皆さま、いつもお読みくださりありがとうございます(♡´◡`♡)
今日から2月!!
旧暦ですと、
新月2月1日でした💦 丁度2月1日から新年ですね!!
ところで
キラキラネームってありますよねぇ??
ちょっと例を挙げてみようかな??
面白いからです(*≧ლ≦)
2019年の難読キラキラネームです!
第1位 『男(あだむ)』
第2位 『心姫(はあと 他)』
第3位 『紅葉(めいぷる)』
第4位 『桃花(ぴんく)』
第5位 『夢姫(ぷりん、ゆらり 他)』
第6位 『天音(そぷら 他)』
第7位 『奏夢(りずむ) 他』
第7位 『愛翔(らぶは 他)』
第7位 『愛羅(てぃあら 他)』
第10位 『一心(ぴゅあ 他)』
楽しい気分になってきましたかぁ(◍˃̵͈̑ᴗ˂̵͈̑)??
名付けた親御さんの嬉しそうな顔が思い浮かぶようですよね(๑>◡<๑)
いやぁ、その子の将来、とかは兎も角、としてね!!
(案外、今はまた大らかな時代になってきてユニークな名前も受け入れられているのかも!?)
と、共に幼稚園や小学校の先生の難読故の困惑やご苦労も思い浮かびます^^;
私は「その場」とか実は大切にする人間なので、
思われている印象よりは別に突飛なことをあまりしない方ですが。。
決まりや規則にも割と拘るし。。。
別にぶっ飛んでるとかではないつもり。。。
国際的な大きな大会の、スタッフも100人超の受付リーダーも10年以上勤めましたから
場も空気も読めるつもり、瞬間判断もできるつもり。。
ただ、『常識』という物差しはいつも疑ってますが。。。
でもね、最初にキラキラネーム挙げましたが、
確かに『楽しい』『愉快な(失礼!!)』名前ではありますが、
別に咎めようと言う気はさらさら無いんですよ。。。
まして「学や教養が。。」みたいに非難する気もないの。。
では文豪・森鴎外先生のお子様の名前も挙げてみましょう♪( ´θ`)ノ
長男:於兎(おと)
長女:茉莉(まり)
次女:杏奴(あんぬ)
次男:不律(ふりつ)
三男:類(るい)
どうです??「学や教養」の極み、の文豪の名付けですよ??(◍˃̵͈̑ᴗ˂̵͈̑)
ヲシテ時代も、現代から見たら『愉快な』名前沢山あるんだも〜〜〜ん♪( ´θ`)ノ
例えば第7代・孝霊天皇のイミナは『ネコヒコ』様ですよ(♡´◡`♡)
毎回授業の度に、『ネコちゃん』とか思って楽しくなっちゃうの(๑´ლ`๑)フフ♡
もしかしたら『ネ・コ』に『ヰクラ・ムワタお 【ネ・コ】ヱ ワケ』みたいな
深〜〜〜〜〜〜い意味があるやも?知れん。。。ないかも知れん。。。
でもcat🐈 はいましたから、cat と同じ音と言うことは明らかに分かっての命名な訳です。
ネコヒコ様ですけど、
江戸時代や明治なんかでは『トラ』とか『クマ』とか『カメ』とか
動物の名前も多かったかも😺??
また第6代・孝昭天皇カヱシネ様のイミナは『ミルヒト』様です。
これは母アメトヨツ姫がスミヱに御幸された際、海辺で『 海松(ミル)』と言う海藻を刈っているのを
ご覧になっての命名です(`◕‸◕´+)シャキン
令和の御代になり大嘗祭の時、
國學院大学博物館で大嘗祭の貴重な資料展覧会があり観に行ったんですけど、
その中で『海松(ミル)』が神饌になっているのを拝見して
とても嬉しくなったものですヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙
しかし、現代で、
例えばみなさんの食卓に欠かせない有難い海藻『ワカメ』
はサザエさん家なら有り得ても、
まあ普通は名付けないかも?ですよね👀
案外 今の方があるかな?
