いかなぁ〜??」などと思い始めています。
しかしながら、実際はどうであったか!?は、
神の味噌汁(カミノミソシル)…


☆2017年2月19日 またまた追記☆
しかし「ヤマトカワ(大和川)」はその後、アマノコヤネ様がヤマトカワを掘って、その土をミカサヤマ(三笠山)にした、と
24-107にあるから、
まあ案外、大和川ルートでなくて、淀川+天野川ルートも、
悪くないかも??ですね( ´ ▽ ` )ノ

ツクシに来たカモ

皆さま
新年明けましておめでとうございます( ´ ▽ ` )ノ

中々更新もしておりませんが、
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます♪(*〇´∀`艸)*゚


さてさて…
うちの彼が約5年住んだ広島を離れ、
その前に居た福岡に転勤になりました!

広島では、
沢山の出会いがあり、
またこうしてヲシテ文献を学べているのも広島の奇しなるご縁のお蔭なのではございますが…

福岡に戻れるのは、それはそれでとーーーーっても嬉しいのですヾ(●´∀`●)ノ


私が福岡に通ったのは約2年弱なのですが、
そして又、福岡でも出不精で半径2㎞の女は、
西新(にしじん)⇄唐人町(とうじんまち)⇄百道(ももち)の
ゴールデン・トライアングルをくるくるしてるだけではあったのですが(ノ∀≦。)ノ


それでもviva FUKUOKA でございます(#^.^#)


夢の中でも、福岡明治通りの西新辺りを歩いてました(なんだろね??夢の中でよく歩いてるのよ!!)


そんなBebeは、
今回はサザエさん通りの延長上の南に住むことになりましたが、
以前は福岡市中央区(下記地図の左の方ね)でしたが、
今度は福岡市早良(さわら)区

(下記地図の下の方ね)です。

以前はヤフー!ドームだったのがヤフオク!ドームに…∑d(◐д◑´,,)


そして毎日新居の片付けに、
天神(福岡の中心地ね)のマンスリーマンション(暖かい)から西鉄バスで通っておりますの…
天神のマンションの近所にはイオン・ショッパーズという大きなスーパーマーケットでしたが、以前はダイエーだったょ!!しゃぼん玉石鹸とか買いに行きましたもの…


そして、
「毎日見た博多湾!百道浜(ももちはま)〜〜٩(♡ε♡ )۶」と浸ってますが、
今回はちと海から南になってしまいました。


Bebeの授業は電話&iMessageなので、
広島に行こうが、福岡だろうが、
仮住まいであろうが大丈夫です(`◕‸◕´+)シャキン



この早良(さわら)区!
「あ!?
サワラノわ アカツチのマコ」∑d(◐д◑´,,)
(ホ20-10)

ではないでしょうか!??
アマテルカミの孫の内、兄ホノアカリ様が近畿入りする際にお供した32人の内の
【サワラノ】様のお祖父様は、
ウサのミヤ(宇佐神宮)だったのですよヾ(●´∀`●)ノ
アカツチ様は、アマテルカミのネ(北)のツボネ、モチコ、ハヤコ姉妹も後妻に迎えたり、
またソサノヲ様の初恋のハヤスウヒメはアカツチのお嬢様でした!

その孫のサワラノ様の管轄地かしら??


サワラと言えば早良親王が有名ですが、
早良親王は九州はあんまり結びつきませんでした。


それでサワラ区というだけでワクワクしてきます+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚








今、まさこさんは丁度5アヤ「ワカノマクラコトハのアヤ」の、
イサナギ様のミソギの所をやっておりました!


イサナミ様が逝去され、
先ずは熊野のオトナシカワ(音無川)でミソギされるのですが、

その後、ツクシ(九州)に行幸されます( ´ ▽ ` )ノ



ノチイタル
ツクシアワキノ
ミソキニわ
ナカゝワニウム
ソコツツヲ
ツギナカツツヲ
ウワツツヲ
コレカナサキニ
マツラシム
(ホ5-22)


このカナサキ様は、
イサナギ様イサナミ様のお嬢様ワカヒメをお育てになった方で、ウタの名手でもあります。
またハタレの乱ではミソギツカサを務められたり、
アマテルカミのツ(西)のスケ妃ハヤアキツヒメ・アキコ様のお父様でもあられます。
また海運・造船業の方でもあられます( ´ ▽ ` )ノ


江戸時代にも初夢の為のこの絵が縁起物として売られたそうですが、
このウタは元々はカナサキ様が、アマテルカミの行幸の舟で嵐となった時に波を鎮める為にウタった回り歌なのは、
ホツマツタヱを学ばれてる方はよくご存知でしょう✩⃛˞(๑ꆨ৺ꉺ๑)♡
その後何故か七福神の宝船になってますが…

また能や婚礼や千歳飴に描かれる高砂の翁もカナサキ様がモデルなのですよ(○´3`)ノその話も面白いから又機会があれば…




さて、
話をイサナギ様のミソギに戻しますが、
イサナギ様は九州で三ヶ所でミソギをなさってます…

ホツマツタヱではこう続きます。


5-23   734行目下段より
マタアツカワニ
ソコトナカ
カミワタツミノ
ミカミウム
コレムナカタニ
マツラシム

 737行目下段より
マタシガウミニ
シマツヒコ
ツギオキツキコ
シガノカミ
コレわアツミニ
マツラシム




九州に入ってイサナギ様が2番目にミソギをした「アツカワ」は、ムナカタ様に祀らせたので、宗像(むなかた)大社と思われます。
アツカワはどこだったのでしょう??
釣川というのがあるけど、そこかしらσ(・ω・`@)
ここでは
ソコワタツミノカミ
ナカワタツミノカミ
カミワタツミノカミ
が祀られています。
「ワタツミ」というのは古事記以降の古語として「海」ということになってますが、これも私疑問なんですの…(#^.^#)
何故ならまだ私はヲシテ文献で「海=ワタツミ」を確認してないからです👀(その後認めるつもりもあります)
でも火の自然神が「カグツチ」とか
山の防火の自然神が「スベヤマツミ」とか
樹木の自然神が「ククノチ」とか
野の自然神が「カヤノヒメ」だったりももしますから、
ワタツミ=海を鎮める自然神?であるかも??ですけどね…

まだ宗像大社には行ったことないんですけど、ここ福岡では西鉄バスで簡単に行けるから早く行ってみた〜〜い٩(♡ε♡ )۶

宗像大社の奥津嶋は、弥生時代の遺跡がゴロゴロ!!
前に(世界遺産に決まった時かな?)初テレビカメラ潜入の特別番組見たことあります(※普段テレビ無いんですが…)
女人禁制みたいで、男性しか入れない。しかも全裸?若しくは褌一枚だったか?忘れたけど、海で禊しないと入島出来なかった筈…




志賀島(しかのしま)に関しては、
以前2度ほど車で行ったことありますヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙
金印が出たことでも有名な志賀島!!
金印というのは、二つある筈だそうで、
所謂(いわゆる)邪馬台国の卑弥呼が賜わった筈の金印はまだ出土していない(分かれば邪馬台国論争も決着がつく筈)のみならず、
この志賀島から出た金印は、西暦57年の物だそうで、(卑弥呼の見つかってない金印よりも200年近く前の)まだバリバリ、ヲシテ時代ではないですか∑(❍ฺд❍ฺlll)
その上、発見された場所が、
「叶崎(かなのさき)」…かな(の)さき←カナサキ様ですよ+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚
そして、今でも志賀海神社の宮司様は代々、安曇家だそうです☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
アツミ様の子孫なのでしょうね!??

うわぁ〜〜〜〜またまた長くなってきたので、一旦アップして続き書きます(`◕‸◕´+)シャキン


神功皇后の話もしたかったので…

では
後半暫しお待ちくだされ〜〜〜〜*。⋆ฺ(*´◡`)ノ


と、書いたのですが、纏めました…

いつもblog記事長くなっちゃってスミマセン((_ _(-д- 。)ペコリ


長くなっちゃって、スマホとかからお読みになる方には、
2ページ目、3ページ目があるのが面倒だ、というか次ページあるとは知らない、などとご指摘いただきますので、
最初分けてみたのですが、
分ける必要あるのか??と思い纏めました…


さてツクシ(九州)入りしたBebeなのですが…。



イサナギ様がツクシ入りして、ミソギをなさった三ヶ所の内の、最初!
「ナカカワ」で、後に「カナサキ」様に祀らせた場所(と思われる所)!!

これに昨日(2017年1月19日)行って来ました( ´ ▽ ` )ノ

その前に、
私ね、東京の人間なので、
しかも敬虔な神道信徒?でもなかったので、ほんの6年位前まではちっとも神社に詳しくは無かったのですよ(#^.^#)

何しろ、
『めったやたらに神社行くのってさ、
その御祭神の事も知らずに神社行くのってさ、
まるで「あなた有名人?誰だか知らないけどサイン下さい!」みたいな気がして感じ悪っ…』とすら思ってたのですょ(#^.^#)

それは今でもそうです。

何が祀られているかも知らずに行くのは失礼では??
行くなら勉強して行ったら良いのではσ(・ω・`@)??

と思っております。


そしてそんな私の6年以上前の認識では、
「住吉大社は、大阪だっけ?福岡だっけ??」でした…



ところで、
今度は福岡市早良(さわら)区が新居なのですが、
今は天神のホテルに仮住まい…

しかしやたら「住吉神社」が多いのです∑d(◐д◑´,,)

これは、
ホツマツタヱを読むと分かるのですが、
カナサキ様やそのご親戚が海運・造船業としても九州を治めていたからに他なりません( ´ ▽ ` )ノ


そして、もう一つ    

神功皇后(じんぐうこうごう)!!



ホツマツタヱやミカサフミが記されたのは、第12代・景行天皇が、皇子のヤマトタケ(上の系図だと日本武尊ね!)を亡くし、息子ヤマトタケの成したかったアマテルカミの頃の様なカミヨなどの日本の歴史書を記す為でした。
それ位その当時の日本列島の世は乱れていたのですね…

かなり省略して申し訳ありませんが、半島からも渡来人も沢山来て、元のヒノモトの精神も乱れつつあった…

それを制圧したのが、第14代仲哀天皇の后・神功皇后です。
戦前とかは第15代天皇にも数えられていた神功皇后。
後ろに控えているのはタケウチですかね!



妊婦でありながら、お腹に石を抱き、産み月を遅らせて、
博多から住吉三神に祈祷して出兵した様です。
そして勝って凱旋して産んだのが第15代・応神天皇になります!
(ここら辺、三韓征伐とか色々論争になりそうな表現もあるので、ちょっと超スピードで行きますよん)


さて、神功皇后は住吉大神に祈願した様なのですが、何故「住吉三神」とあるのでしょうかσ(・ω・`@)??

この「三」が表すところ、
それは、
カナサキ、ムナカタ、アツミ
の三なのではないでしょうか??
(と想像してます)
その後、住吉三神は「ソコツツヲ」「ナカツツヲ」「ウワツツヲ」という情報も入って来ました((_ _(-д- 。)ペコリ


そしてね、糸島に帰って来た!
福岡・博多湾・玄界灘でも糸島は飛び出してますからね、なるほどうなづけます!


また月読神社とやらが長崎をはじめ、あるみたいですが、
イサナミ様がツキヨミ様をご出産なさったのは、
タマノヲトトム ミヤ
は宮崎の阿波岐原産母の江田神社かな?
と思われます。
対して長崎や糸島の月読神社は、
神功皇后を祀っている!
これは「産み月を読む(数える)」ミヤだったのではないかな??
と推測しております( ´ ▽ ` )ノ


さて無事、誉田別命(ほんだわけのみこと/応神天皇)をご出産なさった神功皇后…

生み(ウミ)た土地が「ウミ」町、
福岡県糟屋郡宇美町!(右下)

地図に目をやると…

この志免(しめ)というのが、出産して、赤ちゃん応神天皇の「おしめ」を替えたところなのです∑d(◐д◑´,,)


そして、その後、
住吉大神のお蔭として山口県下関にも宮を作らせた様です( ´ ▽ ` )ノ


広島にいた時にも感じたのですが、
私などは戦後教育のお蔭で、歴代天皇を習う事も、古事記などの神話を習う事もなかったので知らなかったのですが、
ともかくその神功皇后の御功績として、
西に行くほど神功皇后の錦絵を神社で飾ってあることも多く、
また御祭神として神功皇后を祀ってあることも多く、
それは広島もですが、特に福岡ではそれがより顕著です( ´ ▽ ` )ノ


殊、福岡では住吉神社に祀られている御祭神のセットでもれなく神功皇后が付いてます(○´3`)ノ


福岡市内だけでも、
ざっとこんなに住吉神社あるんですヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙


そしてやっと昨日、その全国2600住吉社の最初に建てられたという博多の住吉神社に行って参りました!


歩いても行けなくはないけど、
西鉄バスのnimocaも買いましたから、バスで行きますよん(✧◡✧)


住吉てバス停あるぢゃん!??

しかし、路線図時刻表まで見ながら、
乗ってからバス乗り間違えた事に気づきます꒰꒪д꒪|||꒱ガーン

同じ博多駅行きなんですけど、
もっと北ルートに乗っちゃったみたいですヽ(´Д`;≡;´Д`)丿

なので中洲川端過ぎた所で下車して、
櫛田神社にも寄って来ました!
この櫛田神社は、Bebeが今から6年半前初めて博多駅に行った時、迷子になってしまって、
何やらピクピク気になる方向に向かって行った所(だいぶ歩いた!)辿り着いたのが櫛田神社です( ´ ▽ ` )ノ

その当時、「稜威(いつ)」も読めませんでしたし、
その辿り着いた神社が博多祇園山笠で有名な神社だったとは!!行って数日してから気づいた位のおマヌケさん꒰#'ω`#꒱੭



そして那珂川(なかがわ)縁を歩いて住吉神社に向かいます(ღ′◡‵)


今はとてもミソギしたいとは思われない博多の繁華街中洲の那珂川ですが、
古代は綺麗な川でイサナギ様もミソギをなさったのでしょうか…??


鳥さんの写真は上手く撮れないんですが、
21アヤ暗唱中のBebeは、
水鳥さんに大変興味持ってて、
鳥さんの話もしたかったのですが、
また長くなるので次回…((유∀유|||))
ツクシガモかも??と思ったのも撮れなくて、ユリカモメ(都鳥)が撮れただけでした(#^.^#)



そして…
来ました!来ました!
筑前國一之宮・住吉神社ワ━━ヽ(′▽`*)乂(*′▽`)ノ━━イ!!



案内を読むと…



「和歌の神」であって、船舶守護で、「ソコツツヲ」「ナカツツヲ」「ウワツツヲ」が祀ってあるとありま〜す+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚

シマカラフカド??


それから「オシホヰ」があって嬉しくなったり(๑´ლ`๑)フフ♡


あ!こんな時間になってしまった(TДT|||) 


いけない!いけない!

明日は、福岡から京都の池田先生の講座に寄って東京に帰ります( ´ ▽ ` )ノ



2月23日には、
千葉の芝山(ハニワで有名なところね!成田の近く)でヲシテ講座をさせていただきますので、
どうぞお近くの皆様は来て下さいね+:.゚(人>◡σ).。+゚




ご連絡は此方!
花コヨミ会・齊藤恵子さん
(☆を@に変えてメールして下さいませ)

それでは今年もどうぞよろしくお願い申し上げます✩⃛˞(๑ꆨ৺ꉺ๑)♡



祝詞の神様??アマノコヤネ様のこと。関西旅行その1

5月も終わろうとしておりますが、
急に暑くなって来ましたね…(;´Д`A

私は、5/22〜25まで池田先生や池田先生の奥様の展覧会が大阪であるという事で、
それと絡めて2年ぶりの関西旅行に行って参りまして、今朝東京に戻って来ました(○´3`)ノ


実は夏至に出雲の佐陀神社で巫女舞奉納をするつもりなのですが、
今新しく『悠久の舞』を教えていただいていて、
6月には又広島から出雲と考えているので、舞のお稽古も必死です( ;´Д`)

巫女舞の師匠が
「バスは何処出発?
東京駅からならうちからの方が近いから、夜遅くても構わないからお稽古入れてあげるよ!」と熱心に教えて下さってありがたいことです。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。

巫女舞先輩も、一緒にお稽古しましょう、と親身になって見てくれます。+゚(つз`o)゚+。

まあ、Bebeはホンマに対人運が良いのですよ੭່ʓ (Ō̥̥̥̥̥̥̥ ԑ Ō̥̥̥̥̥̥̥ ૢ) ੭່ʓ



さて、
今回は東京→大阪、2,000円というバスを見つけちゃったのです(((✿ฺ≧▽≦)彡☆

ええ、そりゃあバスは疲れますょ(TДT|||)

でも2,000円ですからね(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…


そして大阪着いて直ぐのホテルも、
シングルでベッドでWi-Fiも使えて駅近で朝の7時半からチェックイン出来て2,000円+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚


私の彼は、
そういう所はとても節約する人です(#^.^#)
お金の大切さ、ありがたみを知ってるからでしょうね!

けれども、
その分誰かにポンと10万円出したり、
何万円もポンと寄附したりします( ´ ▽ ` )ノ


うん、
私も彼ほどストイックには出来ないけれど、
やはりそういうお金の使い方が良いと思うんです(ღ′◡‵)


それはまるで「カスガカミ」アマノコヤネ様の教ゑのようではないですか☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆



私が最も尊敬するカスガカミ・アマノコヤネ様は、

「自分の稼ぎだからどう使おうと勝手だろ?良い物を使ったり所有して何が悪い??」という考えのカルキミ・オホナムチ(所謂、大国主命と呼ばれてる方ですね!)や、
「欲を捨てちゃったら人生楽しみあるの??」というツクバウシに、
こう諌め答えます。


タカラアツメテ
クラニミツ
チリヤアクタノ
コトクナリ
(ホ13-51)


そして自分の為に財産を使うのではなく、
タラザラバ
ウエバホドコシ
ウケンカヤ
13-48

と、
今自分は恵まれていても、
いつ病や事故などで社会的弱者になるかは分からないのだから、
助け合いなさい。それでこそ社会であり、
自分の稼ぎが良いのだから自分で使うということを戒めています。

また施しを受けるだなんて乞食では?と抵抗感を示すツクバウシには、

ナオカラザレバ
ヒトナラズ
ヨニアリナガラ
ソノワザニ
ウメルタカラお
タダコヒテ
クラフイヌコソ
(天)ノツミヨ
(13-49)

そして自分の子とかは分け隔てなく、
教育したり育てたりしなさいと!

