皆さんこんにちは♪
私、今はやめてしまったのですが、
3年ほど前まで巫女舞を4年ほどやっておりました(♡´◡`♡)
まぁ、元々全然『巫女』とか『神道』とか興味があった訳ではないのですが💦
しかも、巫女舞やってると他のダンスが下手になっちゃう💦
それでやめてしまったのですが。。。
それでもいろんな神社に奉納で舞わせて頂けたこと
いろんな神社に行けた事は良い経験だったと、
巫女舞に誘って下さった方に感謝しております(*´∇`*)
さて、また明治神宮の田んぼチームにもいたお陰で
明治神宮の新嘗祭や祈年祭に参列させていただけたことも
ありがたかったです꒰*✪∀✪꒱♬ ♡*:・
明治神宮の新嘗祭と言えば、
明治天皇の御製作詞、
作曲は多忠朝氏(多分振付も)の
『代々木の舞』です。
この装束が舞楽風でカッコ良いんです♪(*〇´∀`艸)*゚
そもそも巫女舞なるものは
なんだか昔からあった様に思われがちですが、
各地に残る巫女神楽は別として
近代巫女舞は大体、多忠朝・静子さん父子によって作られてます。
ですから実は本拠地は皇居のある東京なのですよね👀
そして明治神宮の雅楽演奏や巫女舞のレベルも高くて素晴らしいのです✨✨
舞楽・宮中雅楽の話はまた後ほどするとして、
『代々木の舞』の明治天皇御製を見ていきましょう♪( ´θ`)ノ
いそのかみ
古きためしを
たづねつつ
新しき世の
ことを定めむ
ここで『いそのかみ』という枕詞が出て来ますが
これは『ふる』に掛かる枕詞なのですね(♡ ╹◡╹ ♡)
いそのかみ=石上(いそのかみ)神宮です♪
2017年池田先生と石上神宮にて。古い写真でスミマセン、フルのイソノカミだけに🤣
では一体何故、『いそのかみ』が『ふる』に掛かる枕詞になっていったのか?
見ていきたいと思います(`◕‸◕´+)キリッ!
そもそもには
この『フル』とは
アマテルカミの御孫ホノアカリ・テルヒコ様が
ヒタカミ(父君オシホミミ様の都)から鳴物入りでナカクニ入りする時
アマテルカミからトクサタカラ(十種神宝)を賜っていらっしゃいます👀
ホツマツタヱで見ていきましょう👀
ココニトヲヤの
アマツカミ トクサタカラお
サツケマス オキツカガミと
ヘツカガミ ムラクモツルギ
ウナルタマ タマカエシタマ
チタルタマ ミチアカシタマ
オロチヒレ ハハチシムヒレ
コノハヒレ コノトクサナリ
上記がトクサ(十種)の種々になりますが、
続く使用方法が興味深いです(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…
イタムコト アラバヒフミヨ
ヰムナヤコ トマテカゾエテ
フルヱタヽ ユラユラフルヱ
カクナセバ スデニマカルモ
ヨミカエル フルノコトゾト
ミコトノリ
そもそもオシホミミ様のご長男のホノアカリ・テルヒコ様は
お母様タクハタチチヒメ様をはじめ『ご長男』『世嗣皇子』『皇太子』として非常に期待されていらっしゃいました😸
の、故の『大船団』であり『ソラミツヤマト』なのだと思います♪
⇧クリックで『三船祭』に飛びます
そしてねぇ。。。💦
ホント、ヲシテ文献以外では解らない『ニギハヤヒ』様のこと
世間の方々はホンっっト好きですよねぇ💦
アマテルカミ以上の人気っぷりです💦
『古代の日本の秘儀を追い求めたい』『歴史に隠された本当の神』だなんて妄想と共に、
またニギハヤヒ様と共に大人気の瀬織津姫(敢えて漢字💦)と共に
『饒速日の妻は瀬織津姫だった!!』なんて書物もあります💦
えーーーーーーーーーっっ!!??
セオリツヒメはニギハヤヒのひいひいお祖母ちゃんだよ⁽⁽◝(⊙ꎁ⊙ㆀ=͟͟͞͞⊙ꎁ⊙)◜⁾⁾??