なんか「ワカメ」って「ワカコちゃん」や「ワカナちゃん」のバリエーションみたいで、
いつまでも若々しい感じしますもんね!!
妃の御名はもっと現代からは難解な御名多いですよね。。。
『ウツシコメ』『イカシコメ』『ヨソタリヒメ』
『ヨソタリ(40人)ヒメ』なんて、どこから誰を数えて40人なのでしょうかね👀??
40人いる中でも一番!!みたいな意味があるのかなぁ👀??
先祖の人数?或いは子供の数で40番目だったのかなぁ👀??
コモリカミ・ミホヒコ様が36人の御子いらしたなんてまだまだ序の口で、
景行天皇に至っては81人。。。(TДT|||)
しかも景行天皇の御即位は81歳!!
勿論その分、妃も沢山いらしたわけですけど。。。
若くして御逝去されたと思われているヤマトタケ様でさえ、15人の御子を残しておいでですからね👀
現代の皇室も何か策を??
下巻(神武天皇以降)になると、御子多くて
系図書くの大変になるよヽ(;▽;)ノ
最初から少しでもお名前とか慣れておくと良いよヽ(;▽;)ノ慣れや浸透って時間かかるから。。
前号で散々『漢字』攻撃したBebeですが、
日本人の漢字の使い方、面白い!!とか、なるほど!!ってことも多くて、
またその当て字が『ホツマツタヱ由来』であることも少なくないんです(●ꉺωꉺ●)
例えば
『飛鳥』
これもし小学生とかに読ませたら『あすか』って読めないのではないかなσ(・ω・`@)??
勿論、歴史好きの小学生とか漢字好きの小学生、奈良や関西に住んでたら読めると思うのですが、
関東や東北の小学生は読めないと思います 😺
この、どう読んでも『どこまでが『あ』『す』『か』なのか判らない漢字『飛鳥』も
本来は『明日(みょうにち)、翌日』の意味です😺
イカルガから1日で(あすの日に)宮遷しを決めてしまわれた第10代アマカミ(兄)の
ホノアカリ・テルヒコ様(この方もニギハヤヒさんと混同認識されてますね、世間では)
烏(カラス)が飛んでいるを見てクマノ(不吉な兆し)と思い、一日で(アスカ)宮遷しを決めてしまわれた
ホノアカリ・テルヒコ様。。。
『飛ぶ鳥』で『あすか』と読むこと、
ホツマツタヱの話がちゃんと残っているからではありませんか(♡´◡`♡)??
(ちなみに古事記、日本書紀にはその記述ありません)
またね、
私は漢字の『東』を『あづま』と読む由来が出てくるの、
9年以上ズーーーーーーーーーっと楽しみにしてたんですよヾ(*´∀`*)ノキャッキャ♪
何故ならヲシテ時代の初期・中期には
東は「ヒガシ」と「キ」しか出てこないからです👀
(平安時代とか江戸時代とかの)古語を以って「ヲシテ時代からの古語」と思うのは誤りです。
これは私は最初から心掛けていて、出てきてないものは混ぜないのです。。
無添加主義です(`◕‸◕´+)キリッ!
とうとう出ましたね!!
39アヤ『ホツマウチ・ツズウタのアヤ』!!
自分(ヤマトタケ)のホツマウチのイサオシを立てる為、大磯から出航した上総へ向かう船が荒れ狂う風で難破しそうになった時、自ら『タツ(龍)となり、キミの為、船を護らん!』と海に飛び込み亡くなったヲトタチハナ姫のウタを読み、
これはヲト・タチハナ姫の形見を埋めて塚となした、という大磯・二宮町の吾妻神社です😺
この吾妻山をうっかり登山道でないところから無理やり登り
危うく遭難しかけてしまいましたぁ(⌇ຶö⌇ຶ) イマダカラハナセル タッタ136mノ山デ…
吾妻山から富士山も!
そして大磯の海も望めます!