ココロスナオノ
ヒトアラバ
ワガコノコトク
トリタテテ
ミナタストキわ
ホシモナシ
(13-51)

現代社会は個人主義や利己主義に冒されていますが、
社会全体で人を育てたり助け合ったりするということ。
それが大切なのだと説いているんですね☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


それは私もそう思うのです。

与えれば与えるほど心は豊かになるし、
奪われていると考えれば考えるほど心は病んでいくものです。

奪われる妄想病は怖いです(TДT|||)

それは財産ばかりではなく、
「権利の主張」という名に変えて、
現代社会は冒されていますよね…。
著作権、知的財産権。

いえ、
盗作を勧めてる訳では無いのですよ(#^.^#)

作品なり思想なりを生み出した方は偉大ですから尊ぶべきです!

しかしあまりにもギスギスとした
「これは自分のもの」という考えは、
その人本人を不幸にすると思うのです。

アマテルカミは
本当に惜しみなく与える方だった!
いつも「モロタミキケヨ」と、
尊いみ教ゑもあまねくふれた方でしたヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙


アマノコヤネ様もそういう偉大な方でした(○´3`)ノ

そして欲望や我欲を離れた清廉潔白な方でしたから「カスガカミ」との尊称をアマテルカミから賜ったのでした꒰*✪∀✪꒱♬ ♡*:・


またアマノコヤネ様は大層聡明な方でした!

お父様はココトムスビ。
お母様はフツヌシ(カトリカミ)の妹アサカヒメ。
ですからフツヌシの甥っ子にあたる訳です。

第9代アマカミ・オシホミミ様が東北ヒタカミのタカノコフで即位するにあたって、ミクサタカラ(三種神器)とアマテルカミの詔を携え、
ヲシカ(勅使)として伊勢からヒタカミへ向かいます(11アヤ)。

そして福島勿来の浜で叔父のフツヌシ(カトリカミ)がアマノコヤネ(カスガマロ・ワカヒコ)を出迎えます。


オシホミミ様が就任するにあたりの勅使という大役を果たす甥ワカヒコとフツヌシの浜での宴では、
「この浜の名は?」とフツヌシが問いますが名は無いのと…。
「こんなに感激の祝いの浜の名も無いなんてなぁ〜…。浜の名も是非欲しいものだ!」というフツヌシに対し、
ワカヒコはすかさずウタを詠みます!


ナコソシル
フツノミタマノ
ササムカヒ
カヰノハマクリ
アフミヲヂ
ヲヰノミルメモ
トシナミノ
ナコソシルベユ
チナミアフハマ
(11-13)

ミルメという海藻も肴にあったのと感激している甥の「見る目」という掛詞!
フツヌシのことはフツノミタマと尊称してますね♪
その当時から「来た甲斐があった」の「甲斐」があったかは分かりませんが、
「貝の蛤」とこうして来た「甲斐の浜」も掛け合わせてる気がします。
年波と、浜辺の波も!
風景も浮かぶ様ななんと素晴らしいウタではないですか+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚


そしてその後、
アマテルカミが息子オシホミミへの即位の寿ぎの詔をヲシカ・ワカヒコ(アマノコヤネ)が高らかに宣言するのも感動です੭່ʓ (Ō̥̥̥̥̥̥̥ ԑ Ō̥̥̥̥̥̥̥ ૢ) ੭່ʓ


あ、旅行記も書こうと思ってたのに、
Bebeはアマノコヤネ様が大好き過ぎて、
その話だけでも3時間位は軽く出来ちゃうから、つい長くなってごめんなさい꒰#'ω`#꒱੭


という訳で、
関西2日目は奈良に行って来ましたヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙



まずはサルサルサワに!


この猿沢池も、
アマノコヤネのお祖父ちゃんツハモノヌシがタマカヱシをして、
父ココトムスビがココトムスビという名とカスガトノという尊称を賜わった由来\(^o^)/


ココストノミチ
ヲヲンカミ
ツハモノヌシト
フツヌシト
タケミカツチニ
タマカエシ
サルサルサワニ
オコルミチカナ
(ホ8-44)


そして、ツハモノヌシの息子ココトムスビ(アマノコヤネの父)は、


ココストノネお
ムスブフミ
ココトムスビノ
ナニスヱテ
カスガトノトゾ
タフトマセ
(8-94)

とココトムスビという名とカスガトノという尊称を賜わったのみならず


ココチカスガト
サトノナモ
ヲキナガモリモ
タマワレバ
(8-96)

でカナサキ翁の森(杜)も賜わって、
それが春日大社と奈良公園です\(^o^)/



春日大社は6/30まで特別公開中で、そんな時に行けたのも本当にラッキーですヾ(@⌒ー⌒@)ノ



それから、
おや!??この9個の石は∑(❍ฺд❍ฺlll)

コホシ??


コホシ(九星)とは、
アメミヲヤとトホカミヱヒタメを祀ったもの!!

カスガワカヒコ(アマノコヤネ)様は、
ミハシラお
ヨツギミクラニ
ミテムスビ
アメノミヲヤお
マネキコフ
(14-5)
お役をなさった方だしなぁ〜ヽ(;▽;)ノ



また奈良に鹿がいるのも、
アマノコヤネ様がヲシカ(勅使)だったからでしょうね!??

因みに、
御祭神である、
フツヌシ様はアマノコヤネの叔父様で、
タケミカツチ様は、アマノコヤネの奥様ヒトリヒメの父上。

因みにフツヌシ様とタケミカツチ様の関係は、私自身は今のところ、
異母兄弟では??と考えてます。
池田先生は父子説ですが、
アニタダヒトリ
フツヌシガ
マサリテワレわ
マサランヤ」とミカツチ様が兄弟の切磋琢磨な良いライバル心をお持ちになり名乗り出たことを考えたり、
またフツヌシの妹アサカヒメがココトムスビの妻なのに、
タケミカツチが娘ヒトリヒメの縁談の橋架けをフツヌシに頼んでいるところを考えると…と思っております。
ヲバシリの記述まで行ったら変わるかも?ですが…。


そしてね、
アマノコヤネ様は「祝詞の神様」とされてます(TДT|||)

しかし何故、祝詞の神様と??
と言ったら、

「ヨツギノルノトコトノアヤ」で素晴らしいノト(祝詞)を詠んだからなのだと思います( ´ ▽ ` )ノ


私ね、
いつも思うんですけど…


何故、アマテルカミは日本の神社のトップで神様のトップとされているのに、
そのアマテルカミがどうして偉大なのか?
古事記や日本書記では分からない訳ですよ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)

そして、そんな偉大な方をありがたがるのは良いのですが、
そのありがたい方の御心、み言葉にどうして多くの人々は耳を傾けようともしないのかヽ(;▽;)ノ

「モロニモフセ」
「モロタミモ ヨクキケ」
「タミカナラズモ コレナワスレソ」
と仰った御言葉に耳を傾けもせず、
ただありがたがってるって変だと思うのです(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)

けれど、
アマテルカミはそんなことうるさく制定してないよ、
と思われるその後の神社の決めたしきたりとかは厳格だったりしてヽ(;▽;)ノ

あ、
あんまり敵を作ってはいかん、いかん((유∀유|||))


そして、
アマノコヤネ様を「祝詞の神様」としてるのだったら、
カスガマロ・ワカヒコ様がアマノコヤネとの名とカスガカミとの尊称を賜わったその由来のノト(祝詞)を紹介します(○´3`)ノ


アマイノル
コノテカシワユ
オトおスク
ヤドルオナカノ
ミコトナル
コノコわマスグ
タラチネノ
ナヱノヨツギノ
ミコトナリケリ
(ホ14-41)

少なくとも祝詞の神様とされているのであれば、
その方の作ったノトを奏上する方が、
全然関係ない祝詞を奏上するより、
その方は喜ばれると思うんだけど꒰#'ω`#꒱੭

まあ、アマノコヤネ様は、
ノトもウタも講義も素晴らしい方でしたからね(#^.^#)

そんなアマノコヤネ様とヒトリヒメのミヤは、
実は息栖神社です( ´ ▽ ` )ノ


今、16アヤ「ハラミツツシムオビノアヤ」を暗唱してまして、
この10日間は16-15〜16-20が難関で難関で覚えられなくてヽ(;▽;)ノ
でもやっとそこを制覇して21に入ったらスイスイ\(^o^)/


香取神宮フツヌシ。アマノコヤネの叔父)
鹿島神宮タケミカツチ。アマノコヤネの奥様の父。そして養子に入ったので父)
息栖神社タケミカツチヒトリヒメのミヤ。朝廷の仕事に忙しく留守がちなアマノコヤネの方をいつも拝めるように西向きの社殿)

この三社は東国三社と呼ばれていますが、③の息栖神社は御祭神が天鳥船とかされちゃってて、まったく意味が分かりませんが、
ホツマツタヱの16アヤでは、
何故、妊婦さんがお腹に巻く帯が「岩田帯」と言うのか?
また何故、茨城が「常陸」というのか?についても本当の由来が書かれていますが、
その話はまた16アヤ暗唱終えたらにしますね(^ー^)ノ


ああ、そろそろ眠さも限界なので、
とりあえず、
昨日行った元春日・枚岡(ひらおか)神社の話に持って行こっとヾノ。ÒㅅÓ)ノシムリヤリ…


春日大社は春日大社で伝統と格式のある神社で素晴らしいんですけど、

アマノコヤネの子オシクモ様が、
アマノコヤネ様を祀る為に建てたのは、
枚岡神社です( ´ ▽ ` )ノ

池田先生の展覧会から大阪市内に戻ったBebeは、行って来ました!!

電車を降りるとそこはもう枚岡神社でした(●ꉺωꉺ●)

ああ、なんだかここ凄く気持ち良い+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚





もう眠くて限界なので、
関西旅行記はその3位は書けそうなんですけど、
今夜はもう寝ますね〜(つA`)*:..。o○


おやすみなさ〜〜いヽ( ´O`)ゞファーァ…㍕(´~ヾ)㍕





春!安芸!チノミヤ

ご無沙汰しております꒰#'ω`#꒱੭

Blogも書き掛け記事は溜まって行くのですが、中々集中して書き上げられずにおります(TДT|||)


Bebeは、昨年後半は巫女舞奉納をさせていただいたり、母の闘病も転院があったりバタバタしておりましたが、
それでもホツマツタヱの暗唱はようやく現在15アヤ「ミケヨロヅナリソメノアヤ」
そして2月には広島の古民家ギャラリーうしたさんにて、ヲシテ講座を開かせていただいたりしておりました♪(*〇´∀`艸)*゚


さて、
広島の種も冬には地中に力を蓄え、
春の到来と芽吹いてくる感じです。

そんな中、ヲシテ研究の第一人者、池田満先生が先月目出度く御退職なさいまして、この3月九州旅行へ!
そしてその道中には広島に寄られるという。゚ヽ(゚´Д`)ノ゚。 ヤッターン♪


Bebeや、Bebeと共に広島で2年以上ホツマツタヱを学び続けてきた雅子さん!
そして古事記の素読の会を長年主催し、Bebeの広島ヲシテ講座を6回も主催して下さった藤原さん、
また三回のヲシテ講座をさせていただき、ヲシテ染織作品も作っていらっしゃる古民家ギャラリーうしたのオーナーで染織作家の鶴岡たかさんも、
池田先生ご夫妻が広島にいらっしゃるのを楽しみにしておりました(((o(*゚▽゚*)o)))




二年以上共に学んできた広島の雅子さんと…
神武天皇の寄られた宮に、池田先生とお会いできるなんて感激੭່ʓ (Ō̥̥̥̥̥̥̥ ԑ Ō̥̥̥̥̥̥̥ ૢ) ੭່ʓ

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2015年3月22日春分の土曜日、
その前日には北欧では金環月蝕、
そしてピカピカのお日様です+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚


池田先生と落ち合いましたのは、
かの神武天皇の東征の折、広島で寄られた「多家神社(たけじんじゃ)」です( ´ ▽ ` )ノ

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ホツマツタヱ29-16には
アキノクニ
チノミヤニコス


とあります。

古事記には、
多祁理宮(たけりのみや)」とあります…(´'c。'` )ほほー
2015-03-19-10-25-39

これは神武天皇のイミナ(本名)が「タケヒト」様だったことに依ると思いますo(^▽^)o

そして日本書紀には、
埃宮(えのみや)」と出てきます(●ꉺωꉺ●)
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これは私の推測では、
記紀が編纂されたのはAD712年〜。
ホツマツタヱの最終編纂はそれより約600年前です!
更に実際の神武天皇の時代というのはBC660年より前になるのですから、1300年以上前の出来事です。

漢字が渡来する遥か以前の出来事なのです。
ですから漢字渡来当時は万葉仮名の様に、元々あった日本語に音として漢字を用いていました。
例えば広島の古名「アキノクニ」でさえ、
古事記では「阿岐國(あぎのくに)」
日本書紀では「安藝國(あきのくに)」です。
ここは押さえておかねば!なポイントの一つです(○´3`)ノ

よくね、
ホツマツタヱの話をしてるのに、
「で、それはどういう漢字ですか?」とか訊かれることが多々あるのですよ(ノ∀≦。)ノ

だって漢字渡来より遥か1000年とか前の話をしていても!ですヾ(≧▽≦)ノあははは!

また例えば、
「え?安芸國は、安いに芸(藝)ですから漢字が違います」みたいな事も言われるのですが、
古事記、日本書紀でさえ表記の違いがある…
それは漢字以前にそういう名があったことを示しているのではないですか?(´✪‿✪`)

漢字自体が絶対ではなく
「当て字」だったということです(○´3`)ノ


それで一体全体、
チノミヤ」がどうして「えのみや」になってしまったのか??(TДT|||)


それは、
きっと漢字渡来当時、
チノミヤの「チ」の字に、
『埃(チリ)』の字を当て嵌めてみたのではないでしょうか…??
(あ、妄想べべ説ですょ)

それがどうして読み方が、
「えのみや」になってしまったのか?までは分かりません、ごめんなさい!

よくね、
「なんでこんな漢字に??」みたいな質問受けるのですが、
Bebeは教養が御座いませんから、
ホツマツタヱは勉強しておりますが
(しかもまだまだ紀元前1000年以前の部分)、
漢字渡来当時の5世紀〜8世紀の人々の事、発想とかよく分かりません(#^.^#)


また、
我が国初の天皇『神武天皇』(BC660年即位)という呼び名についても!!ですが、
その当時は勿論『神武天皇』なんて呼び名はありませんでした!
だって漢字渡来より遥か昔なんですよ!
「音読み」があるわけないじゃないですか(*≧ლ≦)

神武天皇は
ホツマツタヱでは
例えば29-66では
「カンヤマト・イわ(は)ワレヒコノ
アマキミ」

そして29アヤの結びには、
「ミヨカンタケノ
オオイナルカナ」
と拠出致します。

『【カン】ヤマト イワ(ハ)ワレヒコ』の『【タケ】ヒト』さんですから、
漢字が入ってきて、
カン→神
タケ→武


を充てたのでしょうね☆

これが、
タケを「竹」の字や「岳」の字を充てる可能性もあった!

そしたらば、
「神竹(じんちく)天皇」や
「神岳(じんがく)天皇」となる可能性もあったということですよ(o_ _)ノ彡☆バンバン

Bebeも一昨年、一生懸命125代天皇の名前を暗記しました(あ、暗記しただけで歴代天皇については、なあんも存じ上げてないです、悪しからず…)
「じんむ、すいぜい、あんねい、いとく…」というリズムも、
「じんちく、すいぜい、あんねい、いとく…」だった可能性も!??ナンチテ…


因みに、神武天皇はタケヒト様だったから、このミヤの名もタケ(多家)神社なのでしょう(○´3`)ノ


そんな多家神社の近くには、
「たれその森」という森が残っているそうで、
神社天皇が、現地の方に
「たれ(誰)そ(ぞ)?」と問うたからだそうですよ♪

それから…

これは2012年の10月のことで、
まだBebeがホツマツタヱの勉強を始める前(でもその準備に毎日ヲシテ日記を書いていた頃)の事で、
うろ覚えでごめんなさい!なのですが、
神武天皇が東征してアキノクニ(安芸國)に到着した時に、
寄った竹林があるそうで…。
素読の会をなさっている松田先生に夜にお好み焼き&ドライブに連れて来ていただいた時に、
多家神社と竹林の前を通り、
その時のお話では、
「神武天皇のお印(今も皇族の方お一人お一人にあるようなものかしら?)が『竹』だと仰った、ーとかなんとかで、
それで大層この地を気に入り、ここに逗留なさった(それで「タケ(多家)神社に…?)