だってニギハヤヒさんは、ニニキネさんの長男のムメヒトさんとコモリさんの次女タマネ姫の息子の
クニテルさんだよ!??
アスカヲキミのテルヒコ様が崩御された時、母チチヒメは『嗣もなや。。』とお嘆きになったから、
二朝廷時代、カグヤマ(元アスカ)を継ぐためアマテルカミの勅令で
クニテル様が『ニギハヤヒ』として即位なさり、またトクサタカラ(十種神宝)も継がれました🎵
しかしね、
ウガヤフキアワセズ様が崩御された時、タケヒト(後の神武天皇)様は未だ弱冠15歳(しかも数えで、ね)
それまでは『アメヒツギ』の御位は今で言う『生前譲位』でしたが、それも行われる前にアマキミ神上がられ。。
またタケヒト様が橿原で即位(52歳ね)されるまでには
アマテルカミもトヨケノリなさったり、アマノコヤネ様もご逝去なさったり、マサカキも尽きたり、
またニギハヤヒさんの主なトミであるナガスネヒコの暴挙などにより、
世を糺す為、タケヒト様が立ち上がらなくてはなりませんでした。。(長くなるから割愛ね💦)
それでニギハヤヒさんの嗣子であるウマシマチさんが、自分の臣下ナガスネヒコの非を認められ、
アマキミの御位(みくらい)をタケヒト様に奉還なさったのです(′ʘ⌄ʘ‵)
決して、『饒速日は神武天皇に56された(不穏💦)』とかでないんですよっっ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)
そして神武天皇の御代以降も
代々のスヘラギ(天皇)の重要な地位に就いていらっしゃるのが、
ニギハヤヒ→ウマシマチ様のご子孫です😸
長くなってきた💦小くて罫線狂っちゃう💦
ニギハヤヒ→ウマシマチ系図なので、天皇家を省略してますが、
ヒコユキさんも第2代・綏靖天皇のマツリヲミのスケ(筆頭)ですし、
第3代・安寧天皇の御代にもイツモシコ(ケクニヲミ)、オオネ(イワヒヌシしかも娘のホソ姫は第7代孝霊天皇の皇后)
第5代・孝昭天皇の御代にもイツシココロ(ケクニトミ)
第7代・孝霊天皇のスクネ(宿禰)にはオオミナクチとオオヤグチが。
その先もずっと活躍してますが、特に孝元天皇、開化天皇の皇后になったウツシコメ、イカシコメの兄や父はかなりの重鎮💪
そして。。。
第11代垂仁天皇イクメイリヒコ様の御代
(の御代には神武天皇即位がBC660年とすると垂仁天皇40年でとうとうADになります)
にはトイチネ(トチネ)はモノべとしてミウエカラになってます(36−13/36−33)。
そしてイクメイリヒコ様にはニシキイリヒコ様とヤマトヲシロワケ(後の第12代・景行天皇)様と
二人の皇太子候補の皇子がいらっしゃいましたが、
望むものをお尋ねになったところ
兄宮ニシキイリヒコ様(数え13歳)は弓矢が欲しい、と。。
弟君のヲシロワケ様(数え11歳)はクライ(位)が欲しいと。。
まだまだ現代では小学生のお二宮ですが、その表明通りヲシロワケ・タリヒコ様が
世嗣皇子となります。
けれどもニシキイリヒコ様 もタミの生活向上の為バリバリご活躍なさいます💪(๑و•̀ω•́)و
各地に沢山の貯水池を造られたり、更に各職人部トシナベを制定し
刀を千本も造らせそれらをイソノカミ(石上神宮)に御奉納なさっていらっしゃいます♪
千本の剣の祠ってこんな感じσ(・ω・`@)??
この千本の刀(タカラ)の祠を晩年妹君のヲナカ姫に任せようとなさいますが
ヲナカ姫はそれが嫌だったらしく姫はモノベ・トチネさんに丸投げ🤣
続くイソノカミの記述が怪しいのですが😨
37~40 9520 タニワミカソが
9521 イヱのイヌ ナわアシユキが
9522 クヒコロス ヌジナのハラに
9523 ヤサカニの タマアリオサム
9524 イソノカミ
ムジナっ(΄✹ਊ✹‵)!??