頂上からローラー滑り台で途中まで降りられますよ😆
ここは何処か?というと。。
この相模の二宮町は、よく見ないと見えないかも?ですが、
櫛と帯を『埋め』たから『埋沢海岸』⇨『梅沢海岸』に。。
また、櫛と帯、のみならず、『袖』まで流れ着いた、と(΄✹ਊ✹‵)
千葉だけではないんですね。。『袖が浦』。。。(小さくて見えるかな?)
また二宮町の由来の『川匂(かわわ)神社』(式内社/相模国二宮)は『カワアイの野ニ オホミヤお』かも??と、お詣りしてきました😺
埼玉県の大宮の氷川神社だけでなく、
これ位の音が訛って、ってよくあるからです(๑´ლ`๑)フフ♡
アマテルカミの詔によって、40種類くらいのアイモノ(合物、相物)(生とかなり加工されたものの中間)の魚 から富山に、干物などの行商をする町『四十物(あいもの)』町や『四十物(あいもの)』さんて苗字がある話は前々号『スワ!のカミ』(◁クリックで飛びます)でさせていただきました😺
こんな話も、干物などの魚が40種類を「アイモノ」と呼ぶ語源はホツマツタヱでしか説明がつかないのですよぉ。。ウン(●´・д)(д・`●)ウン
また前々々々号『龍の飛ぶ岬』(◁クリックで飛びます)で上げさせていただいた
『善知鳥(うとう)』なんかもホツマツタヱの「善きを知る名」由来
としか考えられない漢字選び!!
それから越前国一宮『氣比神宮』
こちらには2018年の6月にお詣りさせていただいたのですが、
氣比神宮はとても大きくて、
現代の東京生まれ東京育ち東京住みの私は北陸ってそんなに栄えていて
(敦賀も)大きいとは思ってもいなかったのですけど、
日本地図逆様にしてみたら、如何に北陸や日本海沿岸て
外国からの玄関口で防波堤で関所で肝心要か?分かりますね(●ꉺωꉺ●)
ニニキネ様の意図もそんなところに。。。
なんですヾ(˹ᆺ˺✿)ノ゙
この『いざさわけのみこと』が誰だか判っていないようですね👀
この由来、ホツマツタヱで見てみましょう♪( ´θ`)ノ
ツクシ(九州)から行政を見てほしい、と要請があり、
三つ子の末っ子ホオデミ様をツクシヲキミとして遣わそうとしたニニキネ様ですが、
ツクシは食糧が足らず農業が上手くいっていないとのことで
御自ら行幸あそばすことになさったニニキネ様。
それでニニキネ様のお留守中の指示を出される訳です。
ところが、
三つ子の、次男スセリ・サクラギ様=ウミサチヒコと
三男ホオデミ・ウツギネ=ヤマサチヒコはあまり仲が良くないのです(╯•﹏•╰)
というのも、『ウ』の付く名前の『ウツキネ(ヤマサチヒコ)』は
兄サクラギの賜った『ウ』カワのミヤが良いなぁ。。なんて言い出したものですから。。
それで、ニニキネさまは留守中には
次男スセリ・ウミサチヒコと三男ホオデミ・ヤマサチヒコと一緒に
『キタノツ』=敦賀に一緒に行って治めなさい、との詔。。。
ここで『イササワケ』という単語が出てきます👀
様々な方が、様々な解釈なさっているかも??ですが、
文法的に考えてみたら。。。
『◯◯あれば(なれば)』なのですから、
問題、若しくは可能性として高くはないことがあったならば、
のことを表すことが多いですよね😺
そして現在と反対の状況の場合が多いと思います😺
例 ●「雨ならば」⇨「延期です」
●「(お店が)やってなかったならば」⇨「別の店で買ってきて」
●「お前が男であったならば」⇨「軍人にさせたものを。。」
●「私がもう少し若かったならば」⇨「自分でやったのに。。」
というわけで
この『イササワケ』は大まかに『喧嘩』的意味を表している可能性が高いのです😺
(押し付けではありません!信じないで下さいね♪)
例えば諍(いさかい)って言葉があるけれど、それに近いと思っています😺
それから前記事『漢訳の弊害』(◁クリックで飛びます)で『イサ・ナフ(誘ふ)』のヲシテ文字での考察・解説をさせていただきましたが、
『イサ』には『一緒に・新しく』って意味があると考えておりますので、
それが『ワケ』(別・分)られてしまったならば
『ムツ(睦)メヨ!!』
なわけです(♡´◡`♡)
さぁ!!