しかし、その話が現地に残っているいるって凄くないですか?キャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー

神武天皇のイミナ(本名)はとっくに判らなくなっているのに、
自らを『タケ』と(○´3`)ノ
だって『タケヒト』様なのですもの+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚


あ、ちょっと今調べてみますε=ε=ε=(●'▽')ノ





う〜〜〜ん、
やっぱりローカル過ぎて出てこないんですが(´◕ฺω◕ฺ`)ショボーン

しかし安芸郡府中町の竹林の前を夜のドライブ(だと余計に周りが分かりませんっが…)
で通ったのですよ( ;´Д`)

そして
「ここから見下ろす広島市の中心地の街の灯りは、
昔は海だったのですよ」と松田先生に教えていただいたのです(♡´◡`♡)



そして…
神武天皇は船でやって来て上陸なさったのでしょうね♪
多家神社の手水舎は舟形ですꉂ ૮( ᵒ̌ૢꇴᵒ̌ૢ )ა。*゚✧

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ついでに…

古事記・日本書紀の時代は、
地形が変わってしまったのか?
「ヤシマ(大八洲の八島)」の数が分かってないようですけど、
先日雅子さんとの授業で、
白地図で数えてみますと、
どうしたって岡山の吉備の児島半島は当時は半島ではなくて島だったと思われます(○´3`)ノ
(その話は又いつかしますね!
今日の目標は「取り敢えず記事をUP!」
何しろこの記事も月曜日から書き始め、
既に水曜日も終わろうとしているヽ(;▽;)ノ
欲張らないことに努めますヽ(;▽;)ノ)

広島もね、
島だったのですよ!!
安芸の中の一番大きな島が「広島」で、
私の彼のいる地は広島市中区の「白島(はくしま)」!!
四角い島だったので「ハコ島(箱島)」が訛って「ハクシマ(白島)」と…。

まるで、
東北ヒタカミ地方が四角かった故に「ハコクニ」と呼ばれたようなものですヾ(●´∀`●)ノ


池田先生をお迎えして
楽しく幸せなひととき。。。
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神武天皇は身長3m超だったので、
腰掛石も脛の長さが伺えますლ(;ʘДʘ)ლ
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境内には桜も開き始め…

そして古民家ギャラリーうしたさんへ移動(○´3`)ノ
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池田先生の楽しいヲシテのお話や、
ギャラリーの鶴岡さんの染織作品、
ギャラリーの原爆被爆のお話など楽しいお話は尽きないのですが、

夕方、広島の牡蠣を食べに移動(○´3`)ノ

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あ、日付変わらない内にUP目標なので、
続きはどうぞ池田先生のBlogをお楽しみ下さいませ(。-人-。)


北九州の芦屋釜の里、広島の探訪旅行: 縄文文字 ヲシテ を 復活!
http://t.co/4LaOZS0vUU



始末もいい加減に逃げるように取り敢えずUPさせていただきま〜すヽ(;▽;)ノ
お読みいただきありがとうございます♪







ハルナハハミチノモヤマモ

いよいよ今年2014年も残すことろ一月ちょいとなりました。

皆様お元気でお過ごしですか( ´ ▽ ` )ノ


相変わらずの遅筆にてすみません…((유∀유|||))

Bebeはと言えば、
こうしてホツマツタヱの勉強を始め、
お蔭様で10月後半で丸二年になりましたワ━(*´Θ`人´Θ`*)━ィ

ゆーちゃん、エミちゃんと共に、
「記紀原書ヲシテ・上」が届いたのが、
2012年10月20日のこと!!
そしてゆーちゃんと10/21〜
エミちゃんと10/23〜
勉強を始めたのが始まりです*\(^o^)/*


それからずっと暗唱も続け(いや途中三ヶ月休みましたけど)現在13アヤ「ワカヒコ・イセスズカノアヤ」を暗唱&勉強中です( ´ ▽ ` )ノ
まだまだ40アヤの三分の一にも至りませんが、教科書「記紀原書ヲシテ・上」の300頁を超えたことは嬉しいことです(´✪‿✪`)


Bebeはヲタクではありますが、
こうして友が居たからこそ、
何やら使命感にも似た熱い心を持って、
勉強を続けてこられたと思っています੭່ʓ (Ō̥̥̥̥̥̥̥ ԑ Ō̥̥̥̥̥̥̥ ૢ) ੭່ʓ




さて、10月には、
4月から習い始めました巫女舞の初奉納を群馬の榛名神社でさせていただきました꒰*✪∀✪꒱♬ ♡*:・


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榛名といえば、
アマテルカミの治世、動乱の世に陥れたハタレ6集団のお頭(かしら)、『ハルナハハミチ』のハルナ!

このハルナは随分台詞も出てきまして…

トキニイフキト
ユエオコフ
ハルナコタエテ
「ヤツカレニ
ネノマスヒトガ
ヲシエケリ
イサオシナラバ
クニツカミ
コレソサノヲノ
ミコトナリ」
(ホ8-64〜8-66)


また17アヤでも改心した晩年のハルナが、アマテルカミの教ゑを聞きに来てます( ´ ▽ ` )ノ
「ソラカミノレド
スメラカミ
スゲナゲオラバ
オヤオヤヤ
アラコキキテン
オサザズリ
アラサネタケル
コレウンツ?
アラドラスリラ
ネヂケマズ
サソアシナンド
ハニシラン
イヤスリタケル
コレフンタ
シヰバフスリモ
オドケンバ
ツラモカタルモ
ワケランヤ
スベカミソラニ
シラセヌバ
アラコスリナル
コレミウン
サソラキキテン
オノガベラ
ナロマスコんチニ
ワザツケテ
ソラツカマント
ミチヒネリ
ムタビタタカヒ
ナシタレド
マサクルコナトわ
イカナラン?」
(ホ17-57〜17-61)

縄文時代なんですけど、
上州訛りが…(TДT|||)

天下の悪党も、流石は大物!!
改心して納得したらアマテルカミに教えを請い、その恵みをクニに持ち帰ったのだと思われますヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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榛名神社の神楽殿は、
荒々しい奇岩の中に、明和元年(1764)に再建された国指定重要文化財ですo(^▽^)o

こんな神楽殿で初奉納させていただき、
またホツマツタヱも学んでいるBebeは大感激です꒰✪ૢꇵ✪ૢ꒱ෆ⃛ෆ⃛ೄ

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お世話になりました榛名神社の皆様、
快くお引き受け下さりお祓いもして下さった宮司様、
そしてお稽古から奉納まで仕上げて下さり装束から簪までのお支度一切をして下さった師匠の真珠さま、
お仲間の皆様、
本当にありがとうございました
☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆



この後、10月10日から広島へ旅立ち、
広島でも巫女舞奉納させていただき、
実はタイトルも「ちわやふるかと楽しめば」だったのですが、
如何せん記事を先ずはアップしなきゃ…((유∀유|||))

と、一旦榛名の記事にさせていただきます( ´ ▽ ` )ノ


それでタイトルですがね…

ハタレのハルナハハミチが現れた時の事です。

ハタレ6軍団の五番目に登場するのは、
またハタレがやって来てタカマで会議が開かれ、
とうとうヲヲンカミ(アマテルカミ)の御登場と相成りました( ´ ▽ ` )ノ

輦の内にはセオリツヒメ!
そしてハヤアキツヒメ!
イフキヌシとクマノクスヒは、
白と黒の駒に跨り、両側を陣取ります!
オールスター勢揃い+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚

そして御一行様は山田(宇治山田?)に至った時に、
「ハルナハハミチ
ノモヤマモ
カヱテムラクモ
ホノホフキ
トゲヤノアラレナルカミニ」
(ホ8-58〜8-59)
と登場です(TДT|||)

きっと舞台でしたらスモークとか焚かれちゃって、太鼓ドンドンドロドロドコドコドン★
ですね〜(๑>◡<๑)


その時、ヲヲンカミの作戦は??
と言えば…

サッサツヅウタ(○´3`)ノ

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サスラデモ
ハタレモハナゲ
ミツタラズ
カカンナスガモ
テダテツキ
カレノンテンモ
アニキカズ
ヒツキトワレわ
アワモテラスサ
(ホ8-60〜8-61/ホ12-8〜12-9)

ウタの力によって、
技も乱れて縛られてしまった!!
というのですから、
ウタの力って凄いですよね〜☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


そして、またウタや舞、カンクラ(神楽)の力というのもあるようで…


今、現在勉強中の13アヤ「ワカヒコ、イセ・スズカノアヤ」でも、
「カバネノミヤニ
カンクラお
モフセバ[ヲ]トケ
ヒトナルゾ」
(ホ13-41)
とタマノヲ(魂の緒)を解いてまた人と生まれるユキキノミチの方法として
「カンクラ(神楽)」を捧げなさい、
とあります(○´3`)ノ


その頃のカンクラとはどんなだったか??
祝詞みたいなものだったのか??

次回、広島編へと続きま〜すヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙


そして現在も、
冬至に熊野、那智、
花の窟神社での舞奉納に向けて、
お稽古に励んでおります(♡´◡`♡)

たまふカンベはカシマカミ★

こんにちは〜( ´ ▽ ` )ノ

9月にはいりましたね(((o(*゚▽゚*)o)))

Bebeは、8/31に11アヤ『ミクサユツリミウケノアヤ』(は短いよ♪)の暗唱を終え、
9/1〜9/2、東国三社巡り&12年に一度午年の鹿島神宮式年大祭『御船(みふね)祭』に行ってまいりました〜ヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙


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皆様ご存知のように、
下総国の一の宮・香取神宮の御祭神は経津主(ふつぬしの)大神
そして
常陸国の一の宮・鹿島神宮の御祭神は武甕槌(たけみかづちの)大神(建御雷神)です。



ホツマツタヱも8アヤ『タマカヱシ・ハタレウツアヤ』でも、
フツヌシ様とタケミカツチ様がハタレウチで大活躍なさいます(((o(*゚▽゚*)o)))


フツヌシ様はイソラミチの攻撃に対し、指を怪我してしまいますが、ユガケして、オコゼを投げ入れてハタレ達が貪り喰っている間にフキを焚き捕らえます。(8-22〜8-32)

そしてタケミカツチ様は、ヰツナミチに対し、フトマガリを貪り喰わせている間に(食べ物で釣るの多いです!)ワラビナワで縛り上げ山に引っ張って行くのですが、9800人は首が締まって死んでしまい、残る100人は投獄しますが、
ここで「カナデを枯らせてしまった…」と喪に慎んでいらっしゃいました。
(8-32〜8-39)


書くとどんどん長くなってダメなりねヽ(;▽;)ノ


ここ8アヤでは
このハタレウチでのフツヌシ様のご活躍に対し、
アマテルカミからの詔(ミコトノリ)で、

マタフツヌシわ
カグヤマお
ツカサトレトテ
カトリカミ

(8-92)


【カ】グヤマ(富士山)をツカサ【トリ】
↓ ↓ ↓
【カトリカミ】→香取神


という称号を賜ってます☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆



2014.9/1香取神宮
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そしてその時タケミカツチ様は、
タケモノヌシノカフツチ(のツルギ)と
地震を鎮める?カナイシツチも賜ってます(○´3`)ノ
(8-92〜93)



2014.9/1 鹿島神宮・要石凹
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2014.9/1香取神宮・要石凸
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そしてフツヌシ様の妹君アサカヒメは、
ココトムスビと結婚し、
生まれた子供が
アマノコヤネ=カスガマロ=ワカヒコ様で〜す( ´ ▽ ` )ノ
(8-96〜97)


そしてね、
アマノコヤネの妻は、タケミカツチの一人娘ヒトリヒメで、
そのお二人のミヤが息栖神社なのです☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

ヒトリヒメがご懐妊中、旦那様アマノコヤネの背丈と同じ長さの腹帯を巻きました( ´ ▽ ` )ノ

ミタケノオビト
ナシタマフ
ハラオビナセバ
ミノイキス
ヒタチトナリテ

(21-40)

「産後の肥立ち」とも言われますが、
茨城が「常陸(ヒタチ)」
と呼ばれる語源も、
また日立帯もここからですし、
息栖神社の「イキス」も身の息が整った(ス、澄んだ)ことからなのですね(●ꉺωꉺ●)


2014.9/2 息栖神社
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フツヌシ様とタケミカツチ様のご活躍は、10アヤ『カシマタ・チツリタイノアヤ』でも更にキャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー


あらすじとかはすんごく省略しますが、

繁栄と栄華を極めた出雲のオホナムチ様(ソサノヲの子)は、
実力はありましたが、
朝廷の右(カ)の臣でありながら、
慢心し、
タミ第一という尊い朝廷を軽んじ、
朝廷からの諫言の使者、ホヒノミコトやオオセイイ、アメワカヒコを送れど、取り込んで返って来ず、贅を極めておりました。

そこで、
朝廷から愈々、
オホナムチの右の臣の職務を解任する為に遣わされたのが、
フツヌシ様とタケミカツチ様(兄弟)です♪


この時、タマカ(朝廷)のカミハカリ(会議)ではフツヌシ様が任命されるのですが、


タケミカツチが
ススミイデ

「アニタダヒトリ
フツヌシガ
マサリテワレわ
マサランヤっ!」

(10-25)

勇っまし〜〜いタケミカツチ様٩(♡ε♡ )۶

タカキイサミの
ミカツチヤ
フツヌシソエテ
カシマタチ!

(10-26)


こうして出雲にカシマタチに向かったフツヌシ様とタケミカツチ様!


イツモキツキニ
カフツチノ
ツルギおウエテ
ウツクマリ
ナジリトフナリ
ヾノ。ÒㅅÓ)ノシ

(10-26)


「ミホコリテ
アザムクミチオ
ナラサント
ワレラツカフゾ
ソノココロ
ママヤ?イナヤヤ?」

(10-27)



普通の人の平均身長が8タ(ケ)(→ヤタカガミ)だったところ、
タケミカツチ様は16タケ(倍!)もあり、
ヨロ(万人)より勝れた力を持ち、
雷をもヒシグ(8-6〜7、8-35〜36)
岩をもアシ貝の様に取って投げたのでタケミナカタも遂に諏訪の地で降参しました(10-31〜33)


そうして『カシマタチ(右の臣の締まりを解く=オホナムチ様の解任)』という大役を果たされたフツヌシ様とタケミカツチ様に、
アマテルカミからのミコトノリ(○´3`)ノ


ナンチフツヌシ
アワウワノ
トフルミチヒキ
サカンナリ
マタミカツチわ
カシマタチ
イツおアラワス
モノノベノ
ナンタ(涙)ヤワラニ
モトスヨリ
タマフカンベ(神部)わ
カシマカミ

(10-36〜37)


こうしてタケミカツチ様に
「カシマカミ」(→鹿島神)
の称号が賜われたのでした〜(≧▽≦ノノ゙☆パチパチパチパチ

後にこの「カシマタチ(「カ(右)」の「シマ(役職)」りを「タチ(断つ)」は『鹿島立ち』という言葉となってしまいましたが、
戦に出発するような意味だけ残って、
本来の、
「タミ第一で贅に溺れないのがカミの役目」であり、それを「糾す、糺す」といった意味合いが抜けてしまったのは残念ですね…(´◕ฺω◕ฺ`)ショボーン




2014.9/2 御船祭当日の鹿島神宮
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311で、多額の寄付によりバブルの頃建ったという石の鳥居は崩壊…

けれども、鹿島神宮境内育ちの樹齢500〜600年の杉の御神木は、切り出された後3年間寝かされ、ようやく、
今年の春に鳥居と成りなったのでしたヾ(@⌒ー⌒@)ノ

新しい杉の鳥居のなんと清しいことでしょう꒰✪ૢꇵ✪ૢ꒱ෆ⃛ෆ⃛ೄ

それまでのバブリーな石の鳥居は、
もう既にそれだけの額を寄付出来る方はいない程の高価な物だったそうで…

それこそ
「ミホコリテ(身誇りて?)
アザムクミチお(欺く道を)
ナラサント(平らにしようと)
ワレラツカフゾ
ソノココロ
ママヤ?イナヤヤ??」
と問い糺した、
カシマカミ・タケミカツチ様の、
清廉潔白な御心に適う真直ぐなる木=杉の鳥居なのではないでしょうか(((o(*゚▽゚*)o)))





2014年9月1日から9月3日までの、
鹿島神宮の式年大祭「御船祭」は12年に一度の、1700年続くお祭です(○´3`)ノ
(古事記は編纂されて1300年ですけど、如何に鹿島神宮や香取神宮の歴史があるかが分かりますね♪
ヲシテ文献ホツマツタヱの後編が編纂されて約1900年ですけど、フツヌシ、タケミカツチ様がご活躍だった時代は更に昔で、今から約3000年以上前と思われます。)



午年(南、夏)に行われるというのは、
正に日本列島の夏至のレイライン(南中)の東の始まりである鹿島神宮に相応しいのではないかしら??

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そしてそれは、
やはり毎午年の4月15日に行われる香取神宮の式年大祭神幸祭に呼応しているようです。

行けなくて残念だったなり…


香取神宮の御座船の舳先は鳳凰
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Bebe達は、
9月1日に、東京から香取神宮にお詣りし、

それからJR鹿島線に乗って鹿島神宮に行きましたヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙


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参道にいるおじさま方は、
和服姿にパナマ帽でとっても粋で素敵ですね٩(♡ε♡ )۶



お神楽の山車は5基あってこれは聖徳太子
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9月1日は提灯祭も(○´3`)ノ

子ども提灯
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大人の提灯は、イナセな若衆達の気合が入っていて、日本の血気盛んなヤンチャな?若者達の心意気も大したものだよ!!
と嬉しくなっちゃいましたキャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー





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御手洗池前の茶店では、
Bebeはお蕎麦をいただいたのですが、
御連れ様の「御神水ラーメン」がたいそう美味しそうで「次は絶対ラーメン食べる٩(๑`ȏ´๑)۶ 」と思った元食いしん坊のBebeです(#^.^#)





そして翌日9月2日は秋祭に相応しい秋晴れ\(^o^)/



100艘あまりの船と龍のついた鹿島神宮の御座船が川を遡り、香取神宮をお迎えするというのがクライマックスで、
大行列も3000人以上ヾ(@⌒ー⌒@)ノ

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行列は見られなかったのですが…
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お神楽の山車も素敵☆
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鹿島神宮の龍の御座船と船団!
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賑々し〜〜い☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


御座船で行われていたという、
午年生まれ(12歳)の巫女ちゃん達による巫女舞は見られなかったけれど、
潮来河岸に降りてきた少女達の晴れ晴れとしたお顔ヾ(*´∀`*)ノキャッキャ♪
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何しろ、一生に一度だし、午年でないとなれない!のですものね♡



また11アヤでも、
アマテルカミの皇子オシホミミ様が、
東北タカノコフに遷都なさる時にも、
尊〜〜いミコトノリの締めに、


フツヌシト
ミカツチツネニ
ハンベリテ
マツリコトモレ

(11-21)

と任命なさっているのです( ´ ▽ ` )ノ




。.。:+♫+ ゜ ゜゜ *+:。.。:+♥+ ゜ ゜*+:。.。.。:+♫+ ゜ ゜゜*+:。.。:+♥+ ゜ ゜゜ *+:。.。.