実はムジナの類には興味持ってます( ̄ー ̄)
因みにカミヨ(上代、神武天皇以前)の『モノノベ』は
警察官というか司法にも通じタミを糺し教える役職名で、全国に800人ほど置かれました。
決して一族名ではないです(∩╹∀╹∩)
この800人のモノノベを司るのがオオモノヌシです。
オオモノヌシはアマカミ(天皇)の左右のハネ(羽)のヲミ(トミ)の右のヲミで、ツルギのヲミです。
そして左右のヲミを鳥の左右の翼に擬(なぞら)えるなら、モノノベは鳥の脚に喩えられています⋛⋋( 'Θ')⋌⋚
この鳥(ミヤコトリ)の全体の姿がタミで、アマキミ(天皇)が首です⋛⋋( 'Θ')⋌⋚
あ、因みにヒトノヨ(神武天皇以降)の『カスガ』も大臣の様な主要な役職名で、決してアマノコヤネ様を始祖とする一族ではありません、蛇足ながら。。。
私、今はやめてしまったのですが、
3年ほど前まで巫女舞を4年ほどやっておりました(♡´◡`♡)
まぁ、元々全然『巫女』とか『神道』とか興味があった訳ではないのですが💦
しかも、巫女舞やってると他のダンスが下手になっちゃう💦
それでやめてしまったのですが。。。
それでもいろんな神社に奉納で舞わせて頂けたこと
いろんな神社に行けた事は良い経験だったと、
巫女舞に誘って下さった方に感謝しております(*´∇`*)
さて、また明治神宮の田んぼチームにもいたお陰で
明治神宮の新嘗祭や祈年祭に参列させていただけたことも
ありがたかったです꒰*✪∀✪꒱♬ ♡*:・
明治神宮の新嘗祭と言えば、
明治天皇の御製作詞、
作曲は多忠朝氏(多分振付も)の
『代々木の舞』です。
この装束が舞楽風でカッコ良いんです♪(*〇´∀`艸)*゚
そもそも巫女舞なるものは
なんだか昔からあった様に思われがちですが、
各地に残る巫女神楽は別として
近代巫女舞は大体、多忠朝・静子さん父子によって作られてます。
ですから実は本拠地は皇居のある東京なのですよね👀
そして明治神宮の雅楽演奏や巫女舞のレベルも高くて素晴らしいのです✨✨
舞楽・宮中雅楽の話はまた後ほどするとして、
『代々木の舞』の明治天皇御製を見ていきましょう♪( ´θ`)ノ
いそのかみ
古きためしを
たづねつつ
新しき世の
ことを定めむ
ここで『いそのかみ』という枕詞が出て来ますが
これは『ふる』に掛かる枕詞なのですね(♡ ╹◡╹ ♡)
いそのかみ=石上(いそのかみ)神宮です♪
2017年池田先生と石上神宮にて。古い写真でスミマセン、フルのイソノカミだけに🤣
では一体何故、『いそのかみ』が『ふる』に掛かる枕詞になっていったのか?
見ていきたいと思います(`◕‸◕´+)キリッ!
そもそもには
この『フル』とは
アマテルカミの御孫ホノアカリ・テルヒコ様が
ヒタカミ(父君オシホミミ様の都)から鳴物入りでナカクニ入りする時
アマテルカミからトクサタカラ(十種神宝)を賜っていらっしゃいます👀
ホツマツタヱで見ていきましょう👀
ココニトヲヤの
アマツカミ トクサタカラお
サツケマス オキツカガミと
ヘツカガミ ムラクモツルギ
ウナルタマ タマカエシタマ
チタルタマ ミチアカシタマ
オロチヒレ ハハチシムヒレ
コノハヒレ コノトクサナリ
上記がトクサ(十種)の種々になりますが、
続く使用方法が興味深いです(;●ꉺωꉺ●) ゴクリ…
イタムコト アラバヒフミヨ
ヰムナヤコ トマテカゾエテ
フルヱタヽ ユラユラフルヱ
カクナセバ スデニマカルモ
ヨミカエル フルノコトゾト
ミコトノリ
そもそもオシホミミ様のご長男のホノアカリ・テルヒコ様は
お母様タクハタチチヒメ様をはじめ『ご長男』『世嗣皇子』『皇太子』として非常に期待されていらっしゃいました😸
の、故の『大船団』であり『ソラミツヤマト』なのだと思います♪
⇧クリックで『三船祭』に飛びます
そしてねぇ。。。💦
ホント、ヲシテ文献以外では解らない『ニギハヤヒ』様のこと
世間の方々はホンっっト好きですよねぇ💦
アマテルカミ以上の人気っぷりです💦
『古代の日本の秘儀を追い求めたい』『歴史に隠された本当の神』だなんて妄想と共に、
またニギハヤヒ様と共に大人気の瀬織津姫(敢えて漢字💦)と共に
『饒速日の妻は瀬織津姫だった!!』なんて書物もあります💦
えーーーーーーーーーっっ!!??