そんなウミサチヒコとヤマサチヒコの対立からミラクルな展開になっていく
ヤマサチヒコ・ホオデミ様の物語は
原文で読んだら、他人の訳文の何百倍も深くて面白いですから、
是非、原文で読み込んで下さいね✫★✬*:・ヽ꒰ ◍′Д‵꒱ノ・:*:・゚✩✫✦
そして崩御された時の諡(オクリナ・諡号)が
『イササワケ・ミヤ』『ケヰのカミ』
『イササワケ・ミヤ』➡︎時代を経て➡︎『奢沙別命(いざさわけのみこと)』
その『ケヰ』とは「めぐり開ける」と描かれているのですから、
またヲキナ=シホツツのヲヂから『ケヰ』を得た、と記されているのですから、
『きっかけ』や『チャンス』『好機』『契』のことだと考えております(ღ′◡‵)
それが
『ケヰ』➡︎時代を経て➡︎『けひ』➡︎『氣比』となったのでしょうね😺
34アヤ『ミマキノミヨ・ミマナのアヤ』の『ミマナのアヤ』で
第10代・崇神天皇ミマキイリヒコ(御世BC 97年〜BC30年。神武天皇即位元年をBC660年にした場合)様の御代の58年(BC40年)8月(旧暦)の時点では
まだ『ケヰオオカミ』(34–33)ですねo(^▽^)o
古事記・日本書紀編纂時には漢字になった時に随分とヤ行、ワ行、『ン』が脱落してますよね👀
トヨタマヒメ到着して「ウガヤフキアワセズ」様をご出産なさった気比の松原
また変なエフェクト掛っちゃって文字が見えない。。。꒰꒪д꒪|||꒱ガーン
仕方なく文字を水色にしてみたけど、辛いヽ(;▽;)ノ
画像の変更はよくするから
(というのも家内制手工業です😹チマチマ作ってるから、しかもiPhoneで😹
しかし朗報!!テツさんが誕生日プレゼントにiPadを買うてくれはってん☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
しかし在庫切れにつき到着は3月でっす(`◕‸◕´+)キリッ!)
その時に見えないエフェクト掛かっちゃうんだろうな(T ^ T)
もう画像の左寄せ、右寄せ、サイズ変更は止そうかなヽ(;▽;)ノ
さて気を取り直して。
この間、奈良に行った時に
まあコモリさんの(36人の)お子様に因んだ地名のあること!!あること!!。。
運転していて信号名『千代』発見👀
多分10人中9人は『チヨ』って読んじゃうと思うんですよ😺
ところが下に読み仮名アルファベットで『Chishiro』Σ('◉⌓◉’)
これはコモリさんの十男ですねo(^▽^)o
運転しながらコモリさんの36人の御子の名ウタ出てきます😆
(✿ˇДˇ)♪ ソ(10)はチシロ
(✿ˇДˇ)♪ ソヒ(11)はミノシマ
(✿ˇДˇ)♪ ソフ(12)オオタ
他にも奈良はホツマツタヱ由来の地名の宝庫!!
奈良でなくても関東、東北もあったりします😺
(文字が反映されなくて文字をまた水色にするしか無さげなので、ここらが潮時?)
これらを「偽書」「偽書」おっしゃる方々はどのように説明なさるのですか👀??