古事記以降、
富士山以東、関東も東北も、
如何にも僻地のように追いやられてしまいましたが、
それは古事記、日本書紀が渡来系の編者だったから、
奈良以東は行かなかったから、
全然地理が分からなかったので割愛されてしまったのでしょうが、

三神宮の香取神宮、鹿島神宮が、
なぜそれほどなのか??
古(いにしえ)が偲ばれるようです(ღ′◡‵)

そして、
こうしてヲシテ文献を学んでいる(未だ未だ初心者ですが)Bebeは、
是非とも、
フツヌシ様、タケミカツチ様にまたお詣りしたくて、
12年に一度の大祭にも行かせていただけた恵みに感謝しながら、
また一歩一歩!
学ばせていただこうと思いま〜す*。⋆ฺ(*´◡`)ノ


長々、お読みくださりありがとうございましたヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙














カミと神様のお話ー神社に祀られてる方

皆さん、こんにちは( ´ ▽ ` )ノ

あなたの信仰する神はどなたですか??

その神はどんな方なのでしょう??


アラーとかイエス・キリストだとか仏陀だとか天照大神とか??


さてさて…
今日は日本の「カミ」の話を…


そもそも神社に祀られてる方ってどなたなのですか??




何を隠そう、Bebeはあまりよく分からない神様に参拝するのって抵抗ありました(#^.^#)

だって極端な話、
訳のわからない悪魔教の神様とかでも何でも拝んじゃう、とか、
カルト宗教の邪神とかも神様だから拝んじゃう、とか、
抵抗ないですか??

だからヲシテ文献を学ぶ前はそれほど神社巡りってしてた訳ではないんですね(*/∇\*)


だってどんな神様なのか知らないのにやたら巡るとか、
「誰?あの芸能人?名前知らないけどサイン貰っておこう!」みたいな失礼な感じがして気が引けてたから…(#^.^#)




神社に祀られている「神様」

今迄は、
古事記が日本最古の文献と思われていたので、
今の神社の御祭神は古事記由来だと思われていることが多いですよね(○´3`)ノ

ところが、
八百万の神の国と言われているだけあって、
現実的には、古事記では由来の分からない神々の多いこと( ;´Д`)


更にその神はどんな性格で何処の方なんでしょうか??


神様は天上界に坐すので、
性格は大らかで、
人間の捧げ物、お供物に依って気分を変え、
当然、よくお詣りされている方には依怙贔屓を、
時に命令を聞かない人間には罰(バチ)をあてる??((((;゚Д゚)))))))



ええっと…

Bebeは、人間でも好きなタイプの人(男女問わず)は、
誰にでも分け隔てなく、
媚び諂いを嫌い、
賄賂なんかで扱いとか変えない方で〜す( ´ ▽ ` )ノ


はーい、
そっくりそれを神に当て嵌めてみましょうo(^▽^)o


そもそも一般の方でも、
神社は天皇が祀られてる事が多いってご存知だと思います( ´ ▽ ` )ノ

明治天皇→明治神宮
神武天皇→橿原神宮
安徳天皇→赤間神宮
後醍醐天皇→吉野神宮
崇徳天皇→白峰神宮

などなど…


勿論、
神社には、自然神を祀ったもの、地元の産土神を祀ったもの、英霊を祀ったもの、なんかもありますo(^▽^)o


しかしながら、
古代のカミというのは殆どは、
古代の天皇=アマカミ
もしくはその時代功績を成した方々なのです(´✪‿✪`)


そして、
それらは漢字の入ってくる以前のお話であり、
カミ=神(天にゐる)ではありません!


また、
その地方の長はクニカミですが、
他にも子育てに貢献した方に与えられた称号「コモリカミ」や、
「カマドカミ」などという称号もあるんですよ〜(○´3`)ノ

そして漢字になっちゃって「カミ=神」だと思っていると分かりにくいですが、
『肥後の守(カミ)』や、
政府や天皇陛下の事を『お上』と言ったりする事柄からも、
元々の意味には、
『天上界の目に見えない神霊』
といった意味合いはあまり見受けられません。

イサナミ様が亡くなられて、イサナギ様が追っていった出来事を「カミユキミレバ」とありますから、
これはカミ(イサナギ)が行って見たらば、とも取れますし、
カミユキ(といった幽体離脱的な何か??)して見に行った、とも取れますが…


又、ハタレの大将の事も「ハタレカミ」とも記述されています(∩╹∀╹∩)



さて、
Bebeが最近よく聞く(←え!?最近ではなくて、もう千年以上言われてたって!??)
『アマツカミ VS クニツカミ』

「あの神は天つ神系だからね」

とか、全く理解に苦しみますっ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)


だってね、
そもそも「天孫降臨」などと言われてますニニキネ様!
瓊々杵とか邇邇芸命なんて漢字で書かれちゃってるこの方が天孫と…

そして天から降りて来て地上に降ったように言われてますが…

この方、ヲシテ文献では、
アマテルカミのお孫さんです(#^.^#)


古代天皇=アマカミは、
天の意向、タミの幸せを第一とし、
タミのヲヤ(親)として、
自分が崇められることを喜びとしていたのではなく、
タミが平和に幸せに暮らして行く為に尽くされた方。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。


それは、
昭和天皇でさえ、
今上天皇陛下が美智子皇后陛下とのご成婚時である昭和34年当時でさえ、
実は防空壕暮らしでした(΄✹ਊ✹‵)
侍従の者が「こんな場所に住まわせては置けない」と御所の新造を提言するも「世の中には住む家の無い人も居るのに、私はこれだけの物が有るのだから」と。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。


そんなお方でした。+゚(つз`o)゚+。



また今上天皇陛下も、
311の時、
東京は電力が足りないという理由で輪番停電になりそうでしたが、
ギリギリそれを免れました。

けれども陛下は、
「一回2時間。暗い部屋で寒さをこらえ夜の場合はろうそくの灯りで夕食をとられている」
宮内庁の羽毛田長官によると周囲が「そこまでされなくても」と体調を案じても
「天皇陛下は「苦しんでいる人がおり自分の気持ちとしてそうしたい。寒さは厚着をすれば大丈夫。」と話し
「災害時にどう対処すればいいかを学ぶ機会でもある。」と前向きな考えも示されたという。


天皇陛下という方々は、そういう方々です・゜・(PД`q。)・゜・



また明治天皇が日清戦争の時、
広島城に大本営を移されますが、
見れば天皇の御在所というか寝室も見当たりません。
聞けば、屏風一枚の後ろに布団が一組あったのみで、
暖房器具もないとか…

兵隊達が苦労しているのに、ご自身も立派な寝室になど寝ていられない、と仰ったとか…。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。




また仁徳天皇の竈(かまど)は有名です!
仁徳天皇の四年、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられて、
「民のかまどから煙が立ち昇らないのは民の暮らしが貧しいからではないか?」
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向こう三年間の租税を免除しました。
天皇は衣を新調されず、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理も遊ばされず、星の光が破れた隙間から見えるという有様にも堪え忍び給いました。
 三年がたって、天皇が高台に出られて、炊煙が盛んに立つのをご覧になり、

高き屋に
のぼりて見れば
煙(けぶり)立つ
民のかまどは
にぎはひにけり

(新古707)

 「朕はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」
 「宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだ、といえるのですか」
 「よく聞けよ。政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」と仰せられたとか。
 そのころ、諸国より
 「宮殿は破れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても拾っていく者もありません。もしこの時に、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」
 との申し出が頻頻とあるようになりました。
 それでも、天皇は引き続き更に三年間租税を免除なさり、やっと宮の修理をお受けになったとか…


古代でも今でも天皇陛下というのはそういう方々です・゜・(PД`q。)・゜・
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そんな方々がアマカミ=天皇陛下なのですが、

翻って、

天つ神(ってアマカミのことでしょうか??)VS 国つ神(クニカミ、地方の長のことでしょ??)
ってなんなんでしょうか??(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)


国つ神の財産が欲しくて天つ神が侵略しただなんて∑(❍ฺд❍ฺlll)

第一、初代アマカミのクニトコタチの時代(縄文)より、
我が国はアマカミを中心とする統一国家です。
しかも海洋民族です!


だからこそ、
いまでも太平洋を跨いだ各地から、
縄文土器が発見されるのではないですか??

それは侵略などという血なまぐさいものではなく、
平和な交易があった、
またそれだけの船の技術もあった、
ということではないのですか??



Bebeは、
歴史、本当に無知ですので、
ヲシテ文献の時代をヲシテ文献を読み感じ取る所と、現代のことしか分かりません。
中世も近世も分かりません。

ですからその間、
朝廷の名の下の血みどろの何かがあった、というのは否定出来ないのですが、

そのトノヲシテ(トの教ゑの精神。
タミの喜びの為に一から十までツクス)という大御心が、
今上天皇陛下まで受け継がれていることに感動を禁じ得ないのですが…。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。


朝廷による虐殺って何処の国の話でしょうか??((((;゚Д゚)))))))


フランス国歌の中に出てくる王達のこと??
(△クリックで飛びます△)



しかも、
日本の国を身体全体に喩えて見るならば、
アマカミは全身を統べる中央なのに、
部分の足を欲しがるとか、
そもそもあり得ない話(ノ∀≦。)ノ


例えば出雲!!
(この話は書きたくて書きたくてウズウズしてますから待ってて下さいね♡)
ソサノヲ様の子のオホナムチ様(所謂、「大国主」と認識されている方。大黒様のモデルです)は、
親身に農業指導もし、
イヅモは大変豊かになりました。


ヒフミムモヤソ
フタワラノ
ヒモロゲカゾエ
タネフクロ
ツチわツチカフ
ヲンタカラ
ウヱタスカテモ
クラニミツ
アメカゼヒデリ
ミノラネド
アタタラクバリ
ウヱサセズ

(ホ9-45)

123,682俵も採れたお米!!
古代では破格だったに違いありません(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…


だからこその!
出雲の注連縄があんなにぶっといのだと思いますヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙
注連縄の為に藁だけ作るってあり得ませんもん(ノ∀≦。)ノ
画像1


(そして古代の杵築大社(出雲大社)の
空中神殿は高さ48mだったとも96mだったとも言われており、
宮柱も出て来ましたが、
その直径なんと一本3m\(^o^)/
尤も、それがヲシテ時代?オホナムチの時代か?と言うと、
659年斉明5是歳条に、出雲国造に命じて神宮を築いた、と日本書紀にあるそうですから、
ホツマツタヱが編纂されたのは、120年頃であり、
神武天皇即位でさえBC660年ですから、
オホナムチの時代より千年以上は後世かもしれませんが…)
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けれども、
慢心したオホナムチは、
(アマ)カミの心を忘れていました。

昭和天皇もツギをあてた服を普段お召しになっていたと言うのに…


ホツマツタヱではこう記されています。


イヅモヤヱガキ
オホナムチ
ミツレバカクル
コトハリカ
ヌカオタマガキ
ウチミヤト
コレココノヱニ
クラブナリ

(ホ10-3)


これを糾されるのですが、
ホヒノミコトを始め
使者は次々とオホナムチの繁栄の出雲王国の贅に魅せられて何年も何年も帰って来ず…


とうとう、
朝廷の右の臣の役職を解かれてしまいました。

クニカミとは朝廷と対立とはあってはならず、
また朝廷はタミの釣った鯛であり、
タミの総意ですから、
朝廷に背くということは、
タミ総てを裏切る行為だからです…


出雲のクニを立派にした功績(これは物凄いご功績!大偉業だと思います)はありますが、
日本の国全体から見たら、
一部だけが贅の極みを極めていても、
全国のタミから憎まれてしまうでしょう…


こうして、右の臣であるオオモノヌシという役職を解かれ、
津軽に左遷となったオホナムチですが、
津軽では、良いクニカミとなり、
ツカルキミと呼ばれ人々から慕われ、
岩木山神社に祀られたようですよ(○´3`)ノ


イサナギ・イサナミ様といったアマカミ(古代天皇)も全国を巡幸してタミを治めましたし、
イサナミ様の御父様トヨケカミはタカミムスビの五代目として東北ヒタカミにいらっしゃいましたが、晩年はアマテルカミに請われアマノマナヰ(比沼奈為神社)でネとサホコ・チタル地方を治められましたし、
クニカミの地位であっても、
中央(日本の国全体を統べる)の中で、
あちこちの地方に行かれるのは普通です。

決してクニを奪われて…
とかいうことではなく、
御役目に応じて、
地方を命ぜられ治めていたのですから、
オホナムチ様にとっても、
何も「朝廷にクニを奪われ哀れで無念)ということはない筈で、
ましてや恨みに思うなど筋違いなことなのです(♡´◡`♡)




それから、
「どうせ天皇って地位に生まれたから偉いと言いたいのだろ??
そんな地位に生まれたから死んだら祀られるのだろ??」
かと言えば、
そうではないですね、少なくとも古代に於いては…

イサナギ様の弟クラキネ様は、
晩年若い妻サシミメを娶った事柄から、世の中大混乱のきっかけを作ってしまいました (╯•﹏•╰)

ですから

イサナギわ
マツレドオトノ
クラキネわ
マツラズ

(ホ7-17)



さあ、
日本の神社に祀られている「カミ」という方々の御心は理解出来ましたでしょうか??


そして、
さらにアマカミ(古代の天皇)や天皇の御役目の一つとして、
「タミを教え導く」ということがあります( ´ ▽ ` )ノ


イサナギ・イサナミ様も、アワウタを教え、稲の育て方(今、ご飯が食べられるのはイサナギ・イサナミ様が一本一本、葦を抜いて水田を作って巡られたお蔭です!マヂで!!)を教えて廻りました!
(そして全国の水田開発には、そのひ孫ニニキネ様のご功績のお蔭ですっ!!)


最も偉大なるアマカミ、アマテルカミも沢山、教え諭されました!


そして、明治天皇もしっかり学び、しっかり働き、国民一人一人が豊かに賢くなられるのを奨励されました。


江戸時代の識字率は70%超!
これは当時のロンドンの30%と比較しても破格!
世界で最も識字率が高い!
それは古代から天皇が民の教育に励んできたからではないでしょうか??


民を奴隷として文盲とさせておいて搾取させるのではなく、
国民一人一人を我が子と慈しみ、
教育に力を入れてきたお蔭なのだと思います。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。


そういったカミは、
神上がって(崩御)されてからは、
すっかり性格が変わって、
自分の事へのお詣りを第一にしろ、
お供物を沢山要求、
まず神祀りを第一としろ!
などと仰るでしょうかσ(・ω・`@)

勿論、
お詣りも喜ばれると思いますし、
奉納も喜ばれると思います(´✪‿✪`)

しかし、
タミが和し、
よく努め、
教えに従って幸せに暮らすこと!

それらを第一に喜ばれるのではないですか??

だからこそ、
日本のカミ=神社に祀られている方が凄いなぁ〜〜って思うのですヽ(;▽;)ノ

だからこそ!
Bebeも尊敬し、
それらのイサオシ(御功績)に対し、
感謝を申し上げたくなるのです。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。

その御教えをもっともっと学びたくなるのです。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。


そして学んで、
その恵みをご報告しに、
感謝しに行きたくなるのですヽ(;▽;)ノ




世界平和への祈りを捧げるのも尊いです!


しかしながら、
赤ちゃんでも出来る世界平和、
にっこり笑顔という光を投げ掛けること!

お金を持っていない子供でも出来る世界平和、
にっこり笑顔を振りまいて、
誰彼分け隔てなく挨拶すること!


Bebeにも出来る世界平和、
ありがとう、と言ったり、
皆に親切にすること!


それらを毎日毎日行うこともまた、
世界平和なのではないかしら??


世界平和への立派な祈りを捧げようが、
立派な護摩を焚こうが、
荘厳なミサを行おうが、

その世界平和の一つ一つの中身を行い続ける数の方が勝る、
あ、言い過ぎですか??
ではひけを取らない、
と思うんですの(#^.^#)


御祈祷も良いと思います(´✪‿✪`)

舞の効果も実感してますヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙

雅楽もお神楽もお祭も良いですよ꒰*✪∀✪꒱♬ ♡*:・



でも、
日本の神社に祀られてるカミは、
きっと「日々の、ヒトとしての努め」を何よりも尊ばれる方だと思うんですの(๑´ლ`๑)フフ♡


神社の神官様も巫女の方々も、
お詣りする方々も素晴らしいんですけど、
日夜人々の為に、
働いて下さってる方々総て、
尊ばれる方だと思いますよ(○´3`)ノ


そして、その御旨であった教えを実践してますって誓いやご報告、
そして感謝を述べに、
神社に行ったら、
何よりもカミは喜ばれるのではないかしら〜〜??*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*



そしてどうぞ大好きな神社に祀られているカミはどんな方であったのか??

それを学んでみてくださいね♪

ヲシテ文献には、
古事記では分からないカミの出自、性格、ご功績、詳しく記されてますよ(○´3`)ノ

よく分からなけれど信じてる、
なんていうのは「盲信」と言うのだと思いますよ(#^.^#)




2014年3月26日 式年遷宮の終わった伊勢神宮に三種神器の剣璽(けんじ)を携行され御参拝なさる天皇陛下
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長々お読みいただき、
ありがとうございま〜す( ´ ▽ ` )ノ



また次の記事も読みに来てくださいませ〜♪(*〇´∀`艸)*゚



併せてこちらもどうぞ+:.゚(人>◡σ).。+゚
凄くない人力(と日本という国や天皇陛下のこと) http://woshite-1nensei.doorblog.jp/archives/26990082.html?_f=jp

王子の狐 鍵を咥えて

こんばんは( ´ ▽ ` )ノ

いつもお読みいただきありがとうございますo(^▽^)o

先日、無事ホツマツタヱ9アヤ
「ヤクモウチコトツクルアヤ」の暗唱を完了し、
今日から10アヤ「カシマダチツリタイノアヤ」に入りました(←て、まだ1頁目ノートに書き写しただけぢゃん?)