セオリツヒメはニギハヤヒのひいひいお祖母ちゃんだよ⁽⁽◝(⊙ꎁ⊙ㆀ=͟͟͞͞⊙ꎁ⊙)◜⁾⁾??
だってニギハヤヒさんは、ニニキネさんの長男のムメヒトさんとコモリさんの次女タマネ姫の息子の
クニテルさんだよ!??
アスカヲキミのテルヒコ様が崩御された時、母チチヒメは『嗣もなや。。』とお嘆きになったから、
二朝廷時代、カグヤマ(元アスカ)を継ぐためアマテルカミの勅令で
クニテル様が『ニギハヤヒ』として即位なさり、またトクサタカラ(十種神宝)も継がれました🎵
しかしね、
ウガヤフキアワセズ様が崩御された時、タケヒト(後の神武天皇)様は未だ弱冠15歳(しかも数えで、ね)
それまでは『アメヒツギ』の御位は今で言う『生前譲位』でしたが、それも行われる前にアマキミ神上がられ。。
またタケヒト様が橿原で即位(52歳ね)されるまでには
アマテルカミもトヨケノリなさったり、アマノコヤネ様もご逝去なさったり、マサカキも尽きたり、
またニギハヤヒさんの主なトミであるナガスネヒコの暴挙などにより、
世を糺す為、タケヒト様が立ち上がらなくてはなりませんでした。。(長くなるから割愛ね💦)
それでニギハヤヒさんの嗣子であるウマシマチさんが、自分の臣下ナガスネヒコの非を認められ、
アマキミの御位(みくらい)をタケヒト様に奉還なさったのです(′ʘ⌄ʘ‵)
決して、『饒速日は神武天皇に56された(不穏💦)』とかでないんですよっっ(ू˃̣̣̣̣̣̣︿˂̣̣̣̣̣̣ ू)
そして神武天皇の御代以降も
代々のスヘラギ(天皇)の重要な地位に就いていらっしゃるのが、
ニギハヤヒ→ウマシマチ様のご子孫です😸
長くなってきた💦小くて罫線狂っちゃう💦
ニギハヤヒ→ウマシマチ系図なので、天皇家を省略してますが、
ヒコユキさんも第2代・綏靖天皇のマツリヲミのスケ(筆頭)ですし、
第3代・安寧天皇の御代にもイツモシコ(ケクニヲミ)、オオネ(イワヒヌシしかも娘のホソ姫は第7代孝霊天皇の皇后)
第5代・孝昭天皇の御代にもイツシココロ(ケクニトミ)
第7代・孝霊天皇のスクネ(宿禰)にはオオミナクチとオオヤグチが。
その先もずっと活躍してますが、特に孝元天皇、開化天皇の皇后になったウツシコメ、イカシコメの兄や父はかなりの重鎮💪
そして。。。
第11代垂仁天皇イクメイリヒコ様の御代
(の御代には神武天皇即位がBC660年とすると垂仁天皇40年でとうとうADになります)
にはトイチネ(トチネ)はモノべとしてミウエカラになってます(36−13/36−33)。
そしてイクメイリヒコ様にはニシキイリヒコ様とヤマトヲシロワケ(後の第12代・景行天皇)様と
二人の皇太子候補の皇子がいらっしゃいましたが、
望むものをお尋ねになったところ
兄宮ニシキイリヒコ様(数え13歳)は弓矢が欲しい、と。。
弟君のヲシロワケ様(数え11歳)はクライ(位)が欲しいと。。
まだまだ現代では小学生のお二宮ですが、その表明通りヲシロワケ・タリヒコ様が
世嗣皇子となります。
けれどもニシキイリヒコ様 もタミの生活向上の為バリバリご活躍なさいます💪(๑و•̀ω•́)و
各地に沢山の貯水池を造られたり、更に各職人部トシナベを制定し
刀を千本も造らせそれらをイソノカミ(石上神宮)に御奉納なさっていらっしゃいます♪
千本の剣の祠ってこんな感じσ(・ω・`@)??