まあ、偽書偽書おっしゃる方々は
『誰が』『何の目的で』偽書を作ったか?ということを
推察で構わないので、私を納得させる理由を述べて下さいませねo(^▽^)o
私は決して『ホツマツタヱ信者』でも『ヲシテ文献信者』でもないので、
納得できる証拠があって納得できれば
『そうなのか。。』と思いますよ😺
いつだって自論に固執しているつもりもないし、
例えば誰かの説(誰の説だから反対、ではなく、その説)に反対するときも
闇雲に反対、とか、◯◯は嫌いだから反対、とか無いですよ👀
単に、そうではないと思う根拠をたくさん持っている、という時だけなのですよ👀
気に食わないから、生意気だから、嫌いだから、反対、とか全然無いですよ(ノ∀≦。)ノ
判断つかない時でも
ちゃんと生徒さんにもいつでも「こんな意見もあります」と紹介もし続けてます、
10年間!!
それに比べると。。。
カタカムナは由来、語源の根拠、乏しそうですよね👀
カタカムナ文献(文献ってあるの??)に登場する何か由来のわかるもの、
教えてほしいわぁ♪(*〇´∀`艸)*゚
カタカムナって『信じる』しか無いんじゃないのかなぁ??
(あ、言い過ぎですか??また敵を作ってる??失礼致しました)((_ _(-д- 。)ペコリ
『カスガ』漢字も何故『春日』書くのか?
ヲシテ文献に出てこないのかなぁ??
と思い続けてるけど、これは未だ見つかりませんね😺
ちなみに上巻(〜28アヤ迄)は『カスガ』といえば『カスガカミ=アマノコヤネ様』だけど
(コヤネ様の父上『カスガトノ=ココトムスビ』を指す場合も若干あるけど、16アヤとか)
下巻(29アヤ以降。神武天皇以降)はカスガは役職名になってしまいますし、
アマノコヤネ様の子孫というわけではありません😺
カスガってなってるからといってコヤネ様の子孫と見做すのは誤りです😺
第6代・孝安天皇ヤマトタリヒコクニ・オシヒト様には
4歳違いの同母兄アメタラシヒコクニ・オシギネ様がいらっしゃいますが
(ここ、「オシギネ」様と「オシヒト」様の違いを古事記と日本書紀は理解してなくて、
お二人とも「オシヒト」にしちゃってるね!読み込み足りないのよ、記紀の編者は٩(๑`ȏ´๑)۶ キーキー。
ちなみに満年齢なら3歳半違いね!)
皇太子になったのは弟君のオシヒト様の方なのです꒰*✪∀✪꒱♬ ♡*:・
そのオシヒト様二十歳(数えで)の時、立太子なさった翌日に
兄宮オシギネ様を『ヲキミ』として『カスガ』を賜るのです。
あああああぁぁぁぁ、
もっと言葉の変遷も書きたかったんですけど、
それはまた次の機会にしますねヽ(;▽;)ノ
ホツマツタヱの中でも単語が、意味が変遷したり、
また『枕詞(まくらことば)』化したりしていっているの!!
こうした言葉の変化もわかるところが、
上巻(1〜28アヤ)までの編者クシミカタマ・ワニヒコ様がアスス50年(BC668年)に編纂したのと、
下巻(29〜40アヤ)までは編者オオ・タタネコ様がアスス843年(AD126年)に奉ったので、
800年近い年月の隔たりがあるのです👀
今から800年前って、鎌倉時代で鎌倉大仏造られた時代だし、世界ではチンギス・ハーンの活躍していた時代だし、蒙古襲来とかもあったし。。。ですよ。。
時の隔たり、感じますよね(*´∇`*)??
一口にヲシテ時代とは片付けられないし、
言葉も文化もだいぶ違うなぁ。。と思うのです( ◜◡‾)(‾◡◝ )
今日もお読みいただきありがとうございま〜〜〜す♬♩♫♪☻(●´∀`●)☻♪♫♩♬
どうぞまた読みに来て下さいませ…オネガイシマス((_ _(-д- 。)ペコリ