今朝は、八百屋さんに梅も10kg注文し、紫陽花も美しい季節となりましたね♪(*〇´∀`艸)*゚



そんな中、
前から行きたい、行きたい!
と思っていた東京都北区の 王子に、
巫女舞お師匠と行って参りました( ´ ▽ ` )ノ



王子の梔子と葡萄。藤との三位一体!



先ずは、
神前神楽のCDを買いに、
雅楽専門店・武蔵野楽器さんに向かいます(○´3`)ノ



舞楽装束☆









書籍、CD、DVDが面白い(●ꉺωꉺ●)


あ、Bebeはほんのちょっぴりですけど、昔、小唄・端唄、常磐津、新内なんか歌と三味線やってたので、
雅楽は分からないのですが、
邦楽全般の本は面白いの☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


お茶まで出していただき、
楽しかったのでまた来ま〜す( ´ ▽ ` )ノ



。.。:+♫+ ゜ ゜゜ *+:。.。:+Ἳ6+ ゜ ゜*+:。.。.。:+♫+ ゜ ゜゜*+:。.。:+Ἳ6+ ゜ ゜゜ *+:。.。.




さて、CD買って武蔵野楽器さんを後にすると、
来ました、来ました、
「装束稲荷神社」(○´3`)ノ



装束稲荷神社は、関東八ヶ国の稲荷のお使いが、王子稲荷神社へお参りする前、当地にあった榎の下で装束を着替えた場所なんだそう(๑´ლ`๑)フフ♡

王子稲荷に行く前に行くのが筋ですね♪



ここでは狛犬ではなく狐ちゃんが迎えてくれます♪

「ア」キツネ・珠を咥えてます



「ウン」キツネ・鍵を咥えてます




ここに歌碑が∑d(◐д◑´,,)




いざあけん
ゑび屋扇屋とざすとも
王子の狐鍵をくはえて



うん!鍵を咥えてます(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…

こりゃなんでだろ??
ゑびやと扇屋も気になるね!



そして装束稲荷神社のそもそもは、
関東の狐が集結して装束を整えた大榎があった所だと、広重も描いてて有名なり(✧◡✧)
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おおお!
たまたまですが、今日17日は祭日なのだとヾ(●´∀`●)ノ




なにしろね、
ホツマツタヱ8アヤ「タマカヱシハタレウツアヤ」のハタレ6群のうち、
九州から出て来てヤマシロ・ハナヤマ(京都花山稲荷)に集結したキクミチは妖術を使って人々を誑かしてましたが、
揚げ鼠稲荷寿司の起源)←クリックで飛びます)と、生姜・茗荷を燻して捕らえましたが、
カダマロに斬られようとするところ
アマテルカミの恩情により

ミツヒコガコト
モロキツネ
ウケノミタマオ
マモラセヨ
モシモタガワバ
スミヤカニ
タマダチナセヨ
コノユエニ
ナガクナンチニ
ツケルナリ

(ホ8-71〜72)

とあります(●ꉺωꉺ●)

なので、
稲荷神社に祀られているのは、
ウケノミタマ(豊穣の自然神)、ウケモチ(カダマロの祖先で農業大臣)、カダノカミ
↓ ↓ ↓
宇迦之御魂神、宇気母智之神、荷田社・稲荷神
なのですねぇ(♡´◡`♡)


そしてキ(ク)ツネ三兄弟の末っ子は、

オトわヒガシノ
アスカノ

キツネモミツニ
ワケユキテ
タハタノトリオ
オワシムル

(ホ8-73〜74)


そして装束を整え…

ませんでしたが、
いざ!飛鳥山の王子稲荷へヾノ。ÒㅅÓ)ノシ


そしたらその前に素敵な庭園、
「名主の滝」が!


素敵な滝があって、
心の「ミソギのサクナタリ」したような꒰*✪∀✪꒱♬ ♡*:・





そしてとうとう来ました「王子稲荷」ワ━━ヽ(′▽`*)乂(*′▽`)ノ━━イ!!



正門は幼稚園入口みたいで閉ざされてて、坂を登って廻ります♪


来たよ〜〜〜꒰*✪∀✪꒱♬ ♡*:・




ここで、なんかカメラが回ってるな、
あれカメラ、Bebeが動くと動くな、
とか思ってたらTBSでした。

それで「何をお願いしに来たのですか?」と訊かれちゃったので、
お願いというか、
ホツマツタヱにこう書かれていて、
農業のカミであるカダノカミの話から、
説明し始めたら、
うっかりヲシテ講釈までついうっかり(ノ∀≦。)ノ

もしかしたら放映されちゃうのかしら((유∀유|||))

取材ならおめかしするのにィ(←ウソ)


て、
そんな中、
師匠は師匠で思う存分、祝詞を上げられたそうで、
ホンマに良かったのだそう(◍˃̵͈̑ー˂̵͈̑)人(˃̵͈̑ー˂̵͈̑◍)

奥も面白いから是非是非( ´ ▽ ` )ノ

そしてお土産も買いました♪

暫狐(○´3`)ノ

名優九代目団十郎が「暫」を上演するにあたり王子稲荷に祈願して大ヒットしたので作られた江戸玩具♡


狐行列手拭い☆



そして、
王子のお寿司屋さんに向かう途中、
あ、玉子焼き屋さんが 「扇屋」さんなのか∑d(◐д◑´,,)

海老屋扇屋開かずとも
王子の狐 鍵を咥えて
の玉子焼き「扇屋」さんは、
折詰の元祖だって!!
海老屋さんも江戸の名高い料亭なんだってo(^▽^)o


何しろ、
王子飛鳥山は江戸の桜の名所ですものね♪
お花見で玉子焼き食べたのかしら??

玉がないのが王子なり!
玉があるのが玉子だね!


さぁて、
王子の回転寿司「飛鳥」さんで食べた後、
デザートにさっき通った、葛餅の幟の「石鍋」さんに行こうとするのですが、
ちっとも辿り着けず( ;´Д`)

あ、Bebeは方向音痴です(/●◔∀◐●)/
師匠もかすら??(#^.^#)

何故か
音無川の畔とか歩いちゃったり…


そして、
あら?デッカい灯籠!!

と思ったら、
Bebeはノーマークだったのですが、
「王子神社」(●ꉺωꉺ●)



中々の大きな神社と思いましたら、
江戸十社なのだそう!

雰囲気は(青山の)熊野神社とかそんな感じ、とか思いましたら、
御祭神は伊邪那岐、伊邪那美、天照大神、などなど…


そしたら…

あ!王子の由来がლ(;ʘДʘ)ლ



若王子ですと!??

なんと紀州から熊野大神を召喚したと!!



それって!!


それって…


ナチノワカミコ
ヌカタタヨ

(ホ6-31)ではないですか??



そう言えば、
さっき烏さんに会ったんですよヽ(;▽;)ノ

イサナミマツル
クマノカミ
シコメガシヰオ
カラスカミ
マツレバクロキ
トリムレテ
カラストナツク

(ホ6-32)

ではないのですか(⌇ຶö⌇ຶ)


アマテルカミの第五王子
(正確には四男だと思いますけど、
セオリツヒメ・ホノコ様の生んだ皇太子オシホミミは別格にすると…)の
ヌカタタ・クマノクスヒは、
クマノカミですもの(⌇ຶö⌇ຶ)

クマノクスヒ・ヌカタタ様は、
アマテルカミの五男三女の内、
ネ(北)のウチメ(最初はツ(西)のオシモメだった)のトヨヒメ・アヤコ様の皇子様!

トヨヒメわ
ネノウチメニテ
ヌカタタノ
クマノクスヒゾ

(ホ6-28)

あ、でも結構、
那智の若皇子ヌカタタ・クマノクスヒ様はかなりご活躍で、
ホツマツタヱにも記述は沢山٩(๑'ꇴ'๑)۶

クマノクスヒはハタレの乱制定にも、
イフキドヌシ(ツキヨミの子。奥様は厳島神社のイチキシマヒメ。アマテルカミの甥っ子ですね♪)と双璧で、
白馬、黒馬に跨ってご活躍
クスヒ( ◜◡‾)(‾◡◝ )イフキ



道理で、王子稲荷の住所「岸町」って、
キシヰ(紀州)っぽいと思ったんですよ、さっきヽ(;▽;)ノ


しかもね、
音無川、
オトナシカワ、
オトナシカワ、

ってイサナギ様が、
ヨモツヒラサカから帰って来て
一番最初にミソギしたのが、
和歌山の音無川ლ(;ʘДʘ)ლ

なんだか
王子の地は、
そんな紀州縁があるのかも???


クマノクスヒ様は、
カダマロがタマダチしようとしても、
それを止めた方でもありますし(#^.^#)


トキニクスヒガ
クマノカミ
マネケバカラス
ヤツキタル

(ホ8-67)


八咫烏…丁度ワールドカップ、
タイムリー(*≧ლ≦)
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。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜*+:。❀.。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃*+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。.



そうして帰りに、
石鍋さんでお茶を…



この天草の俵が凄い(w○Д○)w


ご馳走様でした (。-人-。)





帰りに都電荒川線(路面電車)乗って【熊野】って所を通って帰って来ましたが、


王子の狐はなぜ『鍵』を咥えているのかσ(・ω・`@)??


もう少〜し調べてみたくなっちゃうのでした\(^o^)/


ちなみに、
王子の狐が「珠」と「鍵」を咥えていることから、
江戸の花火屋さんが
( 」。╹o╹。)」たまや〜〜♪
( 」。╹o╹。)」かぎや〜〜♪


だとか、なんとか??







大晦日、これで王子の狐の行列参加したいコン♡




※2017年6月13日追記※
このキツネ🦊三兄弟の真ん中兄ちゃんのお話は、こちらをどうぞ(○´3`)ノ↓

厳島神社の舞楽観て来ました♪

さてさて、
前記事の続きなのですが…



ひょんなことから巫女舞を習うようになって、
「先ずは袴を注文する」ということから、
装束を調べるようになってしまって、
雅楽・舞楽にもちょいと詳しくなってきてしまいました(*/∇\*)

元々、小さい頃から着物が大好きで、
着付け教えていたり、
着付師としても働いていたりもしたのもあるかも??ですけど…(#^.^#)




ヲシテ文献、Bebeが既に暗唱した部分にも「カンクラ(神楽の元?)」が出て来ます!

有名な?アマテルカミのイワムロに隠れて、オモイカネ様がワザオキ歌った、

カグノキ
カレテモニホユ
シホレテモヨヤ
アガツマ アワ
アガツマ アワヤ
シホレテモヨヤ
アガツマ アワ

モロカミわ イワトノマエニ
カシマドリ   コレゾトコヨノ
ナガサキヤ キミヱミホソク
ウカガエバ イワトオナグル
タチカラヲ ツワモノヌシガ
シメナワニ ナカエリマシソ

(ホ7-34~7-39)

(中略)


アハレ
アナオモシロ
アナタノシ
アナサヤケ
オケ
サヤケオケ
アワレ
オモシロ
サヤケオケ
アナタノシ

アヒトモニ
テオウチノベテ
ウタヒマフ
チワヤフルトゾ
タノシメバ
コレ【カンクラ】ニ
アマテラス
ヲヲンカミナリ

(ホ7-44~7-46)


今でもお祭に歌や踊りが欠かせないのは、
歌や踊りは生命の喜びだからでしょうね(((o(*゚▽゚*)o)))


さて、
舞楽に行き着いたものの、
調べれば調べるほど、
《大陸的》です(TДT|||)

おおお!
私達は「なんとな〜く」
『平安時代はとっても雅で日本的』と思い信じ込んでましたが、
平安時代はバリバリ仏教文化で大陸的でしたヽ(;▽;)ノ


舞楽も、
題材から何から何まで本当に大陸的(⌇ຶД⌇ຶ)


とはいうものの…

装束の一つを取ってみても『袴』!!


これもヲシテ文献に出てきます(●ꉺωꉺ●)

また「ウオソデ(大きい袖)」

これなんかも神官装束や立雛に残っていますよねぇ+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚
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なんでもかんでも大陸から来たわけではないのだと思います。+゚(つз`o)゚+。


また舞楽はいわゆる歌なしのインストゥルメンタルですが、
倭舞(ヤマトマイ)や巫女神楽は歌があって、
これは五七の歌なんですよ〜☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


ヲシテ文献でも
「ヰ(5)クラ・ム(6)ワタお
ネコエワケ」るという、
そしてウタを誦むことが長寿の秘訣だというのですから!!

また心を明かすというのですから!

そういうウタの文化が何千年経っても残っているということが、
ありがたいことですよね੭່ʓ (Ō̥̥̥̥̥̥̥ ԑ Ō̥̥̥̥̥̥̥ ૢ) ੭່ʓ



そして、
舞楽はまた装束も面白くて、
特に(主に)子供が舞う「迦陵頻」「胡蝶」の可愛いことヾ(●´∀`●)ノ

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迦陵頻は鳥さんなので脚が鳥さんなのだそう!


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左舞の迦陵頻に対する返舞の右舞が胡蝶!これまた可愛らしい٩(♡ε♡ )۶

このように、舞楽には、
左右の舞があって、
左(タ)(日、春、東)
右(カ)(月、秋、西)
の法則は、
キチンとヲシテ時代から守られ続けてるんだなぁ〜(w´Д`w)
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そんなこんなな、
4月だったのですが、
Twitterのお友達が、
Bebeの舞楽Tweetに激しく反応∑d(◐д◑´,,)

「ぢゃあ一緒に観に行こう!」
「何処住んでるの??」
「静岡!」
「う〜ん、調べたところに依ると、
伊勢神宮や明治神宮は断然舞楽も沢山やるみたいだけど、東京来るのは可能??」
「可能!!」
「じゃあ、明治神宮に観に行こう!
あ、その前にBebeは5月半ばは広島に行ってるんだけど、
厳島神社でも5/18の推古天皇遥拝式で舞楽あるから行ってみようかしら??」
「それ乗ったーーーーーーっっ!!」
「え!??静岡から広島、来るの??」


という訳で、
静岡のお友達も来ることになり、
5/18宮島に行くことになりました♪( ´θ`)ノ


何しろ、
世界遺産「厳島神社」の舞楽というのは、
今から1,400年前、舞好きな平清盛が直々に持ってきたという由緒のもの!!

舞楽奉納される数の上では、
伊勢神宮や明治神宮にこそ負けるかもですが、
海の上の舞台で、
清盛由来の舞楽が観られるなんて想像しただけでもワクワクです(((o(*゚▽゚*)o)))

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゚.:。+゚.:♡゚.:。+゚.:。♡゚.:。+゚.:。♡゚.:。+゚.゚.:。+゚.:♡゚.:。+゚.:。♡゚.:。+゚.:。♡゚.:。+゚.


5月14日(水)
Bebeは東京から広島にやって参りました(○´3`)ノ

ところが、何故か、5/12〜16(月〜金)まで急遽、彼が金沢出張に꒰꒪д꒪|||꒱ガーン
更に5/17〜18(土日)は九州社員旅行ですとヽ(;▽;)ノ


まあ、そういうタイミングは、
ちょいと淋しさもありますが、
与えられた貴重なありがたい時間で…

東京で目が廻る程忙しかったBebeへの休養時間という感じ(๑´ლ`๑)フフ♡

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前から名刺の図案考えなきゃ!
とやっと下絵描いたり切り絵したり!
そしてチマチマ鹿工房…





で、
静岡のお友達も、
何故か急に高校生のお嬢さんも来るということになり、
お天気にも恵まれ、
17日土曜日は広島観光(○´3`)ノ

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お友達に着物(Bebeの持ってる中で一番大きい着物)着せてみたんですけど、
お嬢ちゃんの方が似合うから、
明日は娘の方に着せて厳島神社行きましょo(^▽^)o
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そして5月18日(日)
お電話ホツマの広島の雅子さんの美人ガイドさんも一緒に、
みんな朝早起きして、
厳島神社に行って来ましたヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙

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最初の演目は振鉾。
こちらは左右両方が出て、
祓い浄めるのだそう!

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雅子さんとBebeは、舞台の左側で座って観てたんですが、
最初は引潮だったのに、
始まるとドンドン潮が満ちてきて☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


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これは「萬歳楽」という演目。
雅子さんと「なんかあの帽子、鳥っぽいね!?烏帽子(えぼし)というのももしかして、鳥の帽子から来てんのかすら??」と雑談してたんですけど、
「萬歳楽」というのは、
鸚鵡(オウム)が「万歳」と鳴くというお話から出来たおめでたいものだそうでꉂ ૮( ᵒ̌ૢꇴᵒ̌ૢ )ა。*゚✧


舞にも左右交互なように、
お神楽(雅楽演奏)も左右交互なんですね!!


潮が満ちて来ると共に、
自分の足の下に綺麗なお魚ちゃんが来て、
そして白鷺が舞い来たるのも、
なんという天の演出キャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー

更に、鶺鴒がやって来て、
共にお囃子を演奏するのにも感動੭່ʓ (Ō̥̥̥̥̥̥̥ ԑ Ō̥̥̥̥̥̥̥ ૢ) ੭່ʓ



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これが一番有名な舞楽演目の「蘭陵王」
こんなにステキなロケーションでの舞楽は感動しますから、
皆さんも是非是非ィ〜*。⋆ฺ(*´◡`)ノ



その後は雅子さんのガイドで宮島観光♪(*〇´∀`艸)*゚


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「キツネも三ツに ワケユキテ」
とお土産屋さんではしゃぎますˉ ( ›◡ु‹ ) ˄


大聖院なんかも行ったのですけど、
何しろ朝が早かったからこの頃はもうヘロヘロしてて写真があまり残ってなかった…


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で、お土産屋さんシリーズ、
「忘れられない鯉」
広島カープというくらい、
広島城を鯉城(りじょう)というくらいですから、
広島はまた鯉にも縁が深いのかも(๑´ლ`๑)フフ♡



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よせば良いのに顔出し(;≧ꌂ≦)
(モデルがこんなでスミマセン)

もう陽射しが余りにも強かったもので、
でも朝早くて日傘までは思いつかず、
お土産屋さんで、いかにも?な土産物、玩具の傘を買って悦に入ってるお猿さん(#^.^#)



。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜*+:。❀.。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃*+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。.