この千本の刀(タカラ)の祠を晩年妹君のヲナカ姫に任せようとなさいますが
ヲナカ姫はそれが嫌だったらしく姫はモノベ・トチネさんに丸投げ🤣
続くイソノカミの記述が怪しいのですが😨
37~40 9520 タニワミカソが
9521 イヱのイヌ ナわアシユキが
9522 クヒコロス ヌジナのハラに
9523 ヤサカニの タマアリオサム
9524 イソノカミ
ムジナっ(΄✹ਊ✹‵)!??
実はムジナの類には興味持ってます( ̄ー ̄)
そして腹に入ってたヤサカニの玉とはどんななのでしょう(TДT|||)??
千本の剣の行方は よく分かりませんが、
この時モノベ・トイチネさんが、ヲナカ姫から任されてイソノカミを守っていたのでないでしょうか。。
これが後に物部•石上氏となっていく過程なのでしょうね(♡´◡`♡)
そしてトイチネさんはニギハヤヒ→ウマシマチさんのご子孫ですから。。。
そして更にこの『トイチ=十市』という場所や
舞について語っていきたいのですが、、、
長くなってきましたので、
その2 に、 続く、、、、、、予定。。。
です(((✿ฺ≧▽≦)彡☆
舞と、もう一人、天皇のお兄さんについて書きたいのです( ;□;)ノシ))パタパタパタパ( ;□;)ノシ))パタパタパタパ
ではでは。。。
。.。:+♫+ ゜ ゜゜ *+:。.。:+♥+ ゜ ゜*+:。.。.。:+♫+ ゜ ゜゜*+:。.。:+♥+ ゜ ゜.
★モノノベについて注記
千本の剣の行方は よく分かりませんが、
この時モノベ・トイチネさんが、ヲナカ姫から任されてイソノカミを守っていたのでないでしょうか。。
これが後に物部•石上氏となっていく過程なのでしょうね(♡´◡`♡)
そしてトイチネさんはニギハヤヒ→ウマシマチさんのご子孫ですから。。。
そして更にこの『トイチ=十市』という場所や
舞について語っていきたいのですが、、、
長くなってきましたので、
その2 に、 続く、、、、、、予定。。。
です(((✿ฺ≧▽≦)彡☆
舞と、もう一人、天皇のお兄さんについて書きたいのです( ;□;)ノシ))パタパタパタパ( ;□;)ノシ))パタパタパタパ
ではでは。。。
。.。:+♫+ ゜ ゜゜ *+:。.。:+♥+ ゜ ゜*+:。.。.。:+♫+ ゜ ゜゜*+:。.。:+♥+ ゜ ゜.
★モノノベについて注記
因みにカミヨ(上代、神武天皇以前)の『モノノベ』は
警察官というか司法にも通じタミを糺し教える役職名で、全国に800人ほど置かれました。
決して一族名ではないです(∩╹∀╹∩)
この800人のモノノベを司るのがオオモノヌシです。
オオモノヌシはアマカミ(天皇)の左右のハネ(羽)のヲミ(トミ)の右のヲミで、ツルギのヲミです。
そして左右のヲミを鳥の左右の翼に擬(なぞら)えるなら、モノノベは鳥の脚に喩えられています⋛⋋( 'Θ')⋌⋚
この鳥(ミヤコトリ)の全体の姿がタミで、アマキミ(天皇)が首です⋛⋋( 'Θ')⋌⋚
あ、因みにヒトノヨ(神武天皇以降)の『カスガ』も大臣の様な主要な役職名で、決してアマノコヤネ様を始祖とする一族ではありません、蛇足ながら。。。