さて今日は一昨日Twitterで知り合った石鹸屋さんのちゃいぶさん!
今日なんと!配達していただきましたヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙


Bebeは元々、
中学生の頃から公害問題とか目覚めちゃってて、
家の洗濯から炊事から洗髪まで
ずーーーっと純石鹸だったのですけど、
まあそんなに大して美容にも興味ある訳でもないし…(#^.^#)
高い化粧品使っても元も大したことはないからねぇ〜…
なんて思ってたのですが、
ちゃいぶさんの石鹸は、
原材料が全て食べられるものだそうで、
酒蔵の町、広島西条の酒粕を使った生石鹸、
日本蜂蜜の広島三次のはちみつ石鹸、
本当に良いものを使って作ってらっしゃるのは興味ありまして…

丁度、一昨日Twitter上SALEをするというので、一つ試してみようかσ(・ω・`@)??

と話してる内に、
ウチまで届けてくださる!
とのことワ━━ヽ(′▽`*)乂(*′▽`)ノ━━イ!!

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元々は、お父様の介護で、
床擦れでどんな石鹸やお風呂も痛がるお父様の為に作ったという石鹸!

酒粕の石鹸も蜂蜜の石鹸も本当に美味しそう+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚


普段(はおろか、人前でも…)化粧はしない、日にはガンガン当たってて日焼け止めとかも塗っちゃあないけど、
酒粕には美白効果もあるらすぃ〜し(#^.^#)

ちゃいぶさんの生石鹸はこちらからどうぞ♪



広島にご縁があるからこそ、
こうして広島に来れて、
また明後日ヲシテ講座もさせていただける有り難さ੭່ʓ (Ō̥̥̥̥̥̥̥ ԑ Ō̥̥̥̥̥̥̥ ૢ) ੭່ʓ



明後日のヲシテ講座もどうぞ宜しくお願いしま〜す( ´ ▽ ` )ノ

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是非ヲシテ書けるようになって帰って下され〜〜ヾ(●´∀`●)ノ

2014年5月24日(土)13:30~16:45
参加費:3,000円
ア-トサロン広島
〒733-0011 広島市西区横川町2丁目9番25号 松本ビル3F
TEL 082-234-2624

お問合せ:白龍会・藤原 090-8718-9406


雛まつりヲシテの旅❀

2014.2.28

この日は、伊勢神宮内宮の伊勢修養団で毎月末日に行われている、
ヲシテ研究の第一人者池田満先生の
「いせの会」に出席するべく、
伊勢に向かいました( ´ ▽ ` )ノ


近鉄電車に乗って伊勢に向かう道中も、
伊勢、鈴鹿、白子とかホツマツタヱに所縁の地名のアナウンスがいっぱいあって、
古代へタイムスリップしてるみたいです( ✪ฺД✪ฺ)


一緒にヲシテの勉強を始めた三重のエミちゃんは、実は池田先生ともご近所で、
もう「いせの会」も出席し始めて10回位だそうです(○´3`)ノ

東京のBebeはなかなか行かれないので、憧れが募りますから、
今回はやっと都合をつけての初参加です
+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚



東京から名古屋行きのバスに乗り、
近鉄電車でエミちゃんの住む駅まで着くと、
エミちゃんのお迎えで一旦、エミちゃんの素敵なお家へ٩(♡ε♡ )۶

そして、エミちゃんにお弁当まで作っていただき、
いせの会に出発しました( ´ ▽ ` )ノ


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池田先生や皆さんとお弁当を食べ終わると、いせの会が始まりました❀˳꒰*ॢ´◡`*ॢ꒱❀˳ワクワク


皆さん長年お勉強されているようですヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙

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今日の講義は、
7アヤと17アヤでした( ´ ▽ ` )ノ


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わぁ〜、3/8にBebeがさせていただく講義の宣伝まで載せていただき感激ですヽ(;▽;)ノ

しかし乍ら、急遽場所と内容が変更になりまして恐縮です…꒰#'ω`#꒱੭


講義の7アヤは、
つい先月、暗唱を終えたばかりのところですから、(大祓祝詞にも名の出てくる)シラヒト、コクミ、などの罪やトガ、ネヂケの事が先生の解説によって甦ってきますヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙



そして17アヤですヾノ。ÒㅅÓ)ノシ

17アヤは100段もあって長いヽ(;▽;)ノ


そして、
予めエミちゃんから「次は17アヤ」と聞いたので…


Bebeには小さなヤボーがありました(#^.^#)

これは、自分自身に対しての事なのですが、
毎日毎日ヲシテを書き続けても、
読み練習をしていても、
初見読みだと、
普通の人のカタカナを読むスピードには負けてしまいます(TДT|||)

それでも、
少しでもスラスラ読めるようになりたいっ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)



そして、
ど〜〜〜してもルビ付きを読むのは嫌っっヽ(;▽;)ノ


なので、
何回か読み練習してきましたˉ ( ›◡ु‹ ) ˄


それで、他のみなさんはルビを読んでるスピードだけれど、
Bebeは記紀原書ヲシテを持っていって、
一緒にルビなしを読むヤボーヾノ。ÒㅅÓ)ノシ



この17アヤでは、
アマテルカミの講義に参加していた、
元ハタレ・ハルナハハミチの頭領のハルナハの言葉が訛りが入っていてホントに面白いんです(๑>◡<๑)

「コレミウン?」とか

ちょこっと練習していったけれど、
ともかく100段もあると長くて(΄✹ਊ✹‵)

普段の初見読みでは、
一度読んでも読み間違えると、
ついまた読み返しちゃうんだけど、
そうしてると付いていけないので⁽⁽◝(⊙ꎁ⊙ㆀ=͟͟͞͞⊙ꎁ⊙)◜⁾⁾

次の行から立て直しとか…((유∀유|||))


それでも予習(僅かな)効果で、
先生の解説は、
原文の何処なのか?分かるから、
解説聞きながら、
こういう風に書き込みしていけます+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚


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池田先生の解釈の深さ、
またヲシテで読まなければ理解出来ない、
「タ」や「ニ」のこと!
本当に楽しかったです☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆






翌3月1日は、
朝からエミちゃんと、
池田先生のお宅へお邪魔しました٩꒰ ´ᆺ`꒱۶


池田先生のお宅のお庭の素敵さ( ✪ฺД✪ฺ)

このお庭にいろんな鳥や、
狐や鹿まで来るんですってꉂ ૮( ᵒ̌ૢꇴᵒ̌ૢ )ა。*゚✧


そして素敵な奥様の、
素敵な陶器の作品の数々!!

本棚も思わず垂涎〜(w´Д`w)


池田先生自らご朝食を作ってくださり…

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このお家に住みたい位の大興奮で、
写真に収めるのも忘れてます(((✿ฺ≧▽≦)彡☆

そして、
池田先生の書斎꒰✪ૢꇵ✪ૢ꒱ෆ⃛ෆ⃛ೄ

いろんな質問したり、
もうヲシテ三昧でなんと幸せなことか੭່ʓ (Ō̥̥̥̥̥̥̥ ԑ Ō̥̥̥̥̥̥̥ ૢ) ੭່ʓ



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写本に依るヲシテの字体にも興奮٩(♡ε♡ )۶

何か質問すると、
池田先生が古事類苑をたくさん開いてみせてくださいます(w´Д`w)

なんと幸せなことでしょう‧˚*(¤̴̶̷́ॢω¤̴̶̷̀ॢ๑)₊.


奥様の美味しいお料理やお茶もご馳走になり、
「是非また来たい!合宿させていただきたい(炎◡炎)…」とのヤボーを抱きながら、
夕方三重を後にし神戸へと向かいました*。⋆ฺ(*´◡`)ノ





翌日は流石にバテて、
神戸のお友達の家でゆっくりさせていただき、
そこの上のお嬢ちゃんに、
デッサンの鉛筆の使い方をレクチャーしたり…(๑´ლ`๑)フフ♡←なんやかんや教えることの好きなシト

下のお嬢ちゃんには、ヲシテお手紙書きごっこ(○´3`)ノ
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翌3月3日(月)は、
初和歌山の旅です☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


ホツマツタヱ9-39〜

スクナヒコナワ
アワシマノ
カダカキナラヒ
ヒナマツリ
ヲシエテイタル
カダノウラ
アワシマカミゾ

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ホツマツタヱの9アヤ好きです!
いつも泣けて来ちゃいます(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)

そのスクナヒコナが教えて到った
加太の浦の淡島神社(○´3`)ノ

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沢山のお雛様(΄✹ਊ✹‵)

舟に乗せられていきます( ´ ▽ ` )ノ

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巫女さんとお稚児さん?に引かれた舟は海まで運ばれていきますが、
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女性は舟を担がせていただけるので、
Bebeもちゃっかり(๑´ლ`๑)フフ♡

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浜辺に着きました!
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そして舟が流されていきます( ´ ▽ ` )ノ

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おとめらの
おもひおのせし
ひなのふね
すくなひこなの
いにしむすびて

べべ丸




Bebeはひな祭りが古くは流し雛だったであろう理由は、
ホツマツタヱ2アヤの、
ウビチニ・スビチニさんの故事に依ると睨んでます(✧◡✧)

2-11
ミアツケレバヤ
アスミアサ
サムカワアビル
ソデヒチテ
ウスノニココロ
マタキトテ
ナモウビチニト
スビチカミ
コレモウビニル
フルコトヤ
オオキスクナキ
ウスノナモ
コノヒナカタノ
ヲわカムリ
ウオソデハカマ
メわコソデ
ウわカツキナリ

(2-11〜2-13/284行目〜292行目)


また、古くは笹舟だったのでは??
と想像してます(#^.^#)
何故なら、
「トコミキのアヤ」な訳ですが、
御酒の起源が出てきて、
竹株に雀が籾を入れて醗酵したのが始まりで、
「ササケ(捧げ/笹)」たから「ササケ(笹け、酒)」になったのですからヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙






そして、
海辺の町の美味しいお寿司をいただき、
淡路島も眺めた後に、
日前(ヒノクマ)神社・国懸(クニカカス)神社へ( ´ ▽ ` )ノ

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これはホツマツタヱ1アヤの「キツノナトホムシサルアヤ」で、
アマテルカミの留守中(はムカツヒメが代理ですね♪)、
キシイ(紀州)の人々が田んぼのイナムシにヤられお先真っ暗だったのを、
ワカヒメがオシクサで払いながら、
ウタでもって払い、
ムカツヒメは30人の侍女達と共に一緒に360回、ワカヒメのハラヒのウタを詠って払ったので、
そのお礼にキシイの人々がムカツヒメの為に建ててあげた宮が「アヒノマヱミヤ(日前宮)」!
日のカミであるアマテルカミの御前にいらっしゃるからですね+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚

そして、元々あったアヒミヤは、
「クニカケ(国懸宮)トナス」と(○´3`)ノ

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その後は、
いよいよ、タマツミヤにどうしても行きたいのです(⌇ຶД⌇ຶ)


しかしながら、
最初に行こうと声掛けしたお友達は、
関西のお友達をいっぱい誘ってくれたのですが、
実は興味の範疇が全然違って、
ホツマツタヱの内容より、
古墳やパワースポット、シリウス神社に行きたいのでだとかლ(;ʘДʘ)ლ


えええ!??
ホツマツタヱを巡る旅のつもりだったのに∑(❍ฺд❍ฺlll)


でも、
他のみなさんが、
みんなそういう系統なので、
Bebeが発起人だったのだけれど、
他の方々はBebeの友達と親しいお仲間だけれど、
その方々を一人も知らなかった訳だし、
来るまでに、
どんな話題で盛り上がってたのかも知らなければ、
「玉津島神社は行かないのですか??」と訊いたBebeの方が我儘のようにすら思えてきますヽ(;▽;)ノ


それで、
車を運転してくださった和歌山の方にお願いして、
Bebeだけは玉津島神社に連れてっていただくことに。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。


玉津島神社に着くと涙が込み上げてきます(⌇ຶД⌇ຶ)


だって、
1アヤのワカヒメの授業は計五人に合計何十回行ったのでしょう??
100回かも知れません(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)

車を降りて感激で思わず「うわぁ〜来られて嬉しい!!」
と言ったBebeに、

「べべちゃん!?」との声がლ(;ʘДʘ)ლ


思わずワカヒメかと思いましたら(んな訳ないが)

なんとホツマツタヱのお勉強をされている京都のゆりこさんではないですか!??・゜・(PД`q。)・゜・


ゆりこさまがワカヒメに見えたとですよ(⌇ຶö⌇ຶ)


帰ってしまった他の方々には申し訳ないが、他の方々はみな関西ですから、
ごめんなさいですけど、
是非また和歌山古墳巡りもパワスポも行って下さいませヽ(;▽;)ノ

東京から、
三重も経て遥々来ましたBebeは、
ずっと1年以上来たかったのですから、
その感激たるや尋常ではなかった筈です(⌇ຶД⌇ຶ)(⌇ຶД⌇ຶ)(⌇ຶД⌇ຶ)



玉津島神社は紅白の梅が満開でお出迎えしてくれましたヽ(;▽;)ノ
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ひさかたの
ひかりまします
たまつみや
けふそきたらん
むめもさきほぎ

べべ丸





ゆりこさんが教えてくれた奠供(てんぐ)山からの眺め+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚

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キシイの方々がホムシを払ってくれたワカヒメの為に建てたタマツミヤ(玉津島神社)ヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙

ワカヒメがアチヒコさまに恋して、
求愛のマワリウタを読まれたのも、
この玉津島神社なのかと思うともう感激いっぱいです੭່ʓ (Ō̥̥̥̥̥̥̥ ԑ Ō̥̥̥̥̥̥̥ ૢ) ੭່ʓ



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1-24
キシイコソ
ツマオミキワニ
コトノネノ
トコニワキミオ
マツソコイシキ




御参りが終わりましたら、
その近くの素敵なカフェで、
京都のゆりこさまとお茶…(ღ′◡‵)
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ホツマツタヱやヲシテ文献の世界への熱い想いを語り合います‧˚*(¤̴̶̷́ॢω¤̴̶̷̀ॢ๑)₊.


その後も、
またまた神仕組な出会いもありびっくりしつつ、


沢山の方々から沢山の助けや恵みをいただき、
そして…


実は3月8日は急遽、宮島での泊まりイベントは中止になってしまったのですが、
その代わり、3月8日(土)の午後三時間ヲシテみっちりの講座にしていただきましてワ━━ヽ(′▽`*)乂(*′▽`)ノ━━イ!!


それから、
言ってみるものですが…

ピアニストの小笠原貞宗様には、
べべ作曲アワウタの演奏・アレンジ・録音をお願いしていたのが、
出来上がったとの知らせも受け、
(ありがとうございま〜〜す♡♡♡)


池田先生からいただいた素晴らしいお土産も抱え、
嬉しい嬉しい、
ひな祭りのヲシテの旅路の帰途に着きました✫★✬*:・ヽ꒰ ◍′Д‵꒱ノ・:*:・゚✩✫✦




。.+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜
゜ ゜゜❃*+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。.ヲシテ講座開催のお知らせ゚。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃ *+:。❀.。:+❁+ ゜ ゜*+:。❀.。.。:+❁+ ゜ ゜゜❃

【日本のタカラと日本語のルーツを探る!
日本語のミナモトーヲシテ】

今こそ立ち返る明らかになった縄文よりの日本のタカラ

◯ヲシテ文献とヲシテ文字について

◯ホツマツタヱに学ぶ日本のタカラ


日時 : 2014年3月8日(土)
13:30〜16:30

場所:アートサロン広島
〒733-0011 広島市西区横川町2丁目9-25松本ビル3F  
Tel 082-507-2345  


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畏れ多くも、
池田先生がBlogで取り上げて下さいました੭່ʓ (Ō̥̥̥̥̥̥̥ ԑ Ō̥̥̥̥̥̥̥ ૢ) ੭່ʓ


Bebeさんの広島の講座の事。  ヲシテの文字を読んで、ヲシテ文献のその時代の文章を読むという事。: 縄文文字 ヲシテ を 復活!

http://wosi.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-bd0c.html

ありがとうございます☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆




どうぞ宜しくお願いしま〜す( ´ ▽ ` )ノ









オトタチハナヒメと暗唱熱再燃のこと・2013年9月

ご無沙汰しております(#^.^#)

久々に更新させていただきます( ´ ▽ ` )ノ

その後、Bebe自身の5アヤで暗唱を一時期中断しておりましたが、
仲間達とのお電話ホツマは楽しく続けさせていただいておりました(♡ ╹◡╹ ♡)


「Bebeは先生な訳ではないし、
みんなと進みを一緒に合わせて共に研究した方が良いのではないか??」
との判断でした。

けれども、また「暗唱したいっっ!!」と強く思うようになりました♪




そのきっかけは…
2013年9月2日
広島に住むヲシテ仲間の雅子さんが急遽ご用事で横浜に来ることになり
「Bebeちゃん、その日は空いてますか??」と。。∑d(◐д◑´,,)

何しろBebeは半径2kmの女です(◞ꈍ∇ꈍ)ハズカシナガラ…

そんなBebeには横浜すら大冒険なのですけど、
行きたい所がありましたヽ(;▽;)ノ


横須賀・走水神社☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


横須賀は2010年〜2011年、彼が出張で四ヶ月間通った懐かしい場所ですが、
如何せん遠いヽ(;▽;)ノ


一人で横須賀なんか行けにゃ〜〜〜いヽ(;▽;)ノ


けれども、
ヤマトタケがホツマ(東国)に向かった時、
三浦半島から房総半島まで船で渡るに当たり、
風が激しく海が荒れた時、
ヤマトタケの妃であったオトタチハナヒメがタツとなってヤマトタケのキミを護る為、
海に飛び込んだ場所!!



そのオトタチハナヒメの櫛が流れ着いたとされ祀られているのが走水神社なのですっっ!!

Bebeが横須賀にいた時、彼といった三崎口の鮪料理の威勢の良い女将さんからも、
走水(はしりみず)の話は聞いていたのでした!!

船を走らせた水だから走水!!

そしてもう一つ!

横須賀走水の水はとっても素晴らしい水なのですって!!(●ꉺωꉺ●)


それから更に、走水神社にまつわるお話をある方から伺ったばかりでしたので、
なんとしても横須賀・走水に行きたいっっ♪───O(≧∇≦)O────♪


雅子さんが横浜に来るってことは、
まさに『渡りに船』です☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


で、行って参りました!!








横須賀快晴◎走水神社から海を臨む。





日本武尊(ヤマトタケ様)がノト(祝詞)を挙げた碑とか!







まるで、この鳥居の上に掛かった虹のような光が、
タツとなって護られたヲトタチハナヒメのようですね(ღ′◡‵)








その後は雅子さんと、
海岸線を観音崎までバスで行き、
海辺のピクニック\(^o^)/






向こうにヤマトタケの渡った上総の見える横須賀観音崎は本当に気持ちの良い海辺でしたo(^▽^)o





♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡*゚¨゚゚・♫*:..。♡



その次の雅子さんとのお電話ホツマでは早速「ホツマツタヱ」の39アヤを一緒に読んでみました( ´ ▽ ` )ノ






ホツマツタヱ39-34〜

10130下 トキヤマトダケ
10131上 オオイソオ
10131下 カヅサエワタス
10132上 イクサブネ
10132下 タダヨフカゼオ
10133上 シツメント
10133下 オトタチバナハ
10134上 ヘニノボリ
19134下 アメツチイノリ
10135上 ワガキミノ
10135下 イツオヤマトニ
10136上 タテントス
10136下 ワレキミノタメ
10137上 タツトナリ
10137下 フネマモラント
10138上 ウミニイル
10138下 モロオドロキテ
10139上 モトムレド
10139下 ツイニヱザレバ
10140上 ナミナキテ
10140下 ミフネツキケリ



オトタチハナヒメのヤマトタケ様への強い愛の決意が、
逆巻く海に飛び込ませた事を想い泣けてきます・゜・(PД`q。)・゜・



こうしたエピソードは直ぐ暗唱出来て、
みんなが知ってる日本武尊のお話ですし、
関東のBebeには三浦半島の横須賀や、その対岸の房総半島はとても身近o(^▽^)o


このお話はとても有名で、
皇后陛下も英語でスピーチされているほどなんですよ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆



美智子皇后・弟橘比売英語スピーチ



そうして、
このオトタチハナヒメの投身エピソードの暗唱をきっかけに、
5アヤ(は短いのです)を9月中に暗唱達成を目標にし、
達成させましたo(^▽^)o

勿論、新しい所を覚えたから前に覚えた部分は忘れた!
というのでは折角暗唱した意味がないですから、
奉呈文〜4アヤまでも時々全部言えるか?チェックはしてますよ(○´3`)ノ



あ、実は次の記事を書きたいが為の前振りの、
横須賀走水神社の話だったのですが、
長くなりましたので一旦アップしま〜す(○´3`)ノ


お読みいただきありがとうございます(♡´◡`♡)

次の記事もどうぞ読んで下さいませo(^▽^)o


観音崎の海岸もとっても気持ち良かったぁヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙



ホツマで読むヤマトタケのお話をより知りたい方は池田満先生のこちらの本をどうぞ٩꒰๑❛▿❛ ॢ̩꒱コレ

出雲旅行と広島行きのこと。2013年3月半ば

3月半ば

この頃、エミちゃんのお父様とのおでんわホツマの授業は、20回目を迎え、
奉呈文(序文)もそろそろ終わりに近づきました(´✪‿✪`)



Bebeはと言えば…
肩や腕の骨の痛みは随分と楽になってきたものの、
なぜか大風邪をひいて3日間動けずにおりました(/●◔∀◐●)/

けれど、Bebeにとっては熱は恵みなのですよ(๑´ლ`๑)フフ♡

発熱=悪、ではなく、
身体が闘ってくれているからこその発熱なのです꒰*✪∀✪꒱♬ ♡*:・


症状はサインであって、
症状が悪なのではありません(ღ′◡‵)


やれ熱が出たから下げる!
お腹下したから下痢止めを!
頭が痛ければ頭痛薬(痛みを感じさせなくする)!

では、
原因にはアクセスせず、
身体さんが闘ってくれているのを無視どころか妨害しちゃってます╮(ਊ◞‸◟ਊ|||)╭


総ての病は、
「巡り」が滞っているからヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙

ひょっとして人類全体の、
地球環境への巡りを壊している故の、
その人自体が直接関与した訳ではなくとも、
被害者ではなく「人類としての」責任はあるのですから、
そういう意味でも「巡り」なのかもです。。。


(あ、メグリ=メクリ、です( ´ ▽ ` )ノ
日捲り暦みたいですね(๑´ლ`๑)フフ♡)


もしも難病に苦しんでいらっしゃる方がいらしたら、
気分を害されたらごめんなさい、ですが。。。


病が「罰」という意味ではないのですよ(´✪‿✪`)

いろんな事に気づけたり、
それすらも大きな大きな恵みなのだと思いま~すワ━━ヽ(′▽`*)乂(*′▽`)ノ━━イ!!




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アワノウタ
カダガキウチテ
ヒキウタフ
オノツトコヱモ
アキラカニ
ヰクラムワタオ
ネコヱワケ
フソヨニカヨヒ
ヨソヤコヱ
コレミノウチノ
メクリヨク
ヤマヒアラネバ
ナカラエリ
スミヱノヲキナ
コレオシル

(ホ1-5~1-7)

毎度、カタカナだと助詞や特殊文字や数詞の表記が伝わらなくて哀しいわヽ(;▽;)ノ



アワウタはアワ(天地)のメクリ(循環)に合う・同調する韻律ですので、
氣とか血液とかリンパとかの巡りが良くなって病気がなくなるようですよヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙




そういう訳で、
前置き長くなりましたが、
こんなに調子悪くて大丈夫(TДT|||)??
と心配しましたが、
当日奇跡的に回復し(いつもそういうタイミング運は抜群です!)
3月18日には夜行バスに乗って京都に出発しました(○´3`)ノ



ヲシテ仲間のエミちゃんのお嬢ちゃん・アイナちゃんの作品を観たり、
エミちゃんや京都のお友達に逢って楽しい一時♬♩♫♪☻(●´∀`●)☻♪♫♩♬

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その夜は広島へ(ღ′◡‵)


広島に転がりついたものの、
やっぱその週は体調ダメダメで、
それでも何とか日々のお弁当作り(⇦クリック)とおでんわホツマの授業は頑張ります(/●◔∀◐●)/






3月22日(金)

その日は、ゆーちゃんとエミちゃんのおでんわホツマの40回目でしたワ━━ヽ(′▽`*)乂(*′▽`)ノ━━イ!!

三人一緒に10/19に教科書「記紀原書・ヲシテ」を注文して頑張ってきたよ꒰✪ૢꇵ✪ૢ꒱ෆ⃛ෆ⃛ೄ

そして、その日の授業は、
日本ヲシテ研究所の斯波さんの授業参観?参聴?もありました(๑´ლ`๑)フフ♡

Bebe達のおでんわホツマの半分位は、素読や暗唱練習です(´✪‿✪`)

それでも、みんなヲシテでの《読み》だけでなく《書き》も出来るようにしながら、

また「ツボ三つ上(ま、古代の地図は今とは上下逆さま、らしいですが)から??」
とBebeが問えば、
即座に「ケタツボ(ケタツホ)・ハラミハツボ・オキツボ!(`◕‸◕´+)キリッ!」と答えられます!!



あ、濁点、濁音に関してはそもそもなかった、は同意しますが、
濁点を総て取っての音読、練習してみましたけど(何事も実践実験しております!)
発音上、練習しても難しいものは沢山ありますよね(ღ′◡‵)

例えば、
東北の方が(あ、差別ぢゃありませんよっ!)
「おら、イザナギなんで、言っでね!!イザナギだべ!?」
って、
いくら「イサナギ」と仰ってるつもりでも、
きっと「イザナギだべ!?」と聞こえることってあるでしょうねウン(●´・д)(д・`●)ウン


それから、
アフリカの難しい発音とか、
日本人には聞き取れない発音て沢山あるでしょう??


また、中国や韓国の方は、
日本の清音と濁音の違いは聞き取れない(=発音出来ない)でしょう??
差別的な例で申し訳ないですが、
「戦争中、『十円五十銭(じゅうえんごじっせん)』て言ってみろ!
というのがあって、
どうしても中国人や韓国人の方には、
『チューエンコチッセン』としか発音出来ない」とかあります(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…
(かと言って、韓国とかは母音数は日本より多いですから、
日本人には難しい発音もあるでしょうね!!)


私達は、教科書通りの発音(清音表記はその通りに)は心掛けていますが、
文字(書き言葉)は殆ど清音だったは同意しますが、
1~4アヤ位迄続けて何度も、総ての濁点を外して読んでみた結果、
顎も攣りそうですし、
そこまで不自由な思いをしながら発音したか??は甚だ疑問で( ;´Д`)
発音上も「清音」説はちょっと疑問です(´✪‿✪`)

例えば、表記は「(助詞の)は」でも「わ」と発音するように、
リエゾンってあって普通だと考えてま~す(○´3`)ノ


ま、私達だって、「ヒカシ(東)」とか「オキツホ」位はスラスラですけど(((✿ฺ≧▽≦)彡☆







3月23日(土)
その日は朝5時起きでお弁当作って、
朝6時には、広島まほろばの会の松田先生がお迎えに来てくださって、
出雲・松江ツアーに出発しましたヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙

Bebeと彼は人生二度目(2012年の7月に1回目)の出雲ですo(^▽^)o


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美保神社では結婚式が꒰✪ૢꇵ✪ૢ꒱ෆ⃛ෆ⃛ೄ

美保神社と言えば、オホナムチの息子のクシヒコ(大物主神/二代目オオモノヌシ)様ですね(♡´◡`♡)
慢心した父上オホナムチ様に諌言されましたが、聞き入れてもらえず、
この美保関(みほのせき)にて隠遁生活を送られます♪
鯛を釣っている恵比寿さまは、このクシヒコ様の笑顔がモデルのようです( ◜◡‾)(‾◡◝ )




それから、「フトマガリ」について調べてた時、
美保神社の青柴垣(あおふしがき)神事のフトマガリが(΄✹ਊ✹‵)
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鷦鷯家(ささきけ)や明治の建物の老舗旅館「美保館」も素敵꒰✪ૢꇵ✪ૢ꒱ෆ⃛ෆ⃛ೄ






出雲國二宮・佐田神社の近くでお弁当ワ━(*´Θ`人´Θ`*)━ィ
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この日は松田先生のお誕生日で、苺のパイも焼いたよ(○´3`)ノ





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松江フォーゲルパーク(鳥の楽園)





稲佐の浜
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神有月にはこの浜から各国の神々様が上がって出雲大社に向かわれるのだそう!!





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八百万の神々を先導された龍蛇神様が、こんな風にして(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…






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この海では【エイ】リアンも獲れるらしい∑(❍ฺд❍ฺlll)





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出雲大社の大注連縄ワ━(*´Θ`人´Θ`*)━ィ




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出雲はつい最近まで、古代に文化があったとか信じられていなかった!!
単なる神話だと思われていたのですが、1980年代に荒神谷遺跡が出て初めて、実際に古代の事が。。。


と同じように、出雲大社の空中神殿は、
高さが、48mとも96mとも言われているけれど、
こんなに柱もデッカ~~~~い+。:.゚٩(๑>◡<๑)۶:.。+゚

それも、またオオナムチさまが「カシマダチ(鹿島立ち)」=右の臣としての職務を解かれる、
ことの原因にもなったり( p′︵‵。)









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日御碕(ひのみさき)神社
出雲はまたソサノヲ(素盞鳴尊)様と所縁が深い地ですけど、
日沈宮にはアマテルカミが(´✪‿✪`)








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また出雲の熊野神社の亀太夫神事、
出雲大社の神官がお餅を持って行くと熊野大社の下級神官・亀太夫に叱られペコペコする神事も興味深いね(΄✹ਊ✹‵)




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舊出雲驛(旧出雲駅)カッコいいねヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙





帰りは出雲蕎麦を頂き
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温泉に入って。。。


実に18時間の旅でございました(w´Д`w)










翌3月24日(日)は松田先生の素読の会に参加(○´3`)ノ

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この日はBebeも、
参加者の皆さんにヲシテで名前を書いて差し上げる、というお手伝いをいたしました(○´3`)ノ

会場となった邇保姫神社(にほひめじんじゃ)は、
1945年の原爆投下にも旧社殿は残っていたものの、
2007年に放火され焼失してしまって新しい社殿でした!

ニホツヒメ、ニホツヒメ…


あーーーーーーーーーっっ∑(❍ฺд❍ฺlll)

ニホツヒメってニフノカミ!!!

つまりはアマテルカミの妹(姉として生まれたが戸籍上は妹)のワカヒメ(ヒルコヒメ)ぢゃないのぉ(TДT|||)??


キャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー


こんなところでも、
いくら『蛭子』『水蛭子』だの書かれ、存在を抹殺されようが、
和歌の語源ともなった才女ワカヒメはまたこうして神社に残されているのですねぇ。+゚(つз`o)゚+。


と、感動したところで、
長くなりましたので、
続きはまた今度+:.゚(人>◡σ).。+゚


お読みいただきありがとうございま~~~す♬♩♫♪☻(●´∀`●)☻♪♫♩♬








凄くない人力(と日本という国や天皇陛下のこと)

土曜日から深夜バスで京都に行き、日曜日広島入りしまして、
バタバタしておりまして、更新遅くなりました꒰#'ω`#꒱੭



『ヲシテ1年生☆』お読みいただきありがとうございま〜〜すヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙




あ、この記事のタイトルは「凄くない人(ひと)力(りょく)」です꒰#'ω`#꒱੭

「凄くない人力(じんりき)」ではアリマセン
念のため…(◞ꈍ∇ꈍ)



このBlogは、
凄くない人の代表、Bebeと、
その仲間達=極一般の普通の人達とが、
何も知らない一から、
ヲシテ文字を学び、
ヲシテ文献にチャレンジしていることを記しいてるBlogです(#^.^#)


画像9

最初はこんなラクガキから。。。


そもそも『ヲシテ』ってなあに??
  △ クリックで日本ヲシテ研究所に飛びます △

縄文時代から使われていたらしい日本固有の文字ヲシテで書かれた、『古事記』や『日本書紀』の元になったとされる、『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』等のヲシテ文献があるんですよ!!




例えば、

今までは日本最古の書物は「古事記」や「日本書紀」と言われていました。

今では、記紀でさえ読んだこともなければ、「それって私ィ〜関係ないしィ〜、興味な〜〜〜い;^_^A」って人達が大多数ではないでしょうか…!??


また「本当は、漢字渡来以前に日本には文字があったんだよ♪」と言っても、
「へぇ〜〜〜( ̄▽ ̄)
だからぁ〜〜〜!??
それが私に何の関係があるの???」
そういう人達が大概ではないでしょうか???


ましてや、
その、見たこともない【ヲシテ】なる文字で、その文献を読んでいる、ともなれば、
「あんたも好きねぇ〜〜〜!??
よっぽどマニアなんやねぇ〜〜!!」
と思われても仕方ないと思います(´◕ฺω◕ฺ`)ショボーン



けれど、実は、
そのヲシテ文献は、古事記や日本書紀の【モト】になった書物であり、
私たち日本人のルーツであり、
先祖から私たち一人一人がどれだけ愛され願いを込めて記されているか??
今現代の私たちにも呼び掛け、読んで欲しい!!との願いを込めて編まれた書物であり、

今私たちみんなが使っているこの日本語が、その使われているヲシテという文字から出来ているとしたら???

誰も関係ない!と言える人はいないのではないでしょうか???



また、どんなに世界中から叩かれようと非難されようと、
私たちの根底に流れている「大和魂」のルーツや、
また反対に、311のあんな大災害が遭った時でさえ、
助け合い、暴動や犯罪に発展せず、礼儀正しいと世界中から賞賛され尊敬された故は、
何なのか??

それらがヲシテ文献を読むと分かってくるのですo(^▽^)o



それから、「私(我)」ということを主張しない民族であり、
なんでも白黒で裁かない、
争い事を好まず、勤勉であり、
「強ければよい」ということよりも「和」を大切にし、
欧米人とは違った感じ方を持つ私たち!
のみならず、アジアのお隣の国々とも違った物の見方、感じ方、考え方を持ち、
またその文化が、なんでも大陸から来たのではなく、既に縄文時代には優れた哲学や文化があり、
逆に世界に影響を与えていたとしたら??




明治以降、日本も急速に近代化、西洋化なされてきました。
しかし世界中から羨ましがられる、または尊敬される日本の、日本人の資質って何なのでしょうか(´✪‿✪`)??



それは(他国を攻撃したり、見下したりするということではなく、)私たちが誇って良い先祖の文化であり、
またそんな国に生まれさせていただいた恵みに感謝し、
なんでも外国かぶれになるのではなく、
それら縄文時代の方々の記した書物を読んでみる価値は充分にあると思いますヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙




またお正月や受験、
それから生まれた時のお宮参り、七五三など日本人なら大抵御詣りに行くと思いますが、

神社に祀られている神々様はどなたなのかご存知ですか??

画像1

上賀茂神社(賀茂別雷神社)に行ってきたよ(○´3`)ノ





画像1

 毎日新聞 2013年05月12日 より
「平成の大遷宮」として60年ぶりの大規模改修が施され、本殿にご神体が戻った出雲大社(出雲市大社町杵築東)で11日、天皇陛下からの御幣物(ごへいもつ)を神前に供える「本殿遷座奉幣(ほうべい)祭」が営まれた。





また天皇陛下はどんなお仕事をなさっているのか、ご存知ですか(*´∇`*)??

画像1

皇居の水田で田植えをされる天皇陛下(2013年5月21日)




西洋文化は「個」の文化ですから、
「私は」「あなたが」ということを主張します。
そしてヒーローがいて、正義の為の聖戦が繰り広げられてきました。
そして「征服者」「非征服者」などがハッキリしています。

けれども、何千年もの間、公式に世界に認定されているだけでも2700年もの間、続いている国、日本!


それだけでも私たちは、世界の人々に向かって語るべき何かを持ち、
またそうした国に生まれされていただいた恵みや、
自分の家や親を知るように、
愛するように、
もっとよく知っていくのはいかがでしょうかヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙??



アワす
アワす






さて
「そんなの難しいんじゃないのぉ〜??」
「私は頭良くないから…」
「俺は忙しいから無理無理!!」

というのではなくて、
それだったら、
「頭の良い」「暇な」人だけしか読めないことになってしまいますが꒰#'ω`#꒱੭


そうでもない人々、
Bebeとその仲間達が楽しく読んで、どんどん嬉しく恵みを受けているのですから、
勿論専門的に研究しようとすれば何千年もの時の隔たりがあり、
難しいことも多々あるのですが、

声に出して読んで味わうこと自体は、
普通の人々、
このBlogを読んでるあなたでしたら勿論出来ますよ*。⋆ฺ(*´◡`)ノ

という誘いなんですヾ(*´∀`*)ノキャッキャ♪




さらに、それらが総て、五七調のウタの形式で書かれたものであり、
(それらに親しむ方々なら誰でも言っているし、私もそう思いますが)この美しく格調高い書物を、
ウタなのですから声に出して朗読して味わってみましょうよ(◍˃̵͈̑ー˂̵͈̑)人(˃̵͈̑ー˂̵͈̑◍)


と、そう思って、
多くの方々にお知らせしたいんです☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


そして私たちの体に染み入っているこの七五調なのですが、
実は「五・七」には「アワ(天地)のフシ(韻律)」であり、
日本人だから、のみならずその宇宙的韻律なのだと!!
書かれているのですよキャーq(≧∇≦*)(*≧∇≦)pキャー


ど、道理で、
歩きながらの暗唱とかもリズム取りやすく覚えやすいと思ったよ(*˘▿˘人)♡

ですから是非、皆さんも声に出して読んでみませんか??ってお誘いなのですっっ꒰*✪∀✪꒱♬ ♡*:・




そして読めば、
この日本がもっともっと好きになってきますヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙

日本に生まれさせていただいたことがどんなにありがたいことか、分かって来ます。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。



それは「右翼だ」とか「外国より優れているのだ」とか、そういうことではなく、
自分のことをもっともっと好きになることでもありますし、
自分の親やご先祖への感謝が湧いてくることでもあるのですよ✫★✬*:・ヽ꒰ ◍′Д‵꒱ノ・:*:・゚✩✫✦


それこそ!!
が「幸福」の秘訣なのではないでしょうか(´✪‿✪`)




「他より優れている」という優越感からくる満足は、
いつでも危ういです(╯•﹏•╰)

自分の「優越感」を危ぶませる存在を否定したり、攻撃したり、に向かってしまうからです…(◞‸◟ㆀ)ショボン




そうではなくて、
私たちは、ごく普通の人たちなのですけど、
日本語の読み書きが出来、
ちょっと練習したら誰でもヲシテの読み書きもできるようになりますが、


もう与えられている恵み「日本語を使えている」ってことや、
「日本に生まれた」ってことが、
即ち自分であり、
もっともっと好きになっていくってことですよワ━━ヽ(′▽`*)乂(*′▽`)ノ━━イ!!



幸いにして、
Bebeは共に学ぶ仲間に恵まれています。゚( ゚இ‸இ゚+)゚。


けれど、
ヲシテで読んでみよう!!
チャレンジしてみよう♪( ´θ`)ノ

って方はどなたでも!!
もうBebeの仲間ですしo(^▽^)o


その上、ヲシテ文献研究40年の池田満先生や、
日本ヲシテ研究所の方々も喜んで応援してくれると思いますヾ(@⌒ー⌒@)ノ



そして、
凄くない人のBebeなんですけど꒰#'ω`#꒱੭

だからこそ、

「勉強はちょっと苦手」って方や、
「何にもさっぱり分からない」という人々に向けて、
「何にもさっぱり分からない+ほんの砂粒程度は分かりかけたかもσ(・ω・`@)」(という勘違いかもしれませんが…(◞ꈍ∇ꈍ)。。)
ってBebeが伝えていけるお役目もあると思っているのです(´✪‿✪`)


今後とも、
どうぞ「ヲシテ1年生☆」どうぞよろしくお願いしま~す♬♩♫♪☻(●´∀`●)☻♪♫♩♬









http://www.youtube.com/watch?v=lsOFxj9To-o&feature=youtube_gdata_player

ヲシテ文献「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」は第12代天皇・景行天皇の御代勅令で記されたものであり、「ホツマツタヱ」の40アヤの内、前編28アヤまでは更にその約800年前に記されたものです(´✪‿✪`)
この動画観ると、それがどの位凄いことか??分かりますよね(´✪‿✪`)

「ホツマツタヱ」がもっと知りたいっ!」2012年8月のこと…ヲシテ文献を読み始めるまで②

さて2012年7月13日に京都で、
『ヲシテ』っていう文字で書かれたホツマツタヱと触れることが出来たBebeは、
その後2週間ちょい広島に居て、
その間、素読の会に出たり、

画像1


出雲旅行に連れてって貰ったり、
広島港の花火大会に出掛けたりして、
8月初めには東京に帰って来ました( ´ ▽ ` )ノ



それで「もっとホツマツタヱについて知りたいなぁ~」と言うと、
一緒に京都でホツマツタヱの会に出席した三重のエミちゃんが
池田満さんの
ホツマ縄文日本のたから [単行本](展望社)をさっき注文したと言うo(^▽^)o



早速BebeもAmazonでポチってみまして、
翌々日の8月8日には届きました( ´ ▽ ` )ノ


今まで古事記でしか知らなかった神々のお話が、
優しく解り易く書かれていて、
お子さん達が読んでも面白いだろうな♪ という本でしたo(^▽^)o

この本は、まず『ホツマツタヱ』ってどんな事が書かれているの??
とか古代の歴史を知る入門書として超お勧めですっ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

三重のエミちゃん、群馬のゆーちゃん、広島の雅子さんも同じ時にそれぞれの場所で買いました( ´ ▽ ` )ノ



今、現在(2012年10月~2013年4月現在)電話やSkypeで仲間達と共に、
ホツマツタヱを学んでいるBebe達も、
授業で度々資料・副読本として用いています(○´3`)ノ

ヲシテ原文のみで読んで(ヲシテの読み書きも暗唱もマスターし乍ら進んで)いるので進みはその為ゆっくりなので、例えば奉呈文に出てくるトヨタマヒメって誰??という時、
トヨタマヒメのエピソードを『ホツマ縄文日本のたから』を一緒に読んだりする。

また基本的な登場人物、アマテルカミ(天照大御神)やムカツヒメ(瀬織津姫)の事、ニニキネ(瓊瓊杵尊、邇邇芸命)さんの事、そういった方々の事が把握できますo(^▽^)o




そんな2012年の8月、仲良しの群馬のゆーちゃんと埼玉は大宮の武蔵國の一の宮・氷川神社に行ってきました(○´3`)ノ




Bebeとゆーちゃんは2011年の秋に東京で会った時にブッククラブ回で、
ゆーちゃんは「ホツマツタヱ読みたいんだよね。。。」と言って鳥居礼さんの本(ホツマツタヱ関係の本てそれしかなかった)を買って、
Bebeは「ホツマツタヱも読みたいけど、まず皆が読んでる『古事記』を読まないことには一般の人との共通言語を持てないかも??」と岩波文庫の『古事記』を買ったわけですが…(#^.^#)

8月に広島から東京に帰り、池田先生の『ホツマ縄文日本のたから』を読み終わったBebeは、ゆーちゃんに鳥居礼さんの『言霊ーホツマ』を借りたりしました( ´ ▽ ` )ノ

氷川神社の御祭神は素戔嗚尊と櫛稲田姫と大己貴命♫꒰ ૢ❛ั◡❛ั ॢ✩꒱
Bebeは7月に出雲大社や八重垣神社などに行って来たばかりだったので縁やお導きのようなものを感じながら、
「ヤクモタツ…の歌は本当は㋻で終わったんだね!!」なんて話をしましたo(^▽^)o



最初はどんな本が良いか??とかは分からないものですが、
その後ヲシテで学んで行くと、
漢字で書かれているものはやはり意味合いが違ってきてしまって随分違うな、と言うのが実感です(´✪‿✪`)




池田先生の『ホツマ縄文日本のたから』の前書きに書かれているように、
原字・原文で読みたいな(*´∇`*)と考え始めていた私達ですが、

その8月、まずは京都のホツマの会で勧められた、東京の勉強会に行ってみることにしましたo(^▽^)o


初参加のBebeが一番初心者だったわけですけど、
周りの参加者の皆さんは資料を堆く積んで、沢山勉強してそうです(΄✹ਊ✹‵)

なんか恐縮…꒰#'ω`#꒱੭

9月はまた広島行きと重なって参加出来ないけれど、10月には参加してみよう♪( ´θ`)ノ
と思ってました。




そして8月末には箱根に行って来たのですが、
箱根は東京からも小田急線ロマンスカーで利便も良く、よく行ってはいましたが、
今回生まれて初めて駒ヶ岳のロープウェイに乗って箱根元宮に行ってきましたo(^▽^)o



ロープウェイから眺める気持ちは、
古代のカミガミ、オシホミミさまやニニキネさまの想いが伝わってくるようです( ✪ฺД✪ฺ)


隣は神山(は行った時は立入禁止でした)の駒ヶ岳山頂には箱根神社元宮があり、
箱根神社は御祭神はニニキネさま(瓊瓊杵尊)とコノハナサクヤヒメ(木花咲耶姫)などとなっていますが、実はニニキネさまのお父上であるオシホミミさまの神上がった場所であられます(●ꉺωꉺ●)



その後、ホツマツタヱを読み始めると、アマテルカミの御子オシホミミさまは、
東北は現多賀城市にあったヒタカミの地に都を定められ、
東北の人々から慕われ、宮城県・岩手県・秋田県の三県にまたがる栗駒山に駒形(こまがたの)大神として駒形根神社に祀られるようですが、
箱根の駒ヶ岳も、正に駒形大神=オシホミミ様を祀ったものであったのではないでしょうか。。。


オシホミミさまは、
『古事記』では正勝吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、長いっっ…(;´Д`)'`ァ'`ァ'`ァ
『日本書紀』では天忍穂耳命、
と記されていますが、
古事記ではアマテラスとスサノオの誓約(対決)で生まれたとされ、
一体誰の子なんだ( ;´Д`)??
とか、

また父君アマテルカミと、息子ニニキネとの二大スーパースターの間に挟まれ、少し影が薄いような(*/∇\*)??
それで箱根神社の御祭神もすっかり息子ニニキネにされちゃってますが、
しっかり山の名前にオシホミミさまの痕跡が残ってますねヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙



そうして9月になった頃、
更にヲシテ文字を書いてみよう♪( ´θ`)ノ
と思い至りましたo(^▽^)o






神社(カンヤシロ)やカミ達との関わり

さて、2012年7月半ばにヲシテ文献『ホツマツタヱ』に触れることになったBebe達だけど。。


ここ数年は、
色んな神社に行くことが増えてきてたよ( ´ ▽ ` )ノ


でも、元々「神社巡り」の趣味があった訳でもないし、
パワスポ・ブームだとか御利益を求めてのパワースポット巡りに興味があったわけでもないよ(#^.^#)

勿論それらを否定する訳ではないし、
そんな理由であっても、日本のカミガミ様やイヤシロチに触れているのは良いかもしれないねヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙

だって清しい氣にも触れられるしねo(^▽^)o


でも有名神社に行って感じるのは、
良いエネルギー(氣)が流れているのは、
寧ろ境内より、
その杜(森)だったりもするよ( ✪ฺД✪ฺ)

樹、木(キ)=氣(キ)だね( •ॢ◡-ॢ)-♡

境内は、
「お金儲け出来ますように」とか「良縁を」とか「受験を」とか、
ま、それも人の性(さが)ではあると思うけど(#^.^#)

努力なしに我欲だけを僅かなお賽銭で、自分だけの我欲を願っても??…ねえ(#^.^#)???


人の幸福ってそんなところにあるとは思ってないもの(ღ′◡‵)


あ、長くなっちゃったけど(*/∇\*)



2011年の10月27日には、
三重のエミちゃんと伊勢神宮の伊雜宮と外宮に行ったり

伊勢神宮外宮



伊勢神宮伊雜宮





2012年の1月には、その当時福岡勤務だった彼と志賀島の志賀海神社に行ったり

志賀島・志賀海神社


志賀海神社の亀石
志賀島志賀海神社・亀石






2012年の3月には、広島転勤になったばかりの彼と厳島神社に行ったり

image


image


「どっちが馬さんで、どっちが鹿さんかすらσ(・ω・`@)??」
image





そしてホツマツタヱに出会うちょっと前、
2012年の5月末には
三重のエミちゃんと麻賀多神社と下三宮「鹿島神宮」「香取神宮」「息栖神社」に行ったりしたよ(○´3`)ノ


麻賀多神社
麻賀多神社




潮来(いたこ)のあやめ祭の嫁入舟
潮来あやめ祭・嫁入舟




香取神宮
香取神宮



香取神宮本殿





鹿島神宮
鹿島神宮



鹿島神宮の御手洗池
鹿島神宮・御手洗池






息栖神社の力石
息栖神社・力石



そんなお詣り経験をしながら、
いよいよ2012年の7月にヲシテ文献『ホツマツタヱ』に出会って行ったんだヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙



ヲシテ文献「ホツマツタヱ」との出会い②

2012年7月13日

さて京都に着いたBebeとエミちゃんと雅子さんは、加悦画伯に迎えにきていただき、
加悦夫妻が結婚式を挙げたという京都の上賀茂神社に連れてっていただいたヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙


それが「ホツマツタヱ」に出てくるアマテルカミの御孫のニニキネ(記紀では天孫・瓊瓊杵尊、邇邇芸命)の所縁の神社であるということは、其処にいた誰一人全く知る由も無く、
加悦さんから「二葉葵」の話を聞いていたよ( ✪ฺД✪ฺ)
上賀茂神社3




そして吉田神社、今宮神社に連れて行っていただき、
炙り餅をいただいた後、
画像1

みんなで「ホツマツタヱ」の会に行ったの(ღ′◡‵)



2012.07.13京都ホツマツタヱの会



その会では、
その年の3月、伊勢でホツマサミットなるものが開かれたことや、
松本善之助先生という方が1966年に「ホツマツタヱ」というものを神田の古書店で偶然見つけ、
それ以来研究に身を捧げたということ、
そして「ホツマツタヱ」が漢字伝来以前の古代文字「ヲシテ」で書かれている五七調の長歌だという事、
画像1

(ヲシテ研究所の池田 満先生のヲシテ表と後々判りました!)


そんなことを教わって、
今の「あいうえお」に相当するけれどちょっと並びの違う、48文字から成る「アワウタ」を読んだり
画像1

解釈文を順番に読みながら、
ルビの振ってあるヲシテのホツマツタヱ・1アヤのワカヒメのお話を、みんなで音読したんだ( ´ ▽ ` )ノ



私達が天照大御神だと思っている方が、
実は男性で、お妃が12人も居て(実は閏月があるように13人ということは後に分かったよ♪)、

更にはお姉さんが居て、生まれた時の名(イミナ)が(昼に生まれたから)「ヒルコヒメ」で、
更に「ヒルコヒメ」は「ワカヒメ」とも呼ばれていたこと(w○Д○)w

いろんな疑問や興味が湧いて、
もっともっと知りたいって思ったんだo(^▽^)o


そして、その翌日は、
エミちゃんと雅子さんと下鴨神社に行ったり、
Bebeの行きたかった貴船神社に行って見た御神木「桂」も、
ニニキネさんや、その皇子ホホデミのお后「トヨタマヒメ」にも所縁があったなんて、
後々判った感動だったよ꒰✪ૢꇵ✪ૢ꒱ෆ⃛ෆ⃛ೄ
画像1



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プロフィール

Bebe Suave

2012年7月に、古事記や日本書紀の元になったという、縄文時代に使われていたヲシテ文字で書かれた「ホツマツタヱ」というものに出会いました( ✪ฺД✪ฺ)
古代日本にはどんな秘密があったのか!?
また私達のルーツは何なのか!!?
神社や祝詞の意味は??
また古代日本にはどんな優れた教ゑがあったの??
そして解ってきた、日本語(音、言葉)もヲシテ文字から出来ている!??ლ(;ʘДʘ)ლ
そのヲシテ文字で書かれた書物を読みたくて、2012年9月よりヲシテ文字の読み書きの練習を始めましたo(^▽^)o
2012年10月より仲間達と共に、ヲシテ原文で書かれた「ホツマツタヱ」の勉強を始めています( ´ ▽ ` )ノ
この素晴らしい恵みを、一部の古代史マニアだけでなく、どんな人々も、太陽の恵みをいただくが如くに受けて欲しいと願っていますヽ(′▽`*)乂(*′▽`)ノ
2018年10月暗唱28アヤ達成。授業回数1,000回達成。
2021年12月現在暗唱39アヤ達成。